クリスチャン2世(元)が読む、荻上チキ『宗教2世』

荻上チキさんがまとめてくださった『宗教2世』、ようやく読み終えることができました。
内容の重たさを考えると、抜群に読みやすい本だったのに、私は少しずつしか読めませんでした。

本にあった宗教2世当事者の声は、私と同じ宗教、宗派の人のものもあれば、そうでないものもありました。
しかし当事者の宗教がちがっていたとしても、私と似た経験、方向性は似ていてより過酷経験ををしている方が多かったです。

一文ごとに自分の感情が吹き出してきてしまい、少しずつ、あいだを空けながら読みました。

この記事では、伝統宗教の2世として感じたことを書いていきます。

1.伝統宗教の2世問題を取り上げていただいたことへの感謝

まず、伝統宗教の2世も仲間に入れていただけたことが嬉しかったです。
荻上さんの文章を2箇所、引用します。

他方で、「カルト2世」という言葉でくくることによって生じる問題もある。それは、「伝統宗教には2世問題がない」といった誤解を生みかねないことだ。「あたかも伝統宗教には問題がない、むしろ良いものだという価値観があることで、自分の葛藤が理解されにくい」というのは、2世の自助グループなどでもしばしば話題となっている。(18頁)

宗教を口実に、人権が制限されたり、厳しい宗教教育を受けたり、信者ではない周囲の人々との軋轢を味わうという体験は、伝統宗教の2世であっても持ちうる。 たとえば伝統宗教のなかでも、性愛などの価値について、保守的・抑圧的・差別的な価値を持つものが少なくない。(19頁)


私も、クリスチャン1世の母親やキリスト教に対して、強いわだかまりを覚えてきました。
教会について言いたいことは、色々あります。

それでも統一教会やエホバの証人の2世3世に比べたら、私の経験などとるに足りないものです。


それでも「あなたにも宗教2世ゆえの苦悩があるのだ」と肯定してもらえることが、どれほど心強いことか…。

また「私たちはマトモだから関係ないもんねー。悪質な団体のせいで迷惑」と他人事であろう伝統宗教サイドにもボールを投げてくださったのは、率直に嬉しかったです。どうせ知らんぷりだろうけど…。

2.「私ひとりではないんだ」と思わせてくれた本

2-1.性愛のタブーと生きにくさ

『宗教2世』を読む中で、キリスト教系の宗教は性的タブーを押し付けられるケースが多いことを知りました。

そういえば私も、婚前交渉は罪だと教え込まれてきたので、恋愛への恐怖がありました。
違和感を覚えたり、苦しんだりしたのは私だけじゃないんだと、ほっとしました。私の感じ方がおかしいわけではないんだと。

クリスチャン同士の結婚を勧められたという経験も載っていて、ああ、これも私だけじゃないのかと。

2-2.教団の不祥事に対する疑問

私が自分の所属していた(今も名簿上は所属している)教団に強い疑問を持つようになったのは、
教団内で起きていた小児への性的虐待事件でした。
ニュースは主に海外のものですが、日本国内にも被害を訴えている方はいらっしゃいます。

以下は、私が組織に不信感を抱くようになった理由です。

・被害者と加害者の数も衝撃だった上、それが長年にわたり隠蔽されてきたこと。
・多くの聖職者が見てみぬふりをしてきたであろうこと。
・そして教会内の人たちが、その事件に対して無関心に見えた(なんなら悪く言われていると被害者モードだった)こと。

これだけの被害者が出ていて、隠蔽もされていて、どうしてこの団体が「まとも」という扱いになるのかも理解できずに、当時は苦しかったです。

そんな折、『宗教2世』の、宗教に疑問をもったきっかけとして、性的虐待事件を挙げている方がいて(133頁)、とても驚きました。

私と同じ宗派の方もチキラボの調査に回答していたこと。そして、おかしいと思ったのは私だけじゃなかったことに。
そして驚いたと同時に嬉しかったです。

『宗教2世』は、宗教2世当事者の声、専門家のことばだけでなく、政治やジェンダーと宗教との関係まで、幅広い論点が網羅されています。
勿論そちらも必読です。

ただ、私がこの本を通して何度も感じたのは、「私はひとりではなかったのだ」ということでした。
自分が今まで感じてきたことを肯定することができました。

3.本を作ってくださった方、声をあげてくださった方への感謝

まずはこの本を世に出してくださった方々に心からの感謝を。
そして調査に応じることを通して、声をあげてくださった2世の皆さんにも、心からの感謝と尊敬を。

同じ宗派の方の回答は、団体名が書いていなくても、「ああ、うちじゃん!」って分かるものなんですね。私がいた教会は、穏健なはずだけど、それでも問題はあることを再確認できました。
私だけじゃないんだ!というのがとても嬉しかったです。

声をあげてくださった方がいたことで、私がいた教会も、人知れず悩んでいる2世はいた(今もいる)のかもしれないと考えるようになりました。

私は教会や社会に対して、物申そう気持ちはありません。

ただ声をあげないことは、存在しないのと同じ。
誰かを助けようなどと大それたことは考えていませんが、もしも「ああ、私だけじゃないんだ」と思う方がいたなら、嬉しいです。

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