一人称「私」の男性キャラっていいよね

一人称が「私」の男性キャラが最近熱い(個人的に)

まず、これは現実社会の話だが──男性が「私」という一人称を使うときには、公的な立場で発言していることが多い。
翻って、一人称が「私」の男性キャラ=公的な役職についている≒責任ある立場にいることが多いという方程式が成り立つ。

そして、責任ある立場にいる男性キャラはどこか苦悩を帯びていることが多く、つまるところエッチなのである。
とはいえ、彼らは露骨にエッチなのではない。禁欲的で堕落していないからだ。高い立場にあるもの「として」行動するとき、人は禁欲的にならざるを得ないのである。
だが、そこには堕落を厭うものだからこそのエッチさという逆説がある。《聖テレジアの法悦》がエッチなのと同じだ。恍惚に浸る聖女の姿は、ときとして娼婦──例えばそれは《オランピア》のような──よりも甘美だ。扇情的だ。

ついでに言えば、一人称「私」の男性キャラはどこか優しそうな印象を帯びているのも良い。まあ、「優しげなヤバいヤツ」というパターンもあるんですけどね。ボンドルドみたいに。
この優しげな印象の正体は何ともいえない。「私」という一人称を使う人物に通常女性が多いゆえに、一人称「私」の男性キャラには、中性的でソフトな印象が付与されるということなのか。一人称「私」が使われているような公的な空間においては、粗野な言動が行われないということなのか。まあ、一人称「私」の男性キャラって、往々にして敬語キャラも兼ねているしね。
理由はよく分からないが、一人称「私」の男性キャラはしっとりとした優しげな雰囲気があっていいですよね。エッチだし。

私はこういう、責任ある立場の優しげな男性キャラがぶち折れたりぶち折れなかったりするのが大好きなのである。
また、こういうキャラの良いところは、狂気が静かなところだとも思う。穏やかに冷静に、常人の有様から外れていくのも彼らの魅力だ。

そういうわけで、一人称が「私」のエッチな男性キャラがもっと増えてくれることを祈っている。

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