「罪悪感」に思うこと
罪悪感。不思議な響き。
「罪悪」ってなんかすごい極悪非道な漢字の組み合わせ。
文字からすると、罪(つみ)で悪(わるいこと)。
その意味は
「道徳や宗教の教えなどに反する悪い行為」なんだって。
道徳も宗教も、地域や宗派が違えば、当たり前にしていることや、教えが違ってくる。
道徳も宗教も大元になにがしかのグループがあるから。
つまりはそこにはそこの「決まり」や「暗黙の了解」があるわけだ。
それを守らんかったら、あかんやろ?!って、そういう感じ?
でも特定の地域の道徳や、宗派の異なる宗教なら、罪や悪になることって他とは違ったりするんちゃうん?
でも言葉としては「罪悪」って一括りにしてるんだよね🙄
あっちにはあっちの、こっちにはこっちの、種類の違う「罪悪」が多数存在するんだろうか?🙄
うーん・・・難しい・・・💦
そして最近よく聞く「罪悪感」という言葉。
これ、私的には「なんなん?」と不思議に思うんだけど。
「甘みが抑えてあるのでダイエット中でも『罪悪感なく』食べられます」
それって言い換えれば
「甘みが抑えてあるので『ダイエット中に(or健康によくないってわかってるのに)こんなモノの食べようと思う悪い自分のことをそこまで悪く思わないで』食べられます」
ってことなんだよね。回りくどすぎる(笑)
だいたい・・・
「食べたいのか、食べるの嫌なのか、どっちやねん!」
食べるなら美味しい(*´∇`*)って全身で幸せを噛み締めれば良いし、それが出来ないなら、食べるのやめればいいやん、と思うのだけれど。
てかさぁ・・・
せっかく美味しいもの食べて(*´∇`*)な氣分になろうとしてるのに「罪悪感」なんて重々しいもの、持ち出さずとも良かろうもんが〜!
結局それって「ぐだぐだ言い訳しよる」のに違いなかろう?
訛ってしまいました(どこの言葉?!🤣)
話を戻します。
「罪悪感」を調べてみたらこんな感じ。
悪いこと、非難されるべきことをおかしたという氣持ち、そして、そのことによって「自分を責める氣持ち」を感じること
つまり・・・
ダイエット中に甘いものを食べるのは「悪いこと、非難されるべきこと」で、つい食べちゃったことによって「自分を責める氣持ち」を感じる
ってことですね。
そこで
「甘いか甘くないかって言われたらちょっと甘い」
というようなものを食べたら、自分を責める氣持ちが少しだけ軽減するってこと
いや〜でも食べちゃってるのは事実だし〜🤣そんな言い訳しちゃってみっともない!(と追い討ちをかける(笑))
開き直っちゃえばいいのにねぇ。
だって「食べたかったから食べたんでしょう?」
だったら
食べてから、またダイエットに戻ればいいやん。
そのほうがスッキリするよ。
グダグダ言い訳考えるよりも。
自分のこと、自分で責めなくてもいいやん。
自分のこと、責める氣持ちなんか持たなくてもいいやん。
「あ〜!美味しかった💖シアワセ〜🎶」
こっちの氣持ちを満喫する方が、絶対シアワセになれるよ。
あれ?また話が脱線して戻れなかった😅
罪悪の話はどこへ〜〜〜〜!(笑)
おしまい
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