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ギャルにもっていかれるワケ

ギャル。なんとも、民度の低い響きである。

缶ビール片手に咥えタバコ、ロータリーに座り込み、ドンキー、ヤンキー、ミッキーが大好物。

綾瀬はるか好きな私からすると、近寄りたくもない存在だ。

がしかし、昔から清純派好きな私だが、以前結婚していた時の妻は元ヤンであった、、。
そして最近、よくデートするムスメも、ギャルである。

何故なんだ!何故もっていかれる、ギャルに?!

そんなジレンマを最近抱えている。

そんなどっちつかずなToo shy shy boyな私なりに、色々とギャルについて考えてみた。

ギャルの恋はボニー&クライド
ボニー&クライドの話を知っている人は少なくないと思うが、禁酒時代のアメリカ、ピストルをぶっ放しながら、前しか見ていない二人は銀行からぶん取った乗り切らない札束を後方に撒き散らし、けたたましくサイレン鳴らす警官隊に追われながら車で疾走。そんなルパン三世の一コマを地で行っていたカップルである。
最終的には警官隊の銃弾に散る二人であるが、そんな刹那的な生き方に共感する人は多い。
「あんたの為なら死んでもいいんよ!、ウチ!」と言ってくれそうな、そんな一途さがある、ギャルには。
きっと女子アナのように、2手3手先を読んで生きている人間にはそんな事は言えない。オツムの弱さとトレードオフした、「オレが守ってやらなきゃ」という可愛げがあるし、ギャルといういで立ちとのギャップである。

軽い割に意外と身持ちが固い
やらせそうでやらせない女。それがギャルである。身持ちが固いのである。そこには確固たるプライドと、「イケメンアウトローにしか抱かせない」というギャルとしての気高い生き方、こだわりがあるのである。
多くの人間は、「やれそう」という事で好奇な目を向けるし、ワンチャン、近寄る。が、彼らは、そんなヤワな口説きにはなびかない。殴り合いの末、血塗れでボロボロ、でも目は死んでいない。そんなバルボアのような姿に惚れるのである。大抵の優男には、そこまでする度胸もなければ、甲斐性もない、そもそもよくよく考えるとそこまでする必要もない。
なので、案外、経験も少なく、裸になればウブなギャップにもっていかれるのである。これが、打算的にプロデューサーと呼ばれる種族にはバシバシマタ開きながら生きてるビッチ系清純派にはない色気であろう。

庶民的で母性的
ギャルは、最低限、ドンキにコンビニ、イオンがあれば生きていけるのである。彼らは散財をしない。自分の稼ぎでしっかり生きているのである。港区くんだりで、芸人との遭遇待ちをし、その泡銭にぶら下がって飲み、抱かれては「彼」と吹聴し、シャンパンの最後の一滴を手の平に落としてはすすり飲み、空いたボトルをコソコソ持ち帰って写メに残し部屋に飾る。そんな俗っぽいハイエナのようなマネはしないのである。彼らは、町の大衆酒場でも呑めるし、おっちゃんとも絡める。そして、酔ったおっちゃんを献身的に支える母性も兼ね備えているのである。横丁ブームに乗っかりたいのか、一人で来れない二人組が立ち飲みに飛び込み、オヤジ転がせると勘違いするもドギツイ下ネタで返り討ちにあう、そんな俗物インスタグラマーとは違うのである。

さて、私なりの「ギャルの良さ」をご紹介させていただいたが、いかがだっただろうか。

ギャル。それは気高きライオンのようでもあり、なかなかホントの姿を見せないイリオモテヤマネコのようでもある。絶滅しかけたと思うと新たな進化で返り咲き、一定の枠を常に確保している家系ラーメンのような存在でもある。

ギャル。落とせないんだろうな、と思っていても、「怖いお兄さん出てきそう」と思っていても、ついつい近寄りたくなってしまう存在。

ギャル。騒いでるの見ると鬱陶しいが、いなくなると寂しく感じる、そんな存在。

嗚呼、ギャル。

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