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ペテルブルク滞在記 #3

2日目、案の定朝5時に目が覚める。外を見ると空は曇っている。2GIS(旧ソ連ではメジャーな地図アプリで、予め必要な都市のデータを落としておけばオフラインで使える)にはネフスキー通りと別の方角に有名な観光スポットがあったので、歩いてそこに向かった。が、前日より寒く、流石にヒートテック着たり重ね着をして外出。喉乾いたから飲み物買いに宿近くの売店に入ったら、目の前にグラサン掛けた軍人がレジで会計していたので萎える。人通りの少ない、プロパガンダ広告が目に付く曇りの街はまさにdoomerであった。
目的地はスモーリヌイ修道院であったが、徒歩で行くには距離があってバスに乗るべきだった。この日も祝日の朝で人通りは少なく町並みは少し寂れ、出稼ぎ移民数人ぐらいしか見かけず、とにかくスリに遭わないように気をつけた。そんな中でも出勤中なのか歩きタバコしながら一人で堂々歩いて行った若めのスラヴ女性を見かけて、肝の強さに少し惹かれた。
途中で煙突が2つある工場のそばを歩いたが、敷地内の建物には軍人が描かれたポスターが。ちゃんと調べていないが、おそらく国営か政権に忠実な企業のものであろう。というか、そうでないとこの国でデカいビジネスはやっていけない。

スモーリヌイ修道院への道中。
歴史的な建物が残る地区だが、それでもDoomer

そうこうしているうちに30分くらいで修道院に着いた。後から知ったが、当初は女子教育のための修道院として建てられて、ソビエト政権樹立後は革命本部として使われていた。だから修道院隣の公園に、やたらレーニン等のプレートが掲げられたモニュメント?やマルクス・エンゲルスの胸像が設置されていたんだと帰国後に知って納得。その公園には犬と散歩している女性が複数いたし(猫好きばっかで犬好きは少ないと思っていた)、あと桜の木も植えられていた。少し葉桜になっていたので、後もう少し早くて且つ天気が良ければな…と。
肝心の修道院はロシア帝国の歴史が感じられるものだった。全体的に青というか水色に纏っていて美しかったが、これが晴天だったら映える光景だったんだろうなと。地方から来た修学旅行生っぽい学生団体が来ていた。建物を一周した後、寒さが限界でバスに乗って中心部に戻る。

修道院横の公園にあったソ連時代のモニュメント?
この金色の文章のキリル文字のモダンなフォントは地下鉄構内にもあって気に入ったものの
ネットで情報が見つからない…
修道院と桜。映える写真が撮れず
スモーリヌイ修道院。曇り空がバックでも味わいがあるが…

バス窓から友人が勧めてくれたカフェ(チェーンだけど)を見かけたので途中下車して入った。そこで肉入りのピローグ(パイ)とコーヒーを頼み朝食を取る。若い女性店員が自分を外国人と気付いて英語で話してくれて、やりとりがスムーズに進んで気持ちよかった。食事も美味しく、身体も温まり改めていい1日が始まったと思ったら、店出てすぐに乞食に金をせびられてキレて逃げる。良いことと悪いことが表裏一体の数十分で萎えた。

テンションが落ちたままだったが陽が出てきて、何となくネヴァ川沿いを歩く。古いヨーロッパの街並みの川沿いを歩くのは何て気持ちいいことだろうか。そしてエルミタージュ美術館に入る。初めてペテルブルクに来て、見に行かない訳にはいかない。開館時間ちょうどだったのでチケットを並ばずに入館できた。

まあ感想としては、事前に友人から聞いていた通り広すぎる。自分は美術に詳しい訳ではないので(でも作品を見て癒されたりインスパイアされたりする)全てをじっくり見るつもりはなかったが、もう少し下調べして効率的に堪能できたらよかったかと。とにかく、作品や建物の装飾の豪華さを堪能できた。みんなが羨ましがる豪華なロシアを象徴する空間だった。ダヴィンチの原画をこの目で見れたのは良かったかなと。あと歴代の皇帝が座った王座が展示されていたが、その空間だけ見るからに地方から来たような短絡的愛国者っぽい人たちがそれをバックに自撮り写真ばかり撮ってた(要は客層が他の部屋となんか違う)。西洋ばかりではなく東洋も、シベリアや中央アジアの出土品が展示されていたのはやはり広大なロシアならでは。日本の甲冑や掛け軸も展示されていたな。


おまけ:美術館の日本ブース?で展示されていた甲冑。多分本物

3時間くらい歩き回って美術館を出た途端、目の前には戦車が停まっていた。見回したら、建物前の宮殿広場で軍事パレード(のリハーサル?)が行われていた。5/9の戦勝記念日を控えていてネフスキー通りを始め街中に大祖国戦争関連の広告やゲオルギーリボンの装飾があったが、その集大成的なイベントである。広場には多くの軍人がいて厳重体制が敷かれながらも、周囲から多くの大衆がスマホで動画撮ったりして眺めていた。通りに抜けるためにフェンスに沿って歩き続けたが、OMONの集団(覆面マスクをした特殊部隊の男たち。反体制運動で反戦的な発言をした一般人を警棒で殴って取り押さえて護送車に連れ込んでいた人たちでニュースで見たことある人はいるだろう)を目の当たりにしたときには冷や汗をかいた。別に自分がダメなことをしていないけど、何か誤解を与えるようなことをして言いがかり付けられたら終わる。変な罪悪感にも駆られてさっさとネフスキー通りを目指した。が、その通りは真昼間でも堂々と車両通行止めにされて軍人の行進が行われていた。聖イサーク大聖堂についたが、周りの広場の駐車場は貸切状態で警察車両ばかり停められていた。途中で歩道を青少年軍の少女2人がニコニコ話しながら走っていたが、こちらがそれを見て微笑ましくなる心の余裕がない。この愛国思想に染まったであろう少年少女たちは成人後に自らの意思で戦地に赴くか、あるいは終戦になっても価値観がこびり付いて取れないのかもしれないかと思うと憂いた。
現実逃避するように無計画に歩き続け、気付いたら前の日と同じセンナヤ広場周辺に着いていた。川(というか運河)の風景を見て一旦は心が落ち着いたが、その川沿いの道にもOMONか国家親衛隊のらしき護送車が何台か停まっている。万が一に備えてスタンバイしているのだろう。風情ある街並みを台無しにさせてくれる。そろそろ疲れたので視界に入ったカフェに入った。店内にダンスホールが併設されていたが(その時は真っ暗で誰もおらず)、モニターにYouTubeか何かで男女のツイストダンスの動画プレイリストが流れ続けててモノクロの古いアメリカのもあったので、そういう趣味が高じている店だった(さっきまでの愛国主義が満々な空間とのギャップがすごい)。そこで客は自分だけの状態でコーヒーを飲んで気を落ち着かせた。

写真撮ったのは前日だが、再び「罪と罰」の舞台へ。
この町並みに護送車が何台か停まっていると雰囲気は台無しになる。

初日からモヤモヤ感じ取っていたことが2日目で露骨に表面化したが、この戦時下にロシアに行って、「みんなが好きなロシア」と「嫌いなロシア」の二面が表裏一体として否が応でも目の当たりにさせられたのは実感した。エルミタージュの中にいるときと外に出た時の対比は、まさにこのことを象徴していた。日本にいて上手く情報を取捨選択できれば、文学や音楽など好きな文化だけを存分に堪能することができる。逆にネガティブな情報だけ探し続ければ、とことん悪い国(人々)だと批判することはできる。でも、実際の現地はどうなのか。自分の目で見た限り、市民がある程度の水準で文化的でリベラルな生活を送れていてぱっと見は自由に過ごせているような感じでも、社会的な土壌はあのクソハゲ率いる政府が支配しているのである。そして異を唱える人々を平気で排除・拘束する。反体制派・反戦派は国外に逃げたり声を上げて捕まったりした者がいるが、それでも街中で声に出さずに今まで通りの生活を続けている者が大多数である。それは自分の友人も然り。お金だったり仕事のこともあるし、簡単にそれらを棒に振ることはできない。ただただ外野から声を上げろ国から出ろと言うのは偽善的でもある。街を歩いていて人々は普通に暮らしている感じだったし、暗い表情の人は全然見かけなかったし一見平和なように見えた(もちろんガンギマリ愛国者もちょくちょく見かけたが)。が、やはり戦争やウクライナの話題を出すのはタブーな雰囲気は漂っていた(自分がロシア語に堪能だったら会話を聞き取ってまた違う印象を抱いたかもしれないが)。まあいつも通りの生活を送ることで、メンタルを何とか保つことができているかもしれない(これはシューリマンが開戦直後に人々に投げかけていたことでもある。彼女は現在ベルリン在住の政治学者で、リベラル派から絶大な支持を受けている)。
また、この滞在中は最後まで街中でハゲの写真やイラスト等を見る機会がなかった。テレビをつけない限り、あいつのことを忘れてペテルブルクを満喫できたかもしれない(もしかしたら売店で売っている新聞にはあったかもしれないが)。おそらく(国というより市の)当局も察しているかもしれない。その点では社会主義国家とは違うことを表していた。その代わり、「Z」がハゲの身代わりとして戦時下であることやこの戦争の正当性を表してきた。文字そのものや戦争関連の広告が。それらを見ただけでも、形を変えて権威主義体制に組み込まれているということを嫌々訴えてくる。小説「1984年」のビッグブラザーが見ているかのように。
※余談だが、市内のオシャレな人気スポットの書店に行ったとき、「1984」と書かれたトートバッグが売られていて、取っ手部分には"Big Brother is watching you"と書かれているデザインだった。絶対に今の状況を皮肉か批判的に暗示するデザインだし、空港の売店にも売られていたので人気なんだろう。
そういう意味では、現地に足を運んで自分の目で見てきて良かったとは思う。尤もフィールドワークするのならばジャーナリストや研究者に任せるべきではあると思うし、ただの音楽好きが数日間の観光で行くのは程度が違うのは承知している。批判されて当然だが、自分的には行ってよかった。勿論多くのことで楽しむことはできたが、戦地というかウクライナの人のことを考えると申し訳なさが出てくる(なので、自分が現地に落とした分の額を宇に寄付しようと思う。今すぐに一括は厳しいが)。

Big Brother is watching you (違)

話を戻すと、その後は夕方の約束の時間に友人と待ち合わせ、Kinoのコピバンのライブを見に行った。それ以降は音楽・料理・モダンアート(エラルタ美術館)に分けて纏めて綴ろう。今回はここまで。

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