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小休止 TAISYを振り返って

どもども。青木です。

ついに夏がやってきたような陽気ですね。

Draper Universityのプログラムで夜中まで英語と格闘していた先週とは変わり、久しぶりにゆるりとした時間を過ごしています。とても良い機会なのでTAISYについて振り返ってみようと思います。

1. TAISYを思いつくに至ったまでに色々考えたこと

学生時代に心理学や行動経済学に興味を持ったことが始まりのような気がします。数ヶ月に一回、図書館で気になった本を大量に読むというマイブームがあり、その中で出会ったものです。そこで「へぇ、こんなものもあるのか」と思ったこと、震災復興ボランティアで気仙沼大島の仮設住宅コミュニティづくりに行ったこと、超大型台風ヨランダの復興支援でフィリピンのクリオン島に行きハンセン病の回復者に会ったこと、日本のハンセン病隔離政策に興味を持ったこと、自分自身がNPOで無給なのにゴリゴリ活動していたことから「大学生がボランティア活動に取り組むモチベーション」について研究したことなどが基礎となっています。

震災について書ききれることなどありませんが、避難先でうまく馴染めず自殺してしまった方、逆に家族を失ったという絶望にありながら島のために活動している方々。大島では「自分のことで精一杯なのに他の人のことなんてバカでもないとやってられない」ということで“おばか隊”と呼ばれていました。

ハンセン病の歴史を通して学んだことは差別の歴史。群馬にある栗生楽泉園ではハンセン病回復者が建てた石碑に大きな衝撃を受けました。

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また、クリオン島では現地の人たちとのコミュニケーションが心に残っています。私達が島についた時、現地で受け入れを担当してくださった社会人の責任者が「日本の友達と交わす約束のように“また来るね"とは言ってはいけない。」と教えてくれました。私達より前に来ていた日本人の学生が現地で約束をしてしまったそうです。私達メンバーそれぞれに、「ユウキはいないの?また来るって約束してくれたの」と訊いて回っていました。
先程の責任者の方は多くの国を回って写真を撮る仕事をしていたのですが「彼らは島から出たことすらない。なのに目の前に国を超えてやってきた人がいるんだ。そんな人達の言葉はスーパーマンの言葉と一緒なんだよ。信じるに決まっているだろう?よく“日本の子どもたちと違って目がキラキラ~"というが、そういうことだ。」と教えてくれました。

社会人になってから私は大阪に赴くことになりました。
自分でもよくわからないところはあるのですが、当時かなり孤独感があったように思います。何か大きな出来事があったというよりは細かな出来事が積み重なるように。ダンススクールに通ってみても仙台のスクールを思い出していましたし、古くからの友人がいなかったせいかもしれません。"恵まれた境遇にありながら満たされない"感覚がありました。

そこが起業を思い立ったときに、"世の中にないサービスを作ろう"と考え、"人と人との孤独を解消するようなサービス"という大筋の方向性が決まりました。

その頃、一人でアイディアを作って考えるのがとても難しかったのでいろんな交流会に行っていました。"全員と名刺交換"というようなものはさすがによくないと思っていたのですが頑張って知らない人に声をかけるわけです。

つらすぎる。

一応プロフィフィールを眺めて関係あるかなと思って声をかけても、自分が期待していた話でないこともあるわけです。そうすると興味のない話でも自分が話しかけた手前聞くしかない。ということでけっこうMPを削られていました。まぁでも「この人とはこういう話をした」というのを覚えておくといつかどこかで使えるんじゃないかなと思っていました。

そんな中で見つけたのはコミュニティマネジャーという仕事です。
たまたまコワーキングスペースというものに出会い、「青木くんちょっといい~」という感じで声をかけていただいて人を繋いでもらったのです。まぁ紹介ですね。

「あ、これ良い」と直感的に思いました。話題は仲介者が作ってくれるし、最悪仲介者の話をすればいい。繋がるべき人も繋いでもらえる。ということが最初に考えたことでした。
青木の話で出てくるひいおばあちゃんのこともここで思い出しました。仲人を数多く務めていた人で、まさに紹介をとても上手に使いこなしていました。

そこから少しずつ解像度を上げていき、次の2点に気づきました。
・紹介は簡単に人へ信用を付与できる
・繋いでくれようとしている人がよく「えーと、誰だっけな」「あれ、何話したっけ?」と思い出せない課題を抱えている

ということです。ここから
「誰と何を話したかを記録していくことで人のネットワークは無限に広がっていくのでは」と思い始めます。

2. "ヒト"の徹底観察

"人間は非合理的な生き物"といわれます。
インターネットによって世界中が繋がったはずなのに、世界の人と日常的に連絡を取っているわけではありません。
facebookをやっている人は多いのでネットワーク効果があるはずなのに今の20歳そこそこの人は使っていないといいます。
説明すればメリットはわかるはずなのに、人は目の前にある手段に手を伸ばさない。これは非常に面白い。

ということで心理学や社会学をひっくり返してみます。
そこで“人間ってこういうことしちゃうもんだよね”と書いてあることは生物学まで掘ってみると妥当だと思えるような理由がありました。その中で次のような示唆が得られました。

・ヒトはそもそも全く知らない個体と出会うことを不安に感じる。
・ヒトは自分に関係ない人とは"私はあなたに興味がありません"というアピルを積極的に行う(電車の中でスマホをいじる、じろじろ眺めたりしない、など)。
・ヒトが一度に認識できるネットワークは150人までといわれている。これはヒトの群れのサイズと同等であるとされる。
・生物としてのヒトの進化スピードよりも社会の進歩スピードの方がはるかに速い。
などなど。そういったことを勉強しているうちに、人間は非合理的な生き物なのではなく、異なる合理をいくつも持っている動物なのだと考えるようになりました。人間の社会的側面(べき論、文化的感性)よりも動物的側面(とはいえ論、動物的感性)に沿うことが大事なのではないかという仮説を持つようになりました。端的にいうと、“こうすべき”より“これは気持ちがいい”という方がヒトにとってフィットしやすいと思うようになったのです。

ヒトにとってフィットしやすいものは文化的な隔たりを超えて多くの人が使ってくれる、そう考えています。

3. 人類の新たな生活様式といえるサービスを作ってみたい

さて、そんなヒトの話を踏まえて実現したいことといえば、先に挙げた150人のネットワーク限界を超えるサービスを作ってみたいということです。
それゆえ、「1日に100人と会っても1人目を思い出せる」というコンセプトで聖徳太子から"TAISY"という名前をつけたのです。

人は紹介によって知らない人とスムーズに繋がることができます。
でもそのボトルネックになるのが人の記憶です。
人と人との距離の前にその人自身を思い出せるかどうかが最も重要です。

ではそもそも人はどんな時に(積極的に会いたくもない)知らない人に会いたいと思うのか。それは自分の課題解決を期待してのことです。自分の課題を自分の手の届く範囲で解決できない課題を解決することについて人は人と繋がる理由ができます(社会の成り立ち)。

ではその課題はどこにシェアされているのか?
「私は今困ってます!」と叫びながら歩いている人はそう多くありません。
日記帳にしたためている課題はきっと見せてもらえないでしょう。
SNSに上がっていますか?全く知らない人や疎遠な人、苦手な人から解決の申し出があるとしんどい気持ちになるからそれもナシです。

そんな探しづらい課題は、会話の中にあると考えています。
ある程度の親密性がある間柄でないと人は弱み(≒課題)を見せたくない生きものです。なので親密性が感じられないところで人の本当の課題にリーチすることは難しいことなのです。

さて、では仮に課題がたくさん集まった時にその解決策、具体的に紹介する人は自分のネットワークで誰を選んだらいいでしょうか?
ここで上記の150人の制約があると限界がきます。これまで培ってきた人脈の中で、誰が何を得意としているかを覚えておくのは不可能です。では全てシステムに任せればいいかというとそれも違います。「この人はこの人と合うはずだ」という感覚は人間が得意とすることです。仮に課題と解決策でマッチングをしようとしても人同士の相性があります。気難しい人か、年齢差があっても大丈夫か、自分がお願いしやすい人か、などなど人の紹介には数多くの変数があります。それ故、質の良い紹介をたくさん作ることは会話を基本としたデータベースを作って記憶をシステムが担保することで。人を紹介する際の組み合わせを考える力(編集力)は脳の力を借りることで実現可能だと考えたのです。

質の良い紹介とは課題を持っている人の課題が、解決策を持っている人が気持ちよく解決されることを通して全員が繋いでもらう二人、そして紹介をした人の三者がハッピーになることです。これってけっこう気持ちいいことだと思っています。

もし質の良い紹介をシームレスに、また量を増やすことができれば多くの課題を持っている人と解決策を持っている人がマッチングしまくることになります。人のコミュニティの限界、つまり課題解決の流通ができる限界を150人とすればその限界を突破できるのです。世界平和に到達できるのではないかと思っています。

とはいえ、記憶のシステム化が課題です。
"質の良い紹介"が気持ちいいとはいえ、会話を基本としたデータベースを作るのは気持ちよくないです。会話を全部録音されていると思えば録音している側も気持ちよくお話しできません。ある程度の編集はしたいけれど、手で入力するのも面倒だろうな、と思ってインタビューしてみるとGoogleスプレッドシートに会話情報を入力するオペレーションはあるものの忙しくてできない、という課題を見つけました。これがコワーキングスペースについてもっと踏みこんだきっかけです。

4. Why Community, Why Co-working Space 

なぜ私がコミュニティに強い関心があるかというと、上記のような課題⇔解決をメンバー内でぐるぐる回している人間の集団が"質の高いコミュニティ"だからです。

人がコミュニティに所属するのは2つ。1つは自動的に組み込まれるコミュニティ(出身地や家族など)、もう1つは自分で能動的に入るコミュニティです。しかし、コミュニティを継続的に活用する理由は1つです。

自分にとって有益性のないコミュニティに人は所属し続けない。

例えばプロフィールに出身大学や企業を書かない人がいます。そういった人達はそのコミュニティが自分にとってメリットをもたらさないと考えるからです。

コミュニティにおける課題⇔解決関係は非常に面白いです。シンプルなビジネスの課題からプライベートな課題、もっと細かくいけば”寂しい”みたいな課題も解決されています。ただ、井戸端会議のようなコミュニティでやり取りされている課題のほとんどは"話を聞いてほしい"だったりもするので少しやり取りされる課題のレベルが弱い。課題のレベルが弱いと解決に広いネットワークも不要です。そうなると先程の記憶のデータベースを作る必要性も薄いわけです。

コワーキングスペースの話に戻ります。
コワーキングスペースでコミュニティを作ることが意味していることは入居者や周辺にいる人との間の課題解決です。この課題解決の先には入居者のビジネスが成長することを意味しています。先程申し上げた"有益なコミュニティ"を実現することで入居者の事業が成長してより大きな部屋を借りてくれたり、長く入居してくれたりという経済合理性があります。

また、"有益なコミュニティ"を構築する担当者は、その仕事内容が見えづらいという課題を抱えています。メンバー間の課題⇔解決のサイクルをガンガン回すことでコミュニティの価値はぐんぐん上がります。故に課題⇔解決が促進されるような、紹介が促進されるようなサービスを最初に提供するのに最適なユーザーだと考えているのです。

5. さいごに

TAISYは今少しずつ顧客の解像度を上げ、リリースの準備を進めています。

私はTAISYが人々の生活様式を変え、課題を抱える人が一人で悩まない世界をつくるサービスであると信じています。生きていれば多くの課題にぶつかります。課題に立ち向かうことができず自ら命を絶ってしまう人たちがいる一方、周りの助けを得て再び立ち上がった人たちも見てきました。

"和を以て貴しとなす"聖徳太子が制定した十七条の憲法の第一条に出てくる言葉です。この条文では「世の中に理想的な人格者なんてあまりいないもので尊敬できないところなんてたくさんある。しかしそれでも人と人とがきちんと議論し合えば、おのずから道は開ける」ということが書いてあります。

ここからも"和"とは体裁を取り繕うものではなく、お互いに正しくぶつかり合い、理解し合うことが本質といえるでしょう。日本古式の「リスペクト」なわけです。お互いに異なることを尊重し、力を合わせること。そういった思想と経済合理性の交点にコミュニティがあると考えています。
ちなみに"和を以って”は"やわらぎをもって”とも読むそうです。

勇気を振り絞って課題を伝えた人が、ちゃんと誰かを紹介してもらい、救っわれる世の中を実現していきます。

とーっても長かったので最後まで読んでいただきありがとうございました!

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