普通ってなんだ

久しぶり。新年1回目の投稿かな。

去年は色んなことがあった。人生で初めての体験も色々あった。色んな感情を味わった。

新年に入って、本を沢山読んでる。
図書館で借りたり、メルカリで話題の本を買ったり。

私自分の機嫌を自分で取れない人って、嫌だな。人に当たり散らして。騒いだり。すごく不快。
幼いな、分かるなと思うけど、離れたい、そう思ってしまう。離れた方が、お互いにとっていいのかも。

最近読んだ本は、朝井リョウの『正欲』と
村田沙耶香の『消滅世界』

それに、今更村上春樹の『1Q84』も読んだ。
その感想もちょっと書く。

先にあげた2つの本、両方とも生(性)の正しさ
がテーマになっている本だった。

読みながら、大学生の時に読んだニーチェの道徳の系譜を思い出した。

何が正しいかなんて、時代の中で都合よく書き換えられるものなのに。人はそれに縛られて、翻弄されて、自分から苦しむ。

時代の正しさに翻弄される主人公の語りを聞きながら、もっと自分勝手に生きればいいのに。自分の都合のいいように生きればいいのに、と思った。どうしてそこまで世界の常識に拘るのか。否定しながらも。その根幹にはものすごい不安があるのかも。自分であることの不安。だから何かに縋って、例え苦しいことになろうとも、それを信じるのかも。

自分の欲求を抑えようとすればするほど、それは強い形で出てきてしまうんだろうなと思った。

だから、私は自分の望みに忠実に生きる。どこまでも我儘に。人生なんて儚いものだから。

「そんなに焦らなくても、大丈夫だよ」
って自分でも思っても。本当に自分が求めていることだからこそ、できるだけ確実に叶えたい、それだけ。

同時に、世間のメッセージ、適齢期とか
それは科学的に証明された事実でもあるけど、その裏にくっついた人口的な策略に踊らされる人生は嫌だ。私の人生は、私のものである。命のリレーとか、そういう誰のためか分からない、誰のものでもない運動に携わる気はない。私は泥臭く人生を生きる。色んなことを経験したい。

『1Q84』に書いてあった、人類学の目的

「人が自立しつつも、何かに属するというポジションを獲得できるようにすること」

大学生の時に、人類学勉強しててよかった。

今日のノートは今の私にしか通じない内容。
誰宛でもない、私のために、思うままに書きました。

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