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一人称漫画原作?

原作者の七月鏡一先生が以前、興味深いポストをX(旧Twitter)にて、書かれていました。そこから派生して、思ったことをnoteに備忘録代わりに、まとめてみますね。

「マンガ原作で一人称小説書くのはとりあえずやめましょう」と話すのが毎年第2回目の授業。そして提出された一人称小説の山を前に「私は好きにした、君らも好きにしろ」とつぶやくのが毎年第10回目の授業あたり。

https://x.com/JULY_MIRROR/status/1726301636707139666?s=20

漫画原作の多くは、漫画家に伝わるように、第三者の視点で脚本形式ですからね。一人称形式の小説を原作として、コミカライズすることはありますが、それはあくまでも小説のコミカライズですから。漫画原作用の原稿の書き方としては、ダメではないですが、適切とは言いがたいですね。だから七月鏡一先生も、釘を刺しているわけで。そこに思いが至らない時点で、「人に何かを伝えるときに相手の立場に立って書くことができていない人」ということですからね。

例えば「その翌日吾輩は例のごとく椽側に出て心持善く昼寝をしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩の後ろで何かしきりにやっている。ふと眼が覚めて何をしているかと一分ばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトを極め込んでいる。」が原作原稿では、よほどのベテラン漫画家で経験豊富でないと、作品化はなかなか厳しく。

○珍野苦沙弥の写生シーン○
縁側、昼寝をする猫。
書斎から出た飼い主、猫の後方にドカッと座り、何か始める。
飼い主の気配に猫、薄目を開けて観察。
写生する飼い主に、呆れ気味の表情の猫にかかるモノローグ入る。
猫(主人め、またアンドレア・デル・サルトを極め込んでおるな…)

ぐらいには、客観描写をしないと、漫画原作としては一般性がありません。

ラノベ作家になりたい、一人称小説が得意というのは構いません。ですが、技術を学ぶ専門学校や大学の講義で、客観的な描写の原作執筆にチャレンジもせず、書きやすい一人称小説形式で書いてしまうのは、いただけません。七月鏡一先生としては、まずは生徒が書いてみて、一人称の主観的な表現と客観的な表現の違いへの気付きや、自分の得手不得手の確認も兼ねての、課題でしょうから。

水彩と油絵の違いを確認するための習作で、水彩絵の具を使いましょうと言われているのに、「自分は油絵具の方がいい作品が描けますから、油絵で描きますと」と、課題提出するようなものですからね。もちろん、一人称小説で書いた原作を全部、脚本形式に書き直すのは、けっこう勉強になりますが。なら最初からそうしろという話で。自己鍛錬でやるのは構いませんが、提出物は別ですから。

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