芸術鑑賞について②

11月11日。何か好きなことしようかな
と思って、美術館に行くことにした。
国立西洋美術館で公開中のピカソ。手帳に書いてから、ずっと楽しみにして学校も他も色々毎日頑張っていた。

不思議なことに、ちょうど一年前にも美術館に行ってた。その時はゴッホを見に。これくらいの季節になると私は絵が見たくなるのかな。
ということで、今日の記事は芸術鑑賞②

ピカソって聞いたことはあった。多分美術でも勉強した。でもすっかり忘れてたから、今回勉強し直した。キュービズム。現実の多面性を一つの面に全部描く。見えない面も見る。
そんな風にネット上で説明されてた。見えない部分を表現するって、なんかいいなって、引かれて、それで見に行った。

それで、実際に見に行ってみたら。なんかすごかった。なんというか、歴史の中で、戦前、戦中、戦後で絵が違っていた。ピカソは繊細な心の持ち主だったんだなと思った。芸術家は皆んなそうなのかもしれないけど。

キュービズムの絵を見ながら、私は恐れのようなものを感じた。顔の半分が見えなくてもそこにあるだろうから、描く。普通だったらそうだと思うんだけれど。ピカソの場合、そこにあることは分かる、あるはず、でも自分からは見えない、だから分からない。キュービズムで描かれているあちら側はすごく控えめで、不安げに私には見えた。戦争で先の見通しが見えない不安とも重なった。

キュービズムの初期はまさに解体。有機的な統合に至る前。それまでは統合されていたものをバラバラにして、一つ一つ現実を確かめ直しているようだった。当たり前の解体。こんなに色んな要素で現実は構成されているんですよって、私達に語りかけているよう。

私(たち)って、現実を当然のものとして疑わないなって思った。疑い始めたら病的とされる。ピカソは時代の雰囲気に敏感に絵を描いていたんだなと思う。

ピカソについて思ったことはここまで。

今日行ったのは国立西洋美術館だったんだけれど
作品は一部を除いて写真撮影okだった。
携帯のカシャカシャ音がそこら中でした。私も何枚か撮ってみた。でも撮りながら、よく分からなくなった。何のために撮ってるんだろうって。

今絵を見ながら感じたこととか、味わいたいのに、機械が挟まれることで今ここにいられなくなった。これも(いつかのために)撮っておいた方がいいかな、とか。頭が忙しくなって、心で味わえなくなった。楽しくなくなった。だから写真撮るのはやめた。

いいな、大事だなと思ったものは、心配しなくても心に残る。

一緒に展示されていたクレーの作品も好きだった。タイトルが好き

「知ること 沈黙すること やりすごすこと」
knowledge, silence, passing by

「口数の少ない倹約家」
scanty words of the thrifty man 

大切なことを自分で分かっていること。それで十分なんだよね。

久しぶりに上野に来てさ。近づくと
「あー」って。気分が揺れて。なんでよりによって上野にあるんだろうかと思って。

でも振り返って。色んなことを知ったし。分かったし。これから自分の軸、気品を大事にして生きていこうと思うんだ。気品っていうのかな。

自分を豊かさで自分で満たす。

焦らず、気品を持って、いつも暖かい心で。

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