犬のしつけの失敗を教本のせいにしちゃダメ
自分の失敗を他人のせいにするのはいかがなものか
noteで犬のしつけについての気になる投稿を見かけたんですが、noteの空気にそぐわないと思うので、URLを貼るのはやめておきます。なるべく一般論として書きますが、要するに、
犬を躾けるためにその手の教本を買って参考にしたけど失敗した。
本に書いてある通りに体罰もやったけどダメだった。
ってことで、そこまでなら良いんだけど、
こんな本は参考にしないで。
みたいな余計なことが書かれていたんです。
私はブログで、教本や「専門サイト」の類はデタラメばっかりだと指摘しているので、この方が参考にしたという教本も疑わしく思ってますよ。でもね、自分が勝手に参考にして、ダメだったからその本のせいだというのは筋違いも甚だしいと思いますよ。
自分の例だけをもって、それを単純拡大して「私がダメだったんだから皆にとってもダメ」ってことにするなんていう思考回路は近視眼的も良いところ。失礼ながら、そもそもそんな幼稚な人が犬なんて飼ってはいけないんです。
対症療法的しつけ法は基本的に間違っている
犬のしつけについて私もよく相談されますが、特定の問題行動について「こんな時はどうすれば良いですか?」と聞かれた場合には決まって「対症療法を求める時点で間違っている」と答えます。
教本や専門サイトの類は、ほとんどが対症療法的な説明をしていて、だからダメだと言うんです。実際、そういうソースから情報を得てしつけをしていても、「教えられたとおりにやってるのになぜ」なんて飼い主はいくらでもいます。
「獣医さんに言われたようにやってるんですけどどうしてもダメで」
その獣医さんから「どうすれば犬がこんなに言うことを聞くのか」と私は聞かれたことがありますが、これまた答えに迷います。相手が獣医さんならまだ良いんですよ、話が早くて。
「こいつらは僕以外に何も怖いものがないんです」
と言ったら何となく理解してもらえたようです。
しかし素人さんにこんなこと言っても「犬によほど恐ろしいことをしているのか」と誤解されかねません。
本来なら「信頼関係が築けているから」とでも答えるべきでしょうし、その通りなんですが、なんせ犬のしつけにおいて「犬も家族」と同様に「信頼関係」ほど安売りされる言葉もなくて、使うのに抵抗があるんですよね。ウソばっかり書いてる教本や専門サイトだって使ってる言葉なんだから、もううすら寒いんです。
問題は「その信頼関係とは何か」ってことなんですが、これを皆は理解していないからしつけもできないんです。
貴方は叱ったつもりでも、犬は叱られたと思っていない
話がやや抽象的過ぎるので少しずつ具体的に。
例えば、飼い犬の無駄吠え(凶暴性)に困っている飼い主さんがいるとします。「ココア、ダメでしょ!お友達でしょ!コラ、ココア!」といくら叱っても犬は牙を剥いて狂ったように吠えるばかり。
そこで私に聞いてきます。「どうすれば治りますか?」と。
私の回答。
「貴方は叱ったかもしれないけど、犬は叱られていません。貴方は自分だけが分かる言葉を発して【叱ったことにした】だけです。今のやり方は無意味どころか、逆に犬を煽ることになります。叱るなら犬を後ろから引っ張るんじゃなくて、犬の前に立ちなさい。それで言うことを聞かなければ、犬の首を持って押し倒し、動けないようにしなさい」
こう言えば「ふむふむ、なるほど」とその場では真剣に聞くんです。
ところが同じシチュエーションになると、全く同じことを繰り返すんです。多くの飼い主が、ですよ。
あるいはおやつの与え方。
袋をガサガサしだした途端、犬は飛びついてきます。人間は圧倒されて後ずさり。慌てておやつを出して飛び跳ねる犬に与えます。
「そういうおやつの与え方をすると犬がバカになりますよ。前に出ることはあっても後ずさりは絶対にしちゃダメ。二本足で立ったり飛び跳ねてる犬に与えるのも【興奮すると良いことがある】という間違った学習をしてしまうのでやめてください。言葉で制するのが難しいなら、まずは自分が座って犬を落ち着かせてください」
「あー、そうなんですね!」とやはりその時は真剣に聞くんですが、次も全く同じことをします。
犬と言う動物を感覚で理解するということ
ここで想定しているのは女性の飼い主ですが、こういうケースで私の言うとおりにやる人はせいぜい2割くらいでしょうか。残りの8割は感覚優位の人で、自分の感覚がOKならOKだし、NGならNGなんです。つまり、いくら論理で説明しても、感覚がNGを出している以上それを実践しようとはしないんです。
私と彼女らでは、犬に対する感覚が全く違います。
この感覚そのものは言葉で教えることができないのでどうしようもありません。が、「言ったとおりにやる」ということはその気にさえなればできるはずなんです。でもやらない。
分類するとこうなります。
(1)感覚で犬を理解できる人
(2)感覚では犬を理解できていないけど、しつけをする意志は十分にある人
(3)感覚として犬を理解できず、本気でしつけをしようともしない人
本当はもう少し細かく分類できるし、また男女でもかなり変わってくるんですが、細かい話は後日に回すとして、件の投稿者はいわば(2)と(3)の間にいることになろうかと思います。
(3)ならいっそスッキリするんですが、しつけをしようという意志そのものはある。でも教えられた内容をそのまま実践できなかったり、疑ってしまっている。すると、そもそも自分ができなかったことなのに、その方法が間違っていることにしてしまう。
そういう飼い主からよく聞かれるフレーズが「この子には合ってない」。
その方法が「間違っている」とか「この子には合ってない」とかあなたが判断できるなら、その前に【その子に合った】【正しい】しつけ方を自分でやれば良いんです。
自分本位のしつけは今すぐやめよう
私がブログで書いていることの根幹部分には「自分本位の飼い主の愚かさ」というのがあります。
「可愛がる」
「高いお肉を買ってきて与える」
「似合う服を犬に着せる」
これらの主語は全て「私」であって、犬との間には物凄く分厚い壁があります。自分主体でしか考えられないから犬のことが分からない。犬のことが分からないから、トレーニング方法を教えられても自分の感覚だけで判断して、「この子には合っていない」と勝手なことを言ってしまう。
この記事に詳しく書いてありますが、しつけに失敗するとなかなか「自分のやり方が悪かった」とは認められないもので、「この子の個性だ」「がんばれワタシ♪」みたいなポエムでギャップを埋めてしまいがちなんです。
繰り返しますが、「感覚として犬を理解する」と言うことは強制できません。納豆嫌いな人に「納豆を食え」と言って食わせることはできても、「納豆を好きになれ」と言ったところで好きにはなれません。それと同じで、この感覚そのものは教えることができません。その感覚を持てない人ができることは、しかるべきスキルを持つ人がやっていることを機械的にまねていくことだけです。
それすら出来ないということなら……犬が可哀想というしかありません。
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