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#同じ引き出し



今年に入って衝撃だったことの一つに、SixTONESのストチューブのそれぞれの良いところを言い合う企画で森本慎太郎(以下タロ)が「個人的に言って欲しいのがあって、"余裕がある"」と言うシーンがある。
それを聞いた年上大男達は声を出して笑い「俺らにしたらお前は生き急いでる」とか「余裕を持ってと思ってる」と言いタロが「余裕があるって言われてんだよ〜俺」と口を尖らせるんだけれど、これの凄い点は普通に考えて24歳で色んなこと(バイク船免許ダイビング気遣い礼儀)が出来たりする高スペックなタロは絶対に余裕があるという点と、それを一番近くにいる人達がそう思わない矛盾が生じてる点だと思う。

一番近くにいるからそういう凄い点が霞んで見えるのか、それとも一番近くにいるから距離的に末っ子や余裕のない部分を見せているのか、理由は沢山ありそうだけど、その誤差というか見え方と自分自身(タロ自身)の感覚との違い私はとても驚いてしまった。

この人たちの中ではきっと年下であり生き急いでる余裕のない声の大きい末っ子なのだ。でもきっと余裕があるともちゃんと思っていそうな少し悲しく、見えない愛があるとても不思議な温かいやりとりだったなと思う。私はこの出来事がとても好きだ。


私には桐山くんと同い歳の兄が2人いて、紛れもない末っ子の華麗なる末っ子気質である。それもあってか後輩や年下への接し方が全く分からない。これは、嫌だ!とか苦手!とかじゃなく、若林や松永が口から吐き出しているナナメな事と同じ引き出しに入る、「分からない」だ。分からない。全部奢るべきなのか、強気でアドバイスをするべきなのか、タメ口にすれば良いのか、全部が分からない。お洒落な人や化粧が上手な人や美人な人くらい仕組みがわからない。(これらは全部世界七不思議に入ると思ってる)

基本甘えたかったり頼りたいのもあり仲良くなる人はほとんど年上だ。でも最近年下が可愛くてしょうがない。可愛いというか無意識のうちに仲良くなっている年下が急にとても増えた。そして見事にとても楽しい。みんな楽しい。本当はずっと電話していたいしノーラグで話したい。
前までは怖いから警戒したりとか、なんか合わなかったりしてたのだけど最近は着実に年下の友達が増えている。しかも無意識に。これは凄い事である。アラームをかけ忘れたのにいつもの時間にちゃんと起きる時のあの凄さと同じ引き出しに入っている。

そしてこれは私が凄いのではなく、年下とか気にならないようなしっかりした人達が仲良くしてくれたり近寄ってくれたからだと思うから、これからも沢山話をしたりしてそのしっかりとした仕組みを汲み取りたい気持ちでいっぱいだ。

そんな私は最近本当に色んな人に会っている。これがドラマだったら私はこの後事故って友達の誰かが「そういえば最近懐かしい人や辞めた人とか色んな人に会ってるって言ってた」と証言してただろう。やめてくれ。カイロ背中とお腹に貼ってたとかまつげ美容液目に入って毎日発狂してるとかの実話を引き継いでほしい。

記憶や感情も含め脳には引き出しがあると思っているんだけど、この前大好きなバンドについて「どんなところが好きなの?」と聞かれ、私は「やっぱり人柄ですかね…。そんな人たちの作る曲はやっぱりとても良いですし。でもまあシンプルに曲も良い。というか学生時代からの愛着が凄いんですよね。唯一の青春で、当たり前の日常というか」という話をしたら「なるほど。おばあちゃんのご飯好きじゃん?多分だけど、それと同じ引き出しに入ってるんだろうね」と言われた。目から鱗であった。でもとてもしっくりきた。たしかにそんな気もした。

今日人とご飯を食べていて、「ご飯を食べる」ことを前にした時に緊張する人と緊張しない人がいるなと思った。
前に朝井リョウが「調味料で味を調節すること」や「食べる順番を考えること」は性行為と同じく生物として生きようとしてる一面と同じだから恥ずかしい事と言っていた。私はその感覚も分かるし、ハチクロではぐちゃんが竹本の前だと緊張して美味しくご飯を食べれなかったと泣いてしまうシーンもとても分かる。食べる行為の横にいつも「嫌われるんじゃないか」という概念が近くにいるのだ。私は友達とご飯を食べる時にも緊張してしまうし、逆に全くどう思われてもいい友達もいる。それぞれの引き出しに分類されていく。規則性はまだわからない。

色んな人に会えて、いろんな人に連絡をとって、色んな話をして。こんな時期のことやこの時間を忘れたくないなと思う。寒い手で触るポッケに入った自分の写真で稼いだお金の感触も私は絶対に忘れたくないなと思う。




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