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ペテルブルク滞在記 #2

本文と関係ないが、先日この橋から川に路線バスが転落して乗客が犠牲になった。
すぐそばの歩道橋を渡っていて、何となく写真に収めてた。

朝から3時間くらいノンストップで歩き続けて流石に疲れてきた。でも腹が減ってなくて店に入る気が起きず。足を休めるのも兼ねて、とりあえず地下鉄に乗ってみることにした。ソ連特有の地下深くのプラットホーム(防空壕を兼ねているが、ペテルブルクだと地質的に尚更深くせざるを得ない)を纏っているアートな装飾を見に。改札通って3〜4列ある長いエスカレーターのうち1つに乗ることになるが、新御茶ノ水駅のあれが延々続くようなと書けばイメージできる人がいるかな?でプラットホームは駅によるが、あたかも宮殿のような豪華な装飾のものがあればシンプルでモダニズム満載なものもあったり(特に後発で作られた駅はその傾向)。何よりも一部の駅で世界初のホームドアが採用されているが、それは東京メトロ南北線の駅の壁みたいなフルスクリーンのやつからガラスを無くした感じ(壁も装飾されてホームの天井や柱と一体化したデザインを形成している)。つまりホームで待っていても音でしか電車がやって来たことが判断できず(到着のアナウンスもないし)、電車に乗っていても慣れないとドアが開くまで駅に着いたとは思えない(トンネルの途中で赤信号で止まった感じ)。何よりもホームドアがギロチンの如く勢いよく閉まるので、挟まれたら絶対怪我するし駆け込み乗車は見るからにNGである。車両は新型もあったけど、基本はソ連時代の設計のやつばかりに当たった。車内は暗かったり明るかったり。日本の車両ほど快適では無いが、最低限はあるという感じ。
※写真は一切撮っていない。捕まるリスクが高くなるので(撮影OKかもだが戦時下なので念の為)。気になる方はGoogle画像検索で

ただホームまでの長いエスカレータの道中には広告がいくつもあったが、可愛いイラストが描かれたどっかの店か何かのものに混じってZのものがあった。ゲオルギーリボン柄の「Z」ならまだしも、兵士の写真と愛国的なプロパガンダ文章(「祖国に誇りを持て」みたいな)、挙句にはドネツク・ルガンスク人民共和国の旗が掲げられたものまで。たとえテレビを付けずSNSから離れたとしても、Zは日常生活に忍び寄る。あと電車に乗ったら目の前に「Z」のキャップを被った愛国オッサンと鉢合わせしたりした(自分が気分を害しただけで何も起きず)。ニュースやSNSで見聞きしてた残念な一面は否が応でも直面せざるを得なかった。
※ちなみにキャップで思い出したが、何故かニューヨークヤンキースのロゴのキャップを被った市民をちらほら見かけた。全員アメリカの野球チームのものだと理解しているとは思えないが、現地で人気だったりするのだろうか…?

そして中心部のネフスキー通りに戻り、流石に腹が減ったのでスタローヴァヤ(食堂)に入る。まあ入ったのは全国どこでもある人気チェーンで(コロナ前のウラジオストクにもあった)、そこでコミュニケーションに苦戦しながらボルシチやプロフを頼む。しかし一等地の大通り沿いにある店で綺麗だったが、店員は見るからにウズベクやキルギスばかりで(後者の若者は完全に日本の大学生にしか見えず)、店員同士の雑談もそっちの言葉でしている。一瞬だけペテルブルクよりもタシュケントやビシュケクにいる気になる。まあ、とにかく安かったし美味しかった。

そういえばロシアにタジク人とか中央アジア出身の中東系な見た目の出稼ぎ労働者がブルーカラーで多くいるが、3月に起きたモスクワのテロ以降にその辺からの出稼ぎ労働者が不法移民取り締まりとかで帰国されられる&入国させないで減っているとは聞いていて、その通りにそんなに見かけない印象だった。その前だったらもっと見かけたかもしれない。街の規模がペテルブルクより全然小さいウラジオストクの時より見かけない気がした(あっちはバスの運転手がほとんどそっち系だった)。なお、見るからに北コーカサス(ダゲスタンやチェチェンとか)はちょこちょこ見かけたがあれは同じロシアなので、一応。アルメニアっぽい人もいたけど、長くロシアに住んでいたりキリストだったりして風当たりが強くないっぽい?

「ラスコーリニコフのアパート」にあるドストエフスキーのプレート。
「罪と罰」は主人公がこの部屋を出る所から始まる。

その後、センナヤ広場に移動した。ドストエフスキーの「罪と罰」の舞台。まだ読んでいないが。実際に彼が本を執筆したアパートや舞台となった建物が現存している。小さめの運河も流れていて町並みは美しい。
実はその前に方向を間違えて駅から逆方向に向かったが、そこには露天のバザール(センナヤ市場)があった。入ってみたら客や店員はほとんどタジク人とか中央アジア系(さっきは少ないと書いたが、ここだけ例外的に密度が高かった)、売り物も青果や靴や上着、鞄が中心で、安いけど衣類品は偽物ブランド品やコピー品ばっかって感じ。雰囲気はここだけロシアではなく(ロシア人は全然見かけない)、本当に中央アジアや中東って感じ。上野のアメ横みたいでもあったけど、あれより小さいし汚い。市場に併設して近代的なショッピングセンターがあり、そこに入れば安全圏って感じだった。ウズベクっぽい中年男性と女性が待ち合わせして「サラーム」と挨拶したのを見かけたが、祝日の昼過ぎだしシチュエーションが何か怪しく不倫現場にしか見えず。
※ちなみに、自分が市場に入ろうとしたとき、タジキスタンの軍か警察の若い男性5人くらいのグループも向かって行った。

まあカフェでアメリカーノのホットコーヒーを飲んで休んだりしたけど、流石に眠気にも襲われてきたので一旦ホテルに戻って仮眠とった(寝れたのは一瞬だけだったが)。夕方のネフスキー通りは人通りが多く(祝日で国内から多くの観光客が来ていたのもあったが)、これが普段の姿なんだろうなと連接バスからガラス越しに眺めた。まあ京都みたいなイメージだと思ってもらえば。
その日の夜は(18時でも日が暮れる気配なし)仕事終わりの友人と合流してモダンなロシア料理を食べ、レコード屋とか回った。音楽とか料理については時系列に沿うよりも分野別にまとめて別途書き綴ろうと思うから今は割愛。22:00頃にやっと日が暮れて友人と別れて早めに就寝した。また5時くらいに必然的に目が覚ますのが予想できていたから。その日はここまで。

最後に、この日は季節外れの暖かさで22℃とかそれくらいだった。インナーはヒートテックしか持ってこなくて、ジメジメしてないだけマシでも暑いし後悔した。

ユスポフ宮殿。
ラスプーチンはここで銃に打たれたりボコされたのに、
まだ生きていたので目の前の川に投げ捨てられて死んだ。
今は博物館だが入館料が高く、入るのは止めた。



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