モンゴル版「王さまの耳は驢馬の耳」──佐々木理『ギリシア・ローマ神話』(講談社学術文庫)
僕が生まれる前には江戸期の随筆からの流れを感じされるこういう「学匠随筆」(褒め言葉)があったのだなあ。文章の呼吸とか間合いが楽しいのでゆーっくり読んだほうがいいよなあこれは。
題に反して、これは入門書・概説書ではない
そっけない題から想像するような入門書などではなくて、ホントに高度な古典逍遥(featuring民族学)の随筆。
これは学生時代に読んでたら投げ出してただろう。ってかいまでも教養と名文に圧倒されてついてくのがやっとだ。
著者のフットワークは軽く、ギリシア神話を語りながら漢詩やアステカ民話、そして19世紀の英国詩人スウィンバーンなど、引き出しのレンジが広い広い。
なにしろ55年前の本でもあり、その後の神話学・人類学の知見からすると問題なしとしない部分も多々あろう。著者はジェイムズ・G・フレイザー、ジェイン・E・ハリソン、ギルバート・マレーといった、神話の背後にまず儀礼・宗教行事を見て取る派の研究者で、本書で披瀝した推測のなかにはその後の研究成果によって留保をつけられた推測もありそうだ。
けれど、とにかく読んでて優雅であります。著者はクセノポンやハリソンの訳で名を知っていたが、これは懼るべき文人です。
モンゴル版「王さまの耳は驢馬の耳」
とくにおもしろかったのがオウィディウス『変身物語』中のミダス王の「王さま野耳は驢馬の耳」についての話。
モンゴルの『シッディ・キュール』(説話集か?)に類話「驢耳汗」があるとのこと。
驢耳汗てなんかすごいな。「ステップの英雄ロジ=ハン」みたいな語感。
生まれつきの驢馬耳を長髪で隠した若い王は理髪師の世話になるたびにこれを殺して秘密を守っていた(『アラビアン・ナイト』の外枠物語に出てくるシャハリヤール王みたい)。
当然世間はこれを怪しむ。
ある日お声がかかった青年理髪師の母はひとりっ子なので心配し、米粉と自分の乳で団子を作って持たせ、仕事中に食べろと言う。
理髪師として独り立ちできる子がひとりっ子で弟妹がいないのに乳が出るのかというツッコミはナシだ。
青年は王宮で散髪しながら団子を食べる。王の散髪中に団子食っていいのかというツッコミもナシだ。
王もひとつもらって旨かったので製法を尋ねると、理髪師の母の乳が含まれるというので
「それ食った以上は乳兄弟だから、無下に殺すわけにはいかんな」
と箝口(いま知ったがほんとは「かんこう」ではなく「けんこう」と読むようだ)を命じて理髪師を帰す。
植物ではなく動物が秘密を漏らす
青年理髪師は無事生還した。
とはいえ背負った秘密の重さのストレスで病みつき、僧医の診断でメンタルの病と診断された。
ついに母の助言で、荒野の地面に
「王さまの耳は驢馬の耳」
と言いつけるが、そこにあった穴のなかの栗鼠から森じゅうの動物に秘密が漏れる……。
オウィディウスでは地面に生えてた葦が秘密を漏らしたが、こちらは動物だ。
話はその後も続くが、なにかとママパワーの強いヴァージョンなのだな、このモンゴル版は。
とにかく楽しかった
ポセイドンに間接的に殺されたヒッポリュトスを、彼が信奉していたアルテミス(ローマ人はディアナと同一視した)が医神アスクレピオスの力を借りて蘇生させ、ネミの森の女神のパートナーであるウィルビウスとしたという説(181頁)とか。
シュメールのギルガメシュ=ギリシア神話のオリオン=『創世記』のニムロド(ノアの曾孫)のライン(129頁)とか。
アポロンに寵愛されたヒュアキントスが事故死し、その流血から生まれた花はヒアシンスではなく飛燕草、千鳥草という説とか。
章によっては、後期澁澤龍彦のような軽みのある風通しのよい文章も見られ、最初に〈ゆーっくり読んだほうがいい〉と書いたものの結局一気読みしてしまいました。
佐々木理(ただし)『ギリシア・ローマ神話』(1964、のち講談社学術文庫)。
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