私が「まともな人たち」に感じていた透明な壁の正体


1.高校時代に同級生に感じた「透明な壁」

(これはキリスト教関係あるのかな、ないのかな…。当の母に聞いても分からないだろうな)

今日は、私が高校時代に母から受けた「社会的に虐待」の話をします。

私が30歳前後でトラウマ治療(心理療法)を受けていたとき、カウンセラーに話したことがあります。
「私は今でも、まともな人の仲間には入れてもらえないんだと思っています」

その先の説明をカウンセラーから求められた私は、
「自分と世の中の人たちとの間に、透明な壁のようなものがあるのを感じます」
と説明しました。

そして、いつからその壁を感じることになったのかを問われた私は、高校生の時からだと答えました。

カウンセラーは釈然としない様子でした。
高校時代は、表面的には私が一番順調に過ごした時期だからです。兄弟が荒れて家の中は常にメチャクチャでしたが、同級生とは無難にやれていました。

カウンセラーは言いました。
「たとえばね、貧困ってトラウマになるんですよ。周りから見て分かる貧困は、確かに透明な壁を感じるきっかけになるかもしれない。ただ、あなたの場合は貧困家庭ではなかったからね…」

私もその時は答えが出ませんでした。
しかし、それから2ヶ月ほど経ったときに思い当たったものがありました。

2.私服の高校なのに、服を買ってもらえない

私は母からの激しい教育虐待でメンタルを壊しながらも、


なんとか志望校(正確に言うと、母が行かせたかった高校)に合格しました。

その高校は制服がなく、私服登校。
母は私をこの高校に入れるために散々暴行を加えておきながら、いざ私が通い始めると、服を買ってくれませんでした。

「今時の服は可愛くないから」と理由をつけられ、私は母が若い頃に着ていた服か、近所のお姉さんのお下がりの服を着て、通学していました。

(今思うと、近所の人も何か感じてお下がりを大量にくれたのかもしれません…。)

基本的には、いじめられることはありませんでした。でもズケズケ言ってくる子はいたし、でも言われても私にはどうしようもないしで、ひたすら心を麻痺させていました。

何よりも私は思春期に差し掛かったあたりから、
母親から「ブスに育って許せない」と暴力を振るわれていました。だから、
「私はブスなんだから、おしゃれをしても虚しいだけだ」
と諦めていたんですよね。可愛い服を着たいとも、とっくに思わなくなっていた。

そんなわけで私は何も感じていなかったけど、本当は辛かったはずなです。その高校は、裕福な家の子が多くて、同級生が「この服東京で買ってきたの」みたいな話をしてるんですから。
(未だに覚えてるあたり、私もよほど悔しかったのだ…)

私が高校入学時点で、中学時代のいじめのトラウマを抱えていたのは事実です。
でも「服を買ってもらえない」ことで、ますます「ああ、私はこの中には入れないのだ」という絶望感を無意識に膨らませていきました。

3.社会的虐待は、被害に遭っても気付きにくい

カウンセラーは私のこの経験について「社会的虐待です」と説明してくれました。
私はそんな虐待があるとは知らず、それゆえに殴られなければ虐待されてないと信じ込んで生きてきたよ…。

私が30歳過ぎまで苦しんできた「世の中の人たちとの間の透明な壁」の正体は、これだったんです…。

当時はなぜ自分がそう思うのかは分かってなかったけど、どうせこの人たちの中に入れないならと休み時間は本ばかり読んでたな。

読書は好きだったけど、私の休み時間は「1ページで何分、休み時間がすぎる」とカウントしていくような、ひたすら時間を塗りつぶしていくものでした。だから、読んだ本の内容はほとんど覚えていないんです…。

私の育った家は、貧困家庭ではありませんでした。母は何がしたかったんでしょうね…。

遠くへ行くな、自由に羽ばたくなと羽根をもいでおいて、いざそれで飛べないと折檻を加える。やっていることがメチャクチャなのです。

今日は、虐待って身体的暴力・暴言以外にもあるんだよというお話でした。

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