教会以外での結婚が罪なのは、教会がお役所だったから⁉︎

私が子供のころから結婚まで通ってきた教会では、「教会で挙式をしない結婚は、正式な結婚ではない。それは姦淫の罪だ」と教えられていました。

クリスチャン以外との結婚もOKだったので、キリスト教のなかでも穏健な教会だったと思います。
ただ、当時の私はキリスト教に違和感を覚えるようになっていました。率直に「『姦淫の罪』ってすごい表現だな」と思ってしまったのも事実。

この疑問については、
「ああ、なるほど。教会がキリスト教社会でどういう存在だったかを考えれば、納得だなあ」
と気づいたことがありました。
今日はそのことをお伝えします。

気づきのきっかけは、私の結婚でした。
私は諸々葛藤を経て、クリスチャンでない男性と教会で式を挙げて、結婚しました。
この挙式までの手続きが少々面倒くさいのです。

・洗礼を受けた教会に保存されている洗礼証明書
・在籍している教会にある証明書
の2点を、挙式したいと考えている教会に提出しなければいけません。
手配は各教会の聖職者同士で行います。

挙式を希望する教会の聖職者と面談していたときに、私はふと
「こんなに書類がきっちりしてるなんて、教会ってお役所みたいですね。」
と言いました。
すると聖職者の側も、
「そうなんです。教会って、お役所なんですよ。記録がしっかり残ってるから、重婚なんてできないようになっています」
と答えてくださいました。

「教会=お役所」という視点は新鮮でした。
でも、なるほどと思いいたることもありました。

たとえば教養番組で、ヨーロッパの歴史上の人物の生涯を紹介するとき…。まず誕生の記録が保管されているのは、役場ではなく教会です
「◯年△月□年、洗礼式」という記録が取り上げられることも多いですよね。
昔は生まれて少し経った日に洗礼を受けるのが一般的でした。そのため洗礼≒誕生の記録になります。

そしてその人物の生涯は続き、◯◯教会で結婚式、△□教会で葬儀(礼拝またはミサ)、と重要なライブイベントは全て教会で行われ、記録されていきます。

今でいう、出生届、婚姻届、そして死亡届を役所に提出しているのと重なる
のではないでしょうか。

昔、教会で執り行われていた結婚は、今でいう婚姻届の提出で成立する結婚に相当していた。

そう考えると、当時のキリスト教社会で、
「教会を通さない結婚=正式な手続きを踏んでいない結婚≒ちょっと道を外れたかな…」

と捉えられるのは、ごく自然なことだとも考えられます。


その部分が今も残っているんだと思えば、教会でで結婚するのかどうかという部分も気楽に考えられるんじゃないかな。
キリスト教全盛だったころの、教会と人々の関係がどうだったのかを考えると、見えてくるものも色々ありそうですね。


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