メメント・モリについて

メメント・モリ

 一度は聞いたことがある言葉かと思います。「死を想え」「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味だそうです。僕が初めて聞いたのは子供の頃ですが、「それによって今を大切に生きられる」「後悔のないように生きよう」みたいな解釈の方法まで添えてもらって、「ふーんそうか」と、そのぐらいの温度で受け止めた記憶があります。
 今は、メメント・モリについてそれなりに腹落ちできているつもりでいます。個人的には「だから今を大切に生きよう」「後悔のないように」といった解釈は、さらに歩を進めたところにある考えという印象で、「死を想え」というこの地点に留まって味わうことの方が大事な気がしています。

 現代では物資が豊かになり、法の整備等によって秩序と安全がある程度保証されています。そのため、現代人が高確率で陥る罠というのが「生は本来、過酷なものである」という事実を忘れてしまうことです。毎日決まった時間に食事ができること、空調のきいた部屋で過ごせること、他者から害意を向けられないこと(善意によって接せられること)、というのが感じ方のレベルで当たり前になってしまう。こうなってしまうと人は、どんなに恵まれてもさらに欲望するようになるし、幸福に対する感覚が鈍くなってきます。
 世の中に悲劇のエンタメがあり、成立しているのはこの土台の上にあると思います。当然に与えられるべき(と信じられている)ものが奪われることへのある種の感動がないと成立しない。悲劇を見たときに生の過酷さへ想いを馳せる感動というのもありますが、それも「本来はそうなのだ」というところへ回帰する心の動きです。

 メメント・モリは「死を想え」という言葉ではありますが、僕はそのまま「死」のみを想え、忘れるなということを言っている言葉ではないと思います。あくまでも、「メメント・モリ」が指し示す忘れてはいけないことの全体を象徴するものとして、「死を想え」というように言われているように感じられます。そしてこの「忘れてはいけないことの全体」を感じる。静かで謙虚な世界への向かい合い方というのを味わう。その先にあるのが「今を大切に」「後悔のないように」といった、個々人の解釈の進め方なのかなと思います。個々人の解釈と言ったのは、「だから人に優しくしましょう」「だからご飯に感謝しましょう」みたいなものも、人によっては当然あり得ると思うからです。

メメント・モリの先にあるひとつの解釈

 『ロマンティックあげるよ』という昔の歌ですが、これはとても素敵です。ドラゴンボールのブルマというキャラが映っているエンディングムービーで流れるため、女の子が、勇気と冒険に生きている男の子への想いを歌っているようにも見えます。また、そのような生き方へ応えてくれるのが世界なのだというか、そのような生き方をして世界に向かって手足を動かしていきましょうというか、そういったより広範囲のものを語っているようにも見えます。個人的には、前者(ひとりの女の子の、ひとりの男の子への想い)を象徴として後者(広範囲のメッセージ)を歌っているのかなと思います。

 それでは聞いてください。姫森ルーナで『ロマンティックあげるよ』


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