本を読めなくなった人のための読書論

若松英輔『本を読めなくなった人のための読書論』(亜紀書房)抜書と、Dr.スースについてのメモ

 若松英輔『本を読めなくなった人のための読書論』(2019、亜紀書房)には、大事なことがいろいろ書いてある。以下、抜書。

奇妙に聞こえるかもしれませんが、読書は、「ひとり」であることと、対話が同時に実現している、とても不思議な出来事なのです。〔5頁〕
ですから、私たちは本から聞こえてくる「声」を受け入れる準備をしなければなりません。〔6頁〕

本を読めなくなった人のための読書論

文字の「正しい」読み方はあります。しかし、本の「正しい」読み方は存在しません。〔25頁〕
多くの本を読むのも素晴らしい経験です。しかし、ほんとうに「読めない」本に出会うこともまた、それに勝るとも劣らない重要な出来事なのです。〔47頁〕
読書を楽しんでいる人たちの多くは、自分の読みが、不完全であることを受け容れているのです。そして、誰かと競争するように読むことも止めています。〔113頁〕

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 この最後の引用なんて、同じ現象を僕が書いても、このようにクリアには書けないし、もっと底意地の悪い書きかたになってしまったはずだ。

 事情があってこの2年半以上、本が読めない。単純に、読む時間と体力がないのだ。
 この本は僕のために書いてもらったような気がする。

 切なる感情は、私たちを人生のほんとうの目的へと導いてくれます。そこには他者が入る隙間がないのです。
 誰とも競争せず、誰かに何かを誇るためでもなく、ただ、自分の中にある「切なるもの」を愛〔いつく〕しむのです。〔175-176頁〕

 ところで、まったく関係ない話。今朝、『本を読めなくなった人のための読書論』を読む数時間前に、ある米国人とDr.スースの絵本『キャット イン ザ ハット』(1957。日本語訳があることをいま知った。伊藤比呂美訳、河出書房新社)の話になった。

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 その人の夫は英国人で、だから(と言っていいのか)Dr.スースのどこがおもしろいかまったくわからない、と言うのだそうだ。
 英米の「おもしろいのツボ」はたしかに大きく異る。そして、たしかにDr.スースは現代の米国人の心のふるさとみたいなものだのだろう。

 若松英輔さんの新刊の話とDr.スースの話は、いずれも僕にきょう起こったことである以上の共通点はない。日記のようにただ並べて書いてみただけです。


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