見出し画像

子育てを通しておきざりにしてきた自分に気づかされる

 小学5年生の娘には、国語の宿題で「本読みをする」というものがある。娘はその宿題がすごく嫌なようで、学校に行く日の朝に仕方なくやっている。夜に本読みすればいいものをやりたくないがゆえにぎりぎりの登校時間にする。私は「嫌ならならなければいいんじゃない?」と伝えているが、やらないという選択肢は娘の中にはなくて、嫌々ながらも仕方なくやっていて、朝の時間に追われているときに「ママ、本読み聞いて!」と言ってくる。
 今朝のこと。登校前に本読みをする娘。今日は時間に余裕があったのに、じっくり聞くことにした。よくよく聞いてみると、10ページはある物語の一部分(2~3ページ)だけ読み、本読みカードには、さも全部読んだかのように書いてあり、サインを求めてくる(本読みには保護者のサインが必要である)
 私は「全部読んでないんだから、読んだページ数をちゃんと書くべきだと思うよ。じゃないとサインしないよ」と言った。私の意見が気に障ったようで、娘は不貞腐れながら私にサインをもらい、学校に行ってしまった。
 娘が学校に行っても、この出来事はモヤモヤとして胸の内でわだかまったので、自分を振り返ってみた。すると、「ああ、私はちゃんとやっていない人を見ると腹が立つんだなー」と思っている自分に気づいた。そのルールで自分自身をも縛ってきた。でも本心ではテキトーにしたい(ちゃんとしないでもOKにしたい!)し、テキトーにしている人を見ると羨ましい。羨ましいと思っている自分にすら気づいていなかった。私の持っている変なルールで、娘を縛っていたなと気づいたので、帰ってきたら「ママはちゃんとやっていない人を見ると腹が立ってきて、でも本心ではいい加減にすることを、それをできる人を羨ましく思っていて、それが自分でもわかっていなかったからすごく腹がたったんだー」と説明しようと思った。
 子育てを通して置き去りにしてきた自分に気づかされる。ありがとう、本読み。私も本読みが嫌で大嫌いだったけど、嫌ながらも我慢して真面目にやってきたんだなー。頑張ってきたな、私。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?