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古今集巻第十七 雑歌上 920番

中務のみこの家の池に、舟をつくりて、おろしはじめてあそびける日、法皇御覧じにおはしましたりけり。ゆふさりつかた、かへりおはしまさむとしけるをりに、よみて奉りける
伊勢
水のうへにうかべる舟の君ならばここぞとまりといはましものを

中務の親王の家の池に、舟を作りて、降ろし初めて遊びける日、法皇御覧じに御座しましたりけり。夕去りつ方、帰り御座しまさむとしける折に、詠みて奉りける
伊勢
水の上に浮かべる舟の君ならば此処ぞ泊りと言はまし物を

敦慶親王の邸宅の庭の池に、舟を作って、池に降ろして、初めて管弦の宴をした日に、宇多法皇がご覧にいらっしゃった。夕方、お帰りになろうとする時に、詠んで奉った歌
伊勢
水の上に浮かんでいる舟が法皇陛下ならば、ここが舟の泊まりです、と言いたい、今夜はここにお泊りになってほしい

「中務のみこ(なかつかさのみこ)」は、敦慶親王(あつよししんのう)。中務卿(中務の長官)であったので、この名があります。宇多天皇の第四皇子。とても美しい男性であったと言われています。
伊勢は、宇多天皇の中宮温子(おんし)に仕えつつ、はじめは藤原仲平や時平兄弟(最後は左大臣、太政大臣)や平貞文(左兵衛佐、桓武天皇のひ孫)と仲良くなります。その後、宇多天皇と仲良くなり、皇子を生みましたが、皇子はすぐに亡くなります。さらにその後はこの敦慶親王と仲良くなって娘を生んでいます。
伊勢に対して、宇多天皇は5歳ほど上、藤原仲平、時平、平貞文はほぼ同世代、敦慶親王は16歳ほど下です。
この歌を詠んだ時は、この敦慶親王の邸宅に住んでいたのでしょう。宇多天皇は出家して法皇になっていますから、「今夜はここにお泊りになってほしい」は、「ごゆっくりお過ごし下さい」の意味で、「寝所にお越しください」ではありません。
君主を舟に例えるのは、「君者舟也庶人者水也(くんは舟なり、庶人は水なり)」(筍子)に依るそうです。

#古今集 , #雑歌上 , #伊勢 , #敦慶親王 , #宇多法皇 , "舟, "泊り

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