仏教に見る人と人との関わり
どもども。青木です。
実は青木、小学校の頃近所にあった曹洞宗のお寺で毎年夏に座禅合宿みたいなことをしてたのです。皆で座禅を組んだり、掃除をしたり、お経を唱え、ご飯を食べて寝る、みたいな。だからって仏教に詳しいわけではないのですが、先日 書きものをしていた時に仏教でも人との出会いについて触れてるなと思ったのでちょっと紹介。今回は特別オチがないです。
仏教では人生を”一切皆苦"であるとしています。
この苦は苦しいということではなく思い通りにならない様を指しています。
一切皆苦である人生の中でも代表的なものに四苦八苦、という言葉があります。
四苦とは生老病死。さらに四つの苦として、
愛別離苦:愛する者と離別すること
怨憎会苦:怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦:求める物が得られないこと
五蘊盛苦:心身を思うようにコントロールできないこと
の4つです。ちなみに苦の原因となる煩悩は108あるといわれています(諸説あり)。※他にも三毒、四諦、五蓋など色々似たようなのがあります(失礼
これらの苦をどうこうしよう、ということで念仏を唱えたり、座禅をしたり、何もしなくてもいいよ、といった教えが様々あるわけです(ごめんちょっと雑で)。
ここに諸行無常(すべてはうつり変わるものであること)、諸法無我(すべては繋がりの中で変化していること)を理解すると、涅槃寂静(あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定して幸せに生きることができる。さとり。)にたどり着けるわけです。
さて、先に出てきた四苦八苦と108の煩悩。
どうやら108煩悩の考え方が先にあり、四苦八苦の考え方が後からできたそうです。当時の人はどんな考え方をもって煩悩の中から8つを選び、しかもそのうち2つが人との関わりとなるのだろうかを少し考えてしまうわけです。この世はどうしようもないことが溢れており、中でも人との繋がりについてはしようのないこととしたのか。
そんな仏教も発祥の地インドではイスラム勢力による征服、バラモン教やヒンドゥー教の進展により仏教は衰退。仏教は伝来先の東アジアで独自の発展を遂げることになります。
歴史とともにその姿かたちを変えながら現代まで続いている仏教はまさに諸行無常、諸法無我を体現しつつ、それでも四苦八苦の考えは現代にも通じる、というのがまた面白いと思うものです。
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