嘘と間違いとフィクションの違い

 何度も繰り返していますが、僕たち人間は、慣習的にフィクションとノンフィクションにたいして抱く期待が違います。そのことからわかるふたつの重要な事実を、前々回前回と述べてきました。

 そしてきょうは3番めの重要な事実について書きます。それは、
(3) 虚構表象(フィクション)と非虚構表象(ノンフィクション)との違いは、現実と照合して決めることはできない。
 ということです。

 間違いは、発信者がその内容を信じています。発信者は、発話が間違っていると気づく(あるいは指摘される)までは、それが正確だと信じ切っています。間違いもノンフィクションなのです。

 嘘は、発信者がその内容を信じておらず、受信者を騙す(受信者に実話と信じてもらう)意図があります。嘘もノンフィクションなのです。

 なお、嘘をつくためにはある程度正確な知識が必要です。子どものころ、TVで池波正太郎原作のドラマ『鬼平犯科帳』をやっていました。主人公の火付盗賊改方長官・長谷川平蔵(1745-1795)を、僕は《必殺シリーズ》の中村主水や007ことジェイムズ・ボンドなどと同じく、架空の人物だとばかり思っていました。もし当時の僕がクラスメイトをかつごうと意図して、
「長谷川平蔵ってほんとにいたんだよ」
と言ったとしたら、嘘をつこうと思って、間違ってほんとうのことを言ってしまったことになるでしょう。

 このように嘘や間違いや極端な誇張といったものは虚構ではなく、たんに「現実と一致しない非虚構言説」なのです。

 さて、フィクションのばあい、発信者がその内容を信じていない点は嘘と同じですが、受信者を騙す意図もありません。だから作り話であることを(通常は本文内ではなくパッケージで)オープンにしています。夏目漱石は自分が猫であるということを読者に信じてほしくて〈吾輩は猫である〉と書いたわけではありません。
 フィクションの条件とは、
「これは作り話であり、実在の人物・団体との類似があったとしても偶然のものである」
ということを作品本体の外でなんらかの形で主張する(たとえば「小説」と銘打って発売される)ことです。

 もちろん、いずれのちの回で述べる予定ですが、かぎりなく実話そのものを書いたかのような小説もあり、そのばあい、その本文外の主張はあくまでも建前あるいは儀礼的な身振りにすぎないということになります。
 しかしだいじなのは、コンテンツの内容が現実と違うかどうかということではなく、あくまでもコンテンツが本体の外でその主張をおこなっているかどうか、という点にあります。

(つづく)

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