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 ミズキ達はヒナの熱が落ち着いたら二人交代でヒナを背負いながら進んだ。ミズキにはこの大地に引かれた人の定めた国境が分からない。タモンが大体の目測で山を一つ越えておこうと言うので、その通りに山越えを急いだ。

 それでも、天を焦がすほどの火の柱を見た。あの大きな門を破る為に、大量の爆薬を使っているのだろう。轟音と共に地鳴りのような振動が山々を震わせ、それを恐れた獣が一斉に逃げ出して行く。

 遠く、マホロバの国へ視線を向けたタモンはしきりに目をこすり始めた。

「う……」
「大丈夫か、タモン? 目が痛むのか?」
「いや……。見える」
「え?」

 タモンは今の景色に重なって遠く離れたマホロバの国が見える、と言った。目を閉じると今の景色は見えなくなり、代わりに鮮明にマホロバの国が見えると。巨大な城壁を見下ろすように、まるで鳥になったみたいに。

 目を開いて歩くと景色が混ざって気持ち悪くなりそうだ、と。ミズキは目を閉じたタモンを近くの切り株に座らせようとして肩に手を置いた。途端に、ミズキにも見えた。まるで自分が鳥になったみたいに空から、あの国を見下ろしている。

「僕にも、見えるんだけど……」

 でも、タモンから手を離すと見えなくなる。タモンを通して遠くの景色が見えるなんて初めてだ。ミズキは背負っていたヒナをそっと下ろして、タモンと並んで腰かけた。

 何度も、何度も、大きな爆発音が響き渡る。大きな門を壊すために壁へ爆弾を仕掛けたのかと思ったが、違った。爆弾を、人が背負っている。おそらく忍びだろうとタモンは言った。

 もしかしたらあの中に、忠告してくれた男もいるのかも知れない。爆発が起きる度に人の命まで散っているなんてミズキは寒気と吐き気が止まらなかった。

 やがて、一際大きな火柱が立ち上ると分厚い壁に穴が空いた。そこから一気になだれこんだ大軍勢が兵士も民も容赦無く切り捨てていく。あっという間に国を支配していた姫神子を打ち倒し、壁が壊れてからの戦は瞬く間に終わった。

 だが、国の周囲を膨大なマモノが取り囲む。それに向けて攻め寄せた兵士達は捕らえた証の子を押し出す。混乱の中、証の子らは平静を保てず、マモノを打ち倒せずに飲み込まれる者も多かった。

 見ているだけで、ミズキには何も出来ない。それでも恐怖にすくむ子を庇って戦う者もあり、必死で朝まで保たせた。

 夜通し、戦の様を見続けたミズキとタモンは、朝焼けと共に何も見えなくなり、目を開いた。今のが全て、夢だったら良いのに。だが、おそらく現実に起こったことだ……。

「マモノ、大きくなっていた……」
「ああ」

 争う人々を取り囲んでユラユラ揺れていたマモノ達は見る間に大きく膨れ上がっていっていた。このまま大きくなっていけば、マモノはいずれ天を覆って太陽を隠してしまうのでは無いか。

 そうしたら、この世に夜明けは二度と訪れないのでは無いか。ミズキは、震えが止まらなかった。

「……ミズキ、俺は少し人里に降りてくる。お前は休んでいろ」
「でも……」
「今は休め。俺は確認してくる」

 ミズキは頷いて、ヒナを守れる場所を探した。背負って歩くヒナに導かれて、大きな洞のある大木へと辿り着く。物凄くホッとして、ミズキはヒナと共に洞の中へ入った。

「ここは、大丈夫……お兄ちゃん、休んで」
「うん……ごめんな、辛かっただろう」
「へいき。お兄ちゃんの方がクタクタだよ」

 洞の中、張り巡らされた細い幹を枕にすると水が通っていく音が聞こえた。その音は何よりもミズキに安らぎを与えてくれ、何とか休むことが出来た。

 数日、タモンは戻らなかった。その間にヒナは熱が完全に下がって、元気に回復した。ようやくタモンが戻って来ると素直に喜んで駆け寄る。

「タモン、お帰りなさい」
「ただいま。ヒナ、元気になって良かった」
「うん。タモンは元気無いね」

 タモンも木の洞に入り込むとホッとするようだった。御神木さまのように大きな頼もしい木に守られながら、タモンは見たこと、聞いてきたことを話してくれた。

 マホロバの国は、滅びた。陥落した後、結束していた小さな国々が、今度は敵対して争っている。手に入れた領土の分配、戦利品である証の子らの処遇について。

「戦はしばらく終わらないだろう。ここ数日でも、戦地から逃げてきた民が大勢いた」

 ミズキが一番気になっていたのは証の子達がどうなったか、一時は仲間として暮らしていた彼等はどうなったのか。タモンもそれを重点的に確認してきてくれた。

「大半は、戦の時に亡くなったそうだ。今生き残っているのは三人だけらしい」
「……」

 証の子の力は、強い意志が無ければ発現しない。混乱状態で戦になり、その中でマモノの中に放り込まれたら恐怖に飲み込まれて力を発揮出来なかっただろう。どれだけ武術を磨いても、マモノを討ちはらう強い意志が無ければ、太刀打ち出来なくなる。

「あと、自ら命を絶った者も多い」

 何とか混乱の中で生き残っても、マホロバの国を、姫神子の力を心から信じていた子は絶望のあまり自害して果てた。だが、タモンのように薄らと疑問を感じていた三人が生き残った。生き残った三人は過酷でも生きていくことは出来るだろう。

「……俺は必ず、あいつらを助ける」
「タモン……」
「今は、出来ない。でも、必ず」

 グッと手を握りしめるタモンに、ヒナがそっと寄り添った。

「タモンなら、できるよ」

 ヒナの言葉に、タモンはようやく笑顔を見せた。

「暗い話ばかりですまない。もう少しだけ休んだら、また先へ進もう」
「うん。ヒナが案内するからね。もうちょっとだよ」

 ヒナが指し示してくれる道を進み続けると、その道は次第に深い霧に包まれることが増えていった。そこは禁足地、この世の者は足を踏み入れてはならない場所。決して、辿り着くことの無い場所の筈だった。

 だが、ヒナが指し示す通りに進めば、深い木々に閉ざされていた道は自然と開けて先へ先へと進めた。

 黄泉の国への入り口は黄泉平坂と呼ばれる長い坂道の向こうにある。黙々と霧の中、逸れないように手を繋いだ三人はついに大岩に塞がれた黄泉の国へと辿り着いた。



 あれが地返しの大岩だろうか、そう思う間も無くミズキ達は隣にいる人の顔も見えない程の濃い霧に包まれていた。まるで大きな雲の中に飛び込んだようだった。フワフワの手応えの無い霧の中をジリジリと進むと、小さな湖が見えた。

 小さな湖は、何故かミズキ達の目の前にある。湖は地面にあるものなのに、それは浮かんでいた。そして、湖の真ん中で釣り糸を垂らす老人がいた。

「こんなところまで生きてやって来るとは、変わった子供だ」

 老人はこちらに目も向けず、釣り糸の先を見つめていた。

「はよう帰れ。ここは子供のおる場所でも、生き人のおる場所でも無い」
「僕は、ここに来たくて来ました。ここは、黄泉の国の入り口ですか?」
「知ってどうする、お前には関係のないことだ」
「関係ならあります! 僕は、証の子だから」

 老人が、初めてこちらを見た。途端に、スイーっと水面をアメンボみたいに滑って飛んで来た。目前で、ピタリと止まる。

「おお。本当だ、本当だ。神樹の子と烏の子だな。フム、確かに関係ある」

 ミズキとタモンは思わず顔を見合わせた。
 神樹の子とは? 烏の子とは? ミズキは老人に尋ねるが、答えは返らない。

「知って何になる、お前達は損な役割をおっつけられて、その内ここに戻る身だろう」
「そうなりたくないから、ここへ来たんです!」
「今が辛いなら、逃げれば良い。マモノを倒さず逃げ回れば良いだけだ。なぜ、そこまでして生きたいのか? なーんも分からん」

 老人は急に興味が失せたのか、またアメンボのようにスイーッと湖の真ん中に戻って釣りを再開していた。よく見れば、その釣り糸には仕掛けの針が付いておらず、幾ら待っても魚は釣れないだろう。

「無意味なのはお前じゃないか。そんなんじゃ魚は釣れないぞ」

 苛立ちのままにタモンが突っ込むと、老人はユラユラと釣り竿を揺らして、

「ワシは魚を釣っておるのでは無い。釣りを楽しんでおるだけだ」
「釣れなきゃ意味ねぇだろ」
「お前は見識が狭い。サムライとは狭量な人間なのか?」
「なんだと……」

 タモンが湖に足を踏み入れようとするのを、ヒナが慌てて止めた。

「ここは入っちゃダメ! 絶対にダメ!」

 ヒナの言葉に、老人は目を見開き、それからニィ、と物騒な顔で笑った。笑っているのに、獰猛な獣から威嚇されているかのように背中に寒気が走る。

「なんだ。賢い娘がおるのぅ。うるさいから、片付けようかと思うとったのに」

 あの老人は、普通の人では無い。この世の者かあの世の者か分からないが、完全な味方では無いことは確かだ。

「僕達がうるさいなら、良い方法があります。僕達を黄泉へ連れて行って下さい。そこへ行けば、少なくともここは静かになります。そうですよね?」

 キョトン、と老人はまた目を大きく見開いた。

「あいつら、いない、静か……確かに」

 ブツブツと何か呟いていたかと思うと、老人は顔を上げた途端に若返って青年の姿になった。

「よし、案内しよう。ワシはまだ釣りを楽しみたい、お前達は黄泉の国へ行きたい、だから案内してやる。神樹の子、お前は面白い」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」

 黄泉の国の番人なのか案内人なのか、その立場は分からなかったが、青年に姿を変えた男が両手を打つと、サアッと湖は消え失せた。そして、大きな岩が立ち塞がる。

「行け。お前達が受け入れられれば、扉は開く。そこはワシの裁量では無い」

 三人で黄泉の入り口である大岩の前に立つと、内側からゴウンゴウンと音がして岩が押し開かれていった。

 振り返ると、もう湖は無く、あの男の姿も消えていた。だが、男の声だけが残される。

「そうだ、中では何も食べるなよ」

 たった一言の忠告だけが残されていた。

 ミズキ達が足を踏み入れた黄泉の国には、一切の光が無い。光の無い中をスイスイと歩くことが出来るのはヒナだけだった。ヒナは右手をミズキ、左手をタモンと繋いで先頭に立って歩き出す。

 迷いの無い足取りだった。ここを歩く事が出来るのは、本来なら死人と神、黄泉の国に住まう住人だけ。生き人は闇の中に飲み込まれて弾き飛ばされ、拒絶されるのが普通だった。

 だが、ミズキとタモンにはここの住人であるマモノとの繋がりがあり、ヒナは一度死の淵に立っていた。三人は黄泉の国から拒絶されず、黙々と歩みを進めていった。

「お兄ちゃん。お兄ちゃんから感じる綺麗な糸は、あの子から繋がっているよ」

 ヒナが指差す先、真っ暗な闇の中に僅かな光が見えた。ぼうっと浮かぶ二つの光は、おそらくマモノの目のような部分だろう。それはフワフワと定まらず、風に揺れる木々のようにユラユラと動いていた。

 目のようなものは、確かにミズキ達を見下ろしているように感じられた。しばらく、ポカンと口を開けて見上げてしまう。

 やがて、何かが落ちて来るのが闇の中でも分かった。大きな、大きな水の粒だった。

「ミズキ! ヒナ! 避けろ!」

 いち早く動き出したタモンが全力で押しやってくれたが、粒が大きすぎて逃げ切れない。

 三人一緒に、どぷんと水の中に飲み込まれてしまった。

画像出典:pixabay

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