文系研究者にとっての大学

 職場が変わったことで、5年間住んだ京都を離れ、兵庫県に移り住みました。
 博士後期課程の4年間を京都で過ごし、同じ住居から高校の非常勤講師として勤めていたので、卒業してからも大学の近くに住んでいました。大学の図書館では本は借りられませんでしたが、閲覧は可能でしたので、有意義に過ごしていました。しかし、今回母校から遠く兵庫県に住むことになったので、それも難しくなってしまいました。

 大学に行けないというのは、図書館が使えなくなるということです。我々にとって図書館の存在は非常に大きいです。図書館は単に本を借りるだけの場所ではありません。例えば、自分の専門外のものを調べたいとき。私は高校で世界史を教えておりますので、専門の中国史以外の歴史も勉強しなければなりません。仮にウィーン体制について調べたい、と思ったとしましょう。もちろん、図書館にいかなくても、Amazonなどで、「ウィーン体制」と検索して、関連する本を買うこともできます。しかし、それだとほとんどが本のタイトルに「ウィーン体制」とついているものになってしまいます。図書館では、西欧史の棚から様々な本を発見・閲覧することができます。家でネットを使って買うよりも、図書館が優れているのはこの点です。図書館に行くだけで、多くの本を知り、その中から自分にあった本を探すことができるのです。

 他にも大学では研究者にとって欠かせないものが多いです。例えば中国史研究でいうと、史料のキーワード検索です。今やネットでも無料で史料のキーワード検索ができ、中国史研究者にとって欠かせないものとなっています。しかし無料の検索だと、どうしても史料の数が限られていたり、精度が悪かったりします。大学では、大学がお金を払ってくれているおかげで、史料の数も多く、質のいいキーワード検索ができるのです。そして、大学に所属する学生は無料でそれを使うことが出来ます。キーワード検索だけでなく、中国国内の論文検索(CNKI)も、本来は有料ですが、大学では無料で利用することができます。 
 これらは一般的に学生や教員のためのものであり、卒業生はあまり活用することはできません(例えば、学生や教員は大学外でも、VPNを使ってキーワード検索やCNKIを使うことができます)。

 図書館だけでも使いたい私は、引っ越しするときに、少なくとも月2回は母校に行こうと考えていましたが、新型コロナウイルスの影響でそれも難しい状況です。
 自宅で研究していると、これついて知りたい、という欲求が次から次へと湧き出てきます。その欲求を満たしてくれるのが、大学なのです。その「調べたいモノ」を自宅で放置していると、いずれ発酵して興味がなくなってしまいます。この欲求はナマモノと同じなのです。
 新鮮なうちに、調べ、新しい知識を得、自分の欲求を満たす。これが、研究の楽しさであり、また研究も進むことになるのです。


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