note用のTwitter消しました

どうも~千夏です。今回はつまらない記事です。(いつもつまらないじゃないかと言われればそれまでですけどね)
Twitterをやめました。またかよ…って思われたかもしれません😅


私は何度も何度もTwitterをやめているのでもう見えていたオチではあるのですが…やっぱりTwitterは私には合いませんでした。
ありがたいことに炎上やトラブルに巻き込まれたことは無いのですが、投稿するうちに違和感が芽生えてしまいました。
Twitterの苦手なところは2つあります。
そのうちのひとつは「今」しか見られないこと。
色んなものが一時的に「バズる」ことはあっても数年後も見てもらえるものはほとんどありません。

私は作品を投稿しているわけではないし、数年後まで見てほしいものもありません。
ただ多分noteのように積み重ねている、感覚がほしいんじゃないかなと思います。

一見どうでも良さそうな運動記録や私の琴線に触れた歌詞、愚痴や嘆き。

多くはないけれど時折数ヶ月経ってもスキを押してくださる方がいます。

数ヶ月後に自分で見返して驚くこともたくさんあります。突っ込みどころ満載で消したくなるようなものももちろんありますが、時が経てば考えが変わるのは自然なことなのでそのままにしています。


見返したり、埋もれても他の人に発掘してもらえる。
こういう良さがTwitterにはなかった、というだけなのかもしれません。

もうひとつは、Twitterにはある程度暗黙の了解でコミュニティがあることです。

ここでいうコミュニティとはTwitterのコミュニティ機能とは別です。
例えば読書アカウントを持っている人はたいてい読書について話したい人のコミュニティに気づけば参加していることになります。雑多アカウントもあるけれど相互フォローしていればとりあえず惹かれ合った人同士のコミュニティ、にはなります。
でも私は初めからフォローをしないで発信をしていたのでnoteで私を知っている方が主にフォローしてくださってました。
そうするとコミュニティは生まれないんです。
それはありがたかったのですが特に広がりもしないのでやる意味があまり見いだせないとも思ってしまいました。

テキトーになんとなくでnoteをやっている私には「何のためにTwitterをやっているのか」がはっきりしている人たちが多いと感じます。

noteをやる目的もなんとなく、でしかありません。強いて言うなら「こういう人もいるよ」と価値観の一つに加えてもらうために、やっていると思います。

それを広めたくてTwitterを始めたつもりが気づけば別コミュニティに突っ込んでいました。

ただそのコミュニティは私にとっては近いようで遠い存在でした。

同じ共通点を持ちながらも思想の異なる人の集まりだったんです。
思想が異なることは別に良いんですが、見て特に得をしない情報ばかりを見てしまっていて疲れました。

実はこのnote用アカウントをやる時に見るのはつかれたから投稿のみとルールを設けるつもりでした。 
しかしnote用アカウントを動かしてみると意志の弱い私にそれは難しく見るのをやめるには消すしか無いなぁと思っていました。
有益な情報はほぼ得ていなかったので困ることは多分ありません。
有益だったのは大好きなアーティストのライブMC情報くらいですかね。癒やしになるという意味で有益でした。
でもそのアーティストのファンのコミュニティから抜けているので、最近はもう見ることもありません。

ということでTwitterやめます。
楽しい情報、癒やしになる情報、へぇーな情報はこちらのnoteから得ることにします。


というわけで終わります。それではまた~。