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私にとってのイメコンとは?

 最近、プライベートでもイメコン好きを少しずつ公言するようになり、何でそんなにイメコンが好きなのか聞かれることが増えました。その度に、なぜこれが似合うのか似合わないのかが分かって楽しいし、そもそもカテゴライズすること自体が好きだからかな〜?と答えてきました。
この回答自体は間違ってもいないし本心ですが、最近、本当にそれだけなのかな?と思い始め、改めて自分にとってイメコンとは何なのかを考えてみました。

 さて、突然ですが、私は自分に全く自信がありません。特に容姿外見はことさら。
人のことは客観的に見ることは出来るのに、自分のことになると急にちんぷんかんぷん。その上、褒めて頂いてもお世辞だ、と素直に受け取れないどころか否定してしまったり(改めて文字にすると自分卑屈過ぎる…)。

何故そんな風になってしまったんだろと考えた時、多感な思春期に受けた言葉たちを思い出しました。

🙎‍♀️〇〇鎖骨なーい笑
→(私って笑われるぐらい太ってるんだ…)
🙎‍♀️〇〇ってピンクって感じじゃないよね笑
→(ピンクとか可愛いものって似合わないのか…)

どれも中高生ぐらいの時に言われた言葉ですが、こういった言葉は今なお自分の中で鮮明に残っています。我ながら執念深い…。
多感な時期ゆえ悪意があったのか、それとも素直な気持ちで言ったのか、はたまたなにも考えずに発した言葉なのか、真意はわかりません。ですが、これらの言葉は自分の中に大きく根を張り、今なお残っています(執念深いからね!)。
これらの言葉だけが影響しているわけではありませんが、そういった言葉が蓄積された私は、自分がどんな装いや振舞いをしていいのかわからなくなりました。
そして、いくら痩せても痩せてると思えなかったり、可愛いものやピンクは似合わないから身につけちゃいけないんだと思い込んだりといった時期が長く続きました。
そういう呪縛とも言える思い込み、自分がわからない状態から少しずつ解放してくれたのがイメコンなのかもしれません。

第三者かつ有識者に言われることで、これは似合う色だから着ても良いんだ!こうゆう格好してもいいんだ!って少しずつ思えるようになりました。

そしてもし今なら、
🙎‍♀️鎖骨なーいって言われても、
🥳え??触診では鎖骨ちゃんと発見されますけど?てか骨格によって鎖骨の出方なんてなんぼでもあるから!って言えるし、
🙎‍♀️ピンクって感じじゃないよね〜って言われても、
🥳こちとら外面SC1位ピンクですけどね〜って言い返せます。

もちろんそう簡単に長年の呪縛から完全に解放された訳ではありませんが、イメコンという"お墨付き"があるおかげで自分の中の思い込みは少しずつ薄れ、自分が本当に好きなもの•着たいもの•なりたい姿と少しずつ向き合えるようになったと思います。

私にとってのイメコンはコンプレックスを希釈してくれる存在であり、本当に好きなものが何かを考え向き合えるようにしてくれたものだと思います。

似合うと言われているお墨付きスペックを遵守せねばという時もありましたが、最近はスペックに寄らず、これかわいい!着たい!と思う気持ちも尊重するようとしています。(と言ってもスペック的に完全に外れてるものは流石に試着の時点でナンカチガウ…になるので諦めがつくので試着でお気持ちを昇華させてます。)
スペックから外れていても着たい物をある程度似合うように上手く取り入れるのもまたイメコンだし〜と柔軟に(自分に都合良く)捉えています。

コンセプトはまだまだですが、もう少し自分の好きやなりたいが具体化出来るようになったら、少しずつコンセプトとして形にしていきたいと思います。


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