癒しのグッピー
ひところ、心の病で自宅療養していたことがある。
その時、末娘のもらってきたグッピーの入った水槽が幾分かの癒しを与えてくれた事を思い出す。
当時小学校4年生だった末娘が、学校から帰るなり、「ねえ、熱帯魚飼ってもいい?」と家内に尋ねていた。「自分で面倒が見れるの?」とかなんとか適当に応対していた家内のすきをついて、「うん。できるから」といって、娘は玄関に戻ると数匹のグッピーのはいったビニール袋を持って居間へ入ってきた。問答無用である。最初から飼うつもりだったらしい。
「水槽、水槽」とさわぐ娘に、忙しい夕食の手をとられて、倉庫から水槽を探し出す家内を呆れ顔で見ていたものだった。
水槽といえば、この水槽も長男の面白いエピソードを担っている。
この時から2年前、長男が中学1年の頃、ルアー釣りに凝っていた時期があった。その頃、ようやくのことで吊り上げて来た体長10センチほどのコバッチーのブラックバスを、どうしても家で飼うのだといってきかないので、仕方なく幅50センチほどの水槽(6000円なり)を買って来たのだ。
バス君にはちょっと狭かったが、それ以上大きい水槽は扱いも大変そうだったので我慢してもらった。しかも可哀想な事に、このバス君は、吊り上げられたのがよほどショックだったとみえて、いくら餌をあげても決して食べようとしないのだ。このバス君がいつ頃どのようにしてこの水槽からいなくなったかは、記憶にないが、この水槽はこの時以来、裏の倉庫に眠っていたのを呼び起こされた。
水槽に水を入れてグッピーを放った。この水入れがまた結構大変で、バケツに五杯位を風呂場からリビングまで運ぶ。「熱帯魚だから、水だと死んじゃうよ」と訴える娘に、風呂上りのパジャマ姿を着替えて、水槽用のヒーター(2000円)を買いにホームセンターまではしる。
「なんか殺風景だね」という家族の進言で、翌日の土曜日は、もう晩秋だというのに、海岸に砂やら貝殻やらを取りに行く約束をさせられる羽目になった。
一段落して水槽を眺めていると、日一日と水が濁っていく。一週間もするとグッピーの姿が見えないくらいに濁りきってしまった。
「タニシを入れると濁りがとれる」とか、家内が聞いてきたらしく、タニシを入れてみるが、とにかく一度水を入れ替えない事には、リビングの景観にもかかわるので、またバケツに五杯の水。しかも今回は、水槽の中に住人と家具があるため、単純に水を入れればいいというわけには行かない。
住人をこぼさぬように水を捨てるのに一苦労。なんせ、50センチ×25センチの水槽いっぱいの水である。35Kg近くの水を抱えながら少しずつ水をこぼしていくのは、大変な苦労である。ところが、苦労して入れ替えた水もやはり一週間もすると濁ってくる。タニシには荷が重かったようだ。
結局またホームセンターへ出向いて、浄水ポンプなるもの(3000円)を買ってくる。勘定してみると水槽関係だけで実に10000円以上もかかってしまったのだ。ついでにこの時ホームセンターのペット売り場で見たら、血筋の正しいグッピーは一匹200円なりで売っているのである。思わずうちのグッピーは何匹に増えるだろうかと想像してしまった。100匹位売りさばけば元が取れる。
こうして、我が家のグッピー水槽はようやくリビングの装飾品となった。
ところがである。こうして親たちがグッピーの水槽と格闘しているうちに、娘の興味はすっかりグッピーからは離れてしまい、グッピーのお世話は、いつしか私の仕事となった。浄水ポンプを設置しても、月に一回位は水を入れ替えなければならない。あまり放って置くと水槽の内側に藻が張り付いてなかなか取れない。
浄水ポンプやパイプにも藻が張り付くので、掃除しなければならない。
「誰がもらってきたグッピーじゃあー」と叫んでも、娘は一向に相手をしてくれない。部屋の掃除はキチンと行う奥様も、水槽の掃除だけは、何故かとんと手をお付けにならない。仕方なく私が、リビングの景観を損なわない程度の間隔で水槽の一斉清掃をやる羽目になる。
月に1回程度の清掃を行っていくうちに、だんだんと知恵がつき、ポンプの掃除に歯ブラシを使い、水の入れ替えは、排水用のポンプと庭のホースを使って、だんだんと合理化されていく。藻に覆われて向こう側がハッキリ見えなくなってしまった濃い緑色の箱が、グッピーが泳ぎタニシが這う真っ透明の水槽に生まれ変わる過程は壮観である。静養中の私にしてみれば重労働の後に、きれいになった水槽を眺めていると、グッピー達が私の方に寄って来て感謝しているように思えるのだ。思わずそばに置いてある餌を与えるとみんな一斉に餌に寄り集まってくる。体長5ミリくらいのものから、体長5センチくらいで尾びれもりっぱな(300円位で売れそうな)ものまで一体何匹いるのだろう。最初のグッピー達が我が家に来てから、何代目になるのだろうか。などと考えながらグッピー達を眺めていると、時間が経つのを忘れて、不思議と心が癒されるのである。
そういえば、この水槽の中で逝去したグッピーは私の知るところでは3匹しかいない。(家内がこっそり処分している可能性はあるが・・・)3匹とも家内と二人で庭の花壇のすみに埋葬して墓石を置き、お経をあげた。
庭の花壇には様々な大きさの墓石(と言ってもただの石だが)が設置してあり、人間以外の様々な動物が埋葬されている。ハムスター一家(つがいが一組に子供が5匹)このハム一家にも悲しーい物語がある。ウサギ一羽。
にわとり一羽。
この文章を書いた日の午後に、母が竹脇無我の書いた「凄絶な生還」というエッセイを持ってきた、この本のプロローグに、彼が金魚の世話で心を癒されたと書いてあった。これも何かの縁だろう。
2003年8月23日 自宅にて
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