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過ぎたるは

「及ばざるが如し」と昔の方はおっしゃいました。

誰もがよくご存知の

「多けりゃいいってもんじゃないのよ!適量ってもんがあるでしょうよ!」

ってたとえのアレです。

何事も「多過ぎると過分になるし、少なすぎると不足してそれはそれで困る」ってことなんでしょう。

本当にそうだなと思う近頃を過ごしておりました。


高齢者と接していて。
コケちゃった高齢者の介助をするときに、こちらの力が弱いとなかなか立ち上がれない。
そうはいっても、力の入れ具合や入れる場所によっては介護しているつもりで、反対に痛い場所を作ってしまうことになったりもする(申し訳ない!)
慣れないと力加減がとても難しい。

そんなこんなを考えていて・・・
物理的な力の入れ具合もそうだけれど、心のエネルギーの注ぎ具合も同じだなぁと思ったりもする。


「やり過ぎ」って言う言葉は、大抵は良い意味じゃなくて良くない意味で使われることが多いけれど、反対から見てみたら「そこまで突き詰めてやりきれる熱意がある」ってことなのかもしれない。要は「一生懸命さん」なのだ。

私は大抵、やりたくてやっている。やりたくないことは極力回避するタイプ。

だからと言って「熱意」が無尽蔵に湧いてくるかと言えば、そういう訳でもない。
自分がやりたいからやってることだとはいえ、空回ってる氣がすれば虚しいし、レスポンスが欲しい時だってある。
それはヒトがコミュニケーションする生き物だからなんだろうと思うことで心の整理をしている次第。

虚しさが募ると「ひとりぼっち感」が強くなっていってしまって寂しくなる。
寂しさを感じるかどうかも、結局は自分次第なんだけれど・・・ね。

落ち着けない時間が多くなってムシャクシャしたり、氣持ちが荒だったりもして、そうなると時間の余裕もなくなって余計に辛い感じになってしまいがち。


そこの部分も「過ぎたるは及ばざるが如し」なのかもしれないな〜と思い至るのは、いつも心が荒れた後💦
学習能力がに難ありありだな(笑)


こんな風になってしまうと、普段心がけている「中庸」も、ふとしたはずみでどこかへ飛んで行ってしまって「修行が足らないなぁ」と感じたり💦


感情は「入れ過ぎる」と、どんどん熱さが増してしまって他の人からすると「熱過ぎ」ってことになってしまうのかな。
だけども一生懸命になってる側としては「ちょっとぐらい汲んでくれてもいいんちゃうん!?」って思ってしまうのもこれまた人の常で。。。

実は、この間から体験している高齢者の介護がそのまんまコレ。
お年寄りは反応も感じ方もだんだんと「ゆっくりしたペース」になるようで、こちらサイドの氣持ちを汲んでくれることはあまりなく・・・💦


「過ぎたるは及ばざるが如し」とは物質的なことだけではなかったのですね。

自分の感情を感じ「過ぎる」と、より虚しさが募ったりもするんだろうってところに、ようやく氣付きを得て、心が落ち着いてきたところだったりします。

ヒトってやっぱりめんどくさい生き物だな(笑)


つづく・・・(何がだろう?)(ΦωΦ)フフフ


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