自分の世界は自分が思っているより狭い
どうも~千夏です。
今回は「ソロ活女子のススメ」の感想を書きます。
タイトルはこの作品の主人公の台詞からとったものです。
今までは観ていなかったドラマですが、ティーバ―で見つけてはまりました。
見ていなかったのは興味がなかったのではなく、このドラマに関心があることを家族に知られたくなかったからでした。
この「誰かがどう思うか」を気にせず一人で何かを堪能するというのがこのドラマのテーマです。
一人だからさみしいなんてことはなく、ひとりだからこそ人とのコミュニケーション以外のことを楽しむというのはすごく良いなと思った。
自分はまだ大学生で、バイトが見つからず(現在もバイト探しは続けており、働きたくないというのではないのだが、色々あってタイミングを逃した。)、しかもこのご時世なのであまり外出をしていない。このドラマの主人公のように堪能することはまだあまり経験していないけれど強くあこがれを抱いた。
望んで一人で何かすることはまだあまりないけれど、
初めて学食のおいしいメニューを一人で食べた時のことは忘れられない。
一人で食べることが怖くて耳栓をして周りの音を塞いだ。
すると味に集中でき、一人で食べるとこんなにも食事って食べた感じがするんだなと気づいた。
大学では友達と食べる方が多くて、一人で食べることはあまりない。
だけど一人で何かすることには人と楽しむこととは別の良さがあると気づいた。
学食がやっていなくて、弁当を持っていない日に仕方なく入ったファミレスで一人パスタを食べた時も、友達が急遽いけなくなってスヌーピーミュージアムに一人で行くことになった時も同じことを思った。
このドラマだけでなく「孤独のグルメ」でもそうだけれど、あんなにも楽しそうに一人で食事をしている人がいるのだというのは驚きだった。
高校ではお弁当を一人で食べてはいけないというルールがあって、なぜか先生が一人になる子が出ないようになのか監視していた。
それはお弁当を食べる班が決まっていた中学時代より辛かった。
友達と仲たがいしても、一人で食べたいのにという気持ちは抑えなければならなかった。誰かのグループに入れてもらっても、「千夏ちゃん、〇〇ちゃんと仲たがいしたみたいだよ」という噂話をする子がいて気まずい思いをした。
友達付き合いが得意でなかった自分にとって「ソロ」はなんだかさみしいイメージがあった。だがそんなイメージも高校卒業とともに消え去った。
「ソロ」という言葉でパッと思いつくものは高校時代やっていたミュージカルのパートのことだ。ミュージカルのソロはかっこいい。自分は部活のソロパートが欲しくてほしくてしかたがなかった。努力も力量も不足していた自分にはあまり回ってこなかったけれど強いあこがれを抱いた。ソロという言葉はそれ以外では聞きなれない。「ソロ」という響きは独りぼっちとはまるで違う強い存在感とかっこよさを放つ。
一匹狼とも違う。
ソロ活は世間とか社会とか周りの価値観から離れられるという意味でも快感なのだろう。
まあ、ソロ活「女子」という表現がちょっとなとは思う。
ソロ活にどんな性別かなんて関係ないはずだからだ。
自分の母親が休日に見たい映画を見に行ったという話をしていた時とても楽しそうだったのも思い出した。
父とでも、彼女の友人とでもなくて一人で観に行ったという。
おひとりさまの楽しみがソロ活というのではないのかもしれない。
パートナーや家族がいてもソロ活するのだってありだろうし、なんだかソロ活をする大人はカッコ良く見える。
一人で何かを満喫する人が輝いて見えるのは「自分のための楽しみ」を人目を気にせずしているからなのだろうな。
人目を気にせずということ自体、大胆とか、奇妙とか、変わっているとか、ミステリアスという印象を持ってしまう。だけどそんなマイナスなイメージばかりではない。
ソロ活という言葉も初めて知ったけれど、大事なのは名前じゃなくて多分、一人ひとりが自分の好きなスタイルで好きなことを楽しむことだろう。
長くなったけれど今回はこの辺で。
ではまた~