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未来の夜の底でどうせ私達悲しむのよ


もう何年も前の好きな曲のライナーノーツの言葉。この言葉が紙切れだったらもう擦り切れてるくらい何年も思い出してる。

GRⅢを買ったよ。α7IIIもやっぱり手放せないよ。

今年は今まで変われなかったこと変えようと思って。食わず嫌いだったものとか、やってこなかったこととか、いつも右の曲がり角行ってたけど左に行ってみようかなとか、気になってたヨーグルトとか作ってみたかったあの料理作ってみようかなとか、家を心地よくしてみようかなとか。小さい事から変えてったら少しは新しい気持ちになれるんじゃないか〜って。少しは明日も朝起きたいと思えるようになるんじゃないか〜って。少しは自分に自信がつくんじゃないか〜って。

なんかずっと生死のことを考えているなと思っちゃって。これを飲めば苦しまずに倒れる薬があれば私はすぐ飲むし。

おばあちゃんが「長生きしても良いことないよ〜長生きしちゃってるなぁ…」と言ってて、そうだよねって言いかけたけどグッと堪えて「良いことあるよ、私は嬉しいよ」と言った。なんか、だよね〜って言ったら、おばあちゃんいなくなっちゃう気がして。人と関わるってそういう事の積み重ねなのかもなぁって思った。

私の基準で相手がそう思ってなくても私はこれは愛だ(嬉しいことの分類に入ること)と思うことがある。その本質の大抵は"覚えていること"な気がする。紫とか、疲れているだろうから甘いものをくれるとか、うどんが好きとか。「好きそう」とか。

そんなことを思ってたら好きなバンドが「きっと私の愛は忘れないということ、きっと私の罪は忘れていくということ」と歌っていて、感情に沿った曲があることは本当に嬉しいと思った。

今まで変われなかったことを変わろうと思ったきっかけの一つに、東京にきて出会った大好きな先輩に何回も「それ、ちひろちゃん舐められてるよ」と言われたことがある。そんなこと言われたことなかったし、私は気付いてなかったなと思った。自己肯定感が低いが故に気づいて無いこと沢山だった。

よく寝るようになったらとてもイライラするようになった。地雷を踏まれても好きなところの方が多かった。それ私のこと物として思ってるじゃんと気づけた。舐められたくないなと思った。

自衛のために何かをするのが極端に苦手だ〜と最近の気づき。
よく自分を信じなよという言葉があるけど自分で自分を操縦できない、把握できない、意識が別個として生きてる。そんなの信じれないよ〜…とメソメソした。そんな自分を受け入れるのも自分しかいないのに、というループだと思った。

FINLANDSのHOWの歌詞が本当に私だった。
ありがて〜。

しょうがなくはないんじゃないかって、タイで思ったんだ。札幌で友達に、自分を好きになれたら良いですよねって言われて、そのあと別の友達に自分を大事にって言われた。

これからも仲良くしたい人にはこれが嫌だった。これが良かった。嬉しかった。と話したい人だったな私は。たまに明くる街約束はゴミに見える始末。

友達の撮る写真大好き。私は友達というものが大好きだけど本当に好き嫌いや興味が極端だから私に懐かれてる人は大変だろうなぁと思う。この友達には脊髄から連絡できるし、この友達とは一緒に散歩や遠出したいし、この友達とはご飯食べたいし、この友達には推しの話したいし。

別に凹むことではないとも分かってても地図も見れないし運転もできないしうまく生きれないしそのことにめちゃくちゃ凹んでしまう。私が出来ていたら写真も撮れたのに、お酒も飲めたのに。友達が休みの日に1人でソフトクリーム食べたという写真を送ってくれた。何年もその友達に休みの日は休め!!と怒られてる。

私は興味のないことが本当に興味ない。調べようとも思わない。でもそのままだと話したい人と同じ話ができなくて、それは悲しい事だというのも知った。

相変わらず自分のためにご飯を作るのが下手くそだ。何で常に死にたい奴がそんな奴に向かって明日も生きるために食べ物を作って食べて生を繋いでるんだと思う。
でも、今年の目標は自分を大事に!嫌な事も合わない人も泥のようにバッて拭いてズンズン進む。ズンズンズン進む。今年は今まで変われなかったこと変わる。今までは選ばなかったなぁじゃないんだよバカ。

新しい自分楽しみ〜!


そんな今日見た濵田さんは宇宙一かっこよかった。優しくてかっこいい。生きててくれてありがとう〜。元気でいてくれたらそれで良いです。今日が未来に続いてく限り〜。

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