それでも残しておこう

首里城のこと。

なぜこんなにも辛いのかと考えている。

10月31日、普段は一度寝ると起きないのだがなぜか4:30頃に目が覚めた。何気なくスマホでTwitterを開くと、燃えている写真、が続々と。テキストには「首里城」の文字。そこから目が冴えてSNS上をさまよい続け、宜野湾の僕の家からは見えるはずもないのに外に出て首里方面が見えそうな場所を求めてさまよい続けた。

なにがこんなに辛いのか。

考え続けて、ふと、「魂の飢餓感」という言葉が頭をよぎる。

亡くなった翁長前知事が使っていた言葉。今、自分の中の感覚はこれに近いのではないか。

沖縄戦で何もなくなった。沖縄には『誇れるもの』がなにひとつ残らなかった。もちろん人やその人々の心は誇れるものだが、形ある『誇れるもの』は全てなくなった。戦争直後は生きるため、復興していくために必死だっただろう。形ある『誇れるもの』はなくとも、人がいて歌と踊りがあって笑いがあって、苦しい中でもウチナーンチュらしく懸命に生きて来ただろう。その生き様は『誇り』だ。

けれど、生きていく上で少し余裕が出てきた時、ふと立ち止まって周りを見渡すと形ある『誇れるもの』がないことに気づく。沖縄のアイデンティティーを探す。が、ない。見当たらない。なぜないのか?地上戦で何もかもがなくなってしまったから。

それが「魂の飢餓感」ではないか?

その飢餓感から抜け出す為のひとつが首里城という存在だったのでは?

「先人」とまでは言わないもっと近い世代の「先輩」たちが想いと情熱を懸けて復元した首里城。そのおかげで僕の世代は「魂の飢餓感」を感じることはなかった。500年前の「先人」の想いはピンとこないけど、戦後74年を生きてきた「先輩」たちの想いは自分の中にも流れている。

だから、あの炎の中で崩れて行く姿を見て、辛さと苦しさに襲われ、今は「飢餓感」を感じている。

前向きに捉えるならば、この感覚を味わえた事で生まれたエネルギーを新たな創作に注げる。自分の心を整理するにはもうちょっと時間が掛かりそうだけれども。

そして、こっちも時間が掛かるが、首里城を必ず再建する。

これからの「後輩」たちの為に。


自分の中にある感覚を言葉にするのは難しい。

言葉にすることで感覚を残せるが、言葉にすることで散り消えていくこともある。

それでもバカなりに言葉で残していこう。そうしないとただのバカで終わっちゃう。

真面目なバカでありたい。


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