不妊治療の話

 テーマは重い話だけどノリは軽く行こうと思うので「こんな世界があるのか」くらいに思っていて欲しい。細かい話、難しい話はググって下さい。治療のお世話になったクリニックは津田沼にありますとだけ。

 第一子も第二子も体外受精で授かった。第一子はかなり時間かかったけど、第二子もなかなか時間かかった。
 


第一子編 


 まず第一子の話。
 そろそろ子供が欲しいねとなって、まずは近所のクリニックMに行った。27くらいの時。
 タイミング法(卵子が出てくる日を調べて、今だ!というタイミングの日に夫婦で致す)を何度か試す。上手くいかないのでしばらく試してから次へ。
 正直タイミング法は苦手だったので次へ、という話が出た時は少しだけホッとした。当時旦那は夜勤が多く拘束時間も長いハードな仕事だったので、なかなかその日付にじゃあ致すか、という訳にはいかない事もあり、険悪になる日も多かった。
 次は人工授精。ちょっと昔の事なので記憶が薄いが、採取した精子を子宮に注射みたいな形で注ぐやつ。これも何回かやったが上手くいかなかった。
 ここまで、いろんな検査もした。私も旦那も。しかし原因は見つからなかった。
 クリニックMは普通の小さい産婦人科なので、うちでできるのはここまで(人工授精まで)です。という事になり、転院となった。
 何回かやったが、とか簡単に書いてるけど、卵子が出てくるのは月に一度なので、タイミング法も人工授精も毎月毎月挑戦して、それでダメだったという事なので、かなりの時間はたっている。
 クリニック選びは迷わなかった。長期戦を覚悟した私は家から一番近いクリニックにした。これは本当に正解だった。実際長期戦になったので……。
 
 最初に色々検査をして、結果を見た先生(当時は副院長だった)はこう言った。
 
「大丈夫ですよ、絶対大丈夫ですからね」
 
 辛い時はこの言葉をずっと信じていた。副院長先生はのちにこのクリニックをやめて独立してしまうのだが、今でも恩は忘れない。先生もよく言えたなと思う。100%があり得ないこの業界でなかなか言えるセリフじゃない。
 さて、人工授精がダメな人が次にやる事は体外受精。これが、やる事が多い。
 何をやるかと言うと、まず私の身体から卵子をいくつか取って(これを採卵という)、身体の外で精子と受精させて、何日間か培養。無事に育った受精卵を再び子宮に戻す。というものだ。
 採卵の前に卵子をたくさん作るための誘発剤を注射するのだが、これが筋肉注射なのでメチャクチャ痛かった記憶がある。
 これを乗り越えていざ採卵。麻酔を使うので気づいたら全部終わったベッドの上だった。子宮がめちゃくちゃ痛い。痛み止めを何度も要求するモンスターペイシェントになった。
 そうして取れた卵子は8個。多いか少ないかよく分からないな、と思って話を聞いていた。しかし数日後、培養の結果を聞いて私は驚いた。2個。たったの2個しか残らなかったのだ。おいおいマジかよ。
 その時どれくらい質のいい受精卵なのかを教えてくれるのだが、その2個のグレードはなんとかBCだった気がする。まあまあなのかな。
 とにかく、その質がまあまあの2個の受精卵でこの先戦わなくてはならない。不安でいっぱいだった。この時は相当追い詰められていて、結果が出なかったら死のうと本気で思っていた。
 そして移植。これは結構すぐ終わる。麻酔は使わない。細い管を入れて受精卵入れてはい終わりって感じだ。陽性がわかる判定日は次の週。気のせいかもしれないけど、身体がすごい熱っぽかった。
 んで、無事陽性。その後も異常なく事が進む。妊娠8週目でクリニックを卒業して産婦人科に移るのだが、陽性がわかった時点で4週目なので結構ドタバタなスケジュールだ。
 その後はクリニックMに戻り、産院で通常分娩で出産。子供に特に疾患などもなし。唯一心配されたのは私が妊娠中マックとモスに行きすぎてめちゃくちゃ太り高血圧になった事だった。てへへ。この時私は30歳。

第二子編


 
 さて、残った受精卵がひとつある。これは凍結が出来るので第二子のために凍結してもらった。
 第一子が2歳くらいの時かな。移植したけど失敗した。陰性だった。最初少し数字があったみたいだけど、伸びなかった。数字が低いと聞いて私は泣いてしまったんだけど、クリニックの看護師さんはとても強さと優しさを持った人で、「ゼロじゃないんだから。この数字を信じてあげて。一緒に頑張りましょう」と声を掛けてくれた事を覚えてる。
 やっぱり印象に残るのは人の言葉だ。最後の最後までこのクリニックの世話になるのだが本当にここで良かった。
 
 ここで3年くらい時間が経つ。第一子の幼稚園が始まったりしてバタバタして忙しかったのだ。だが私は諦めたわけではない。しばらくぶりにクリニックに行き、また採卵→培養→移植を行った。だが、上手くいかなかった。2回くらいかな。ダメでした。ここで先生から詳細な検査をすすめられる。
 
 どんな検査かは話が長くなるので省くが(3つくらいやったし)、今までのやり方でいいのか、何か変えるか……を確かめる検査だった。
 1つだけ引っかかった。なんかの数値が高かった。体の抵抗力?免疫力?にかかわる数値で、要は受精卵を異物としてブロックしてしまうらしい。こりゃまずいというのはすぐ分かる。
 で、その数値を下げるための薬を飲む。これだけは薬名を出す。タクロリムスというやつだ。なんで出すかというと、人間心配になるもので「タクロリムス 無事出産」「タクロリムス 悪影響」「タクロリムス ブログ」とかで検索してしまうのである。しかし、タクロリムスはどうやら新しめの薬らしく、ブログが全然ヒットしなかったのだ。
 ここに記す。大丈夫です。妊娠したし出産しました。
 んで、このタクロリムスが高い!!!マジで高い。当時の家賃より高かった。半ギレだった。
 そんな中また移植をし、失敗したのだが、もういちいち落ち込んでる私ではない。
 
 ひとつの策があった。

 特に先生にも看護師にも言われた事はなかったけど、BMIと体外受精の成功率には関係性があるらしい。なおソースは全部ググって出てきたやつなのであまり私をアテにしないで欲しい。
 当時の私のBMIは27。やや肥満だ。そこで私は治療を少し休み、ダイエットをする事にした。
 そう、前記事で書いたあのダイエットだ!

 10キロ痩せて帰ってきた私は無駄に自信に満ちていた。絶対いけると思っていた。早速採卵→培養→移植。
 培養の時、受精卵のグレードを説明されるのだが初めてAと言われた。これはいける。いけると思っていた。
 んで、判定日。いけました✌️
 なんだかサラッと書いてるけど、もちろんめちゃくちゃ頭の中はいろんな思いがあった。高いタクロリムス。高かったダイエット代。貯金はもうほぼない。これでだめだったらまた移植するのか。いつまでやるのか。本当に二人目が欲しいのか。一人いるんだから、いいんじゃないのか。いや。二人目は欲しいし、いける。絶対にいけるはずだ。流れが来てる。何の流れかは知らん。
 
よかった〜〜。

 さて、無事陽性となると、あとは順調に育ってくれる事を願うしかないのだが、それとは別に心配もある。タクロリムスの野郎だ。一体いつまでこの高い薬と付き合うのか。まさか産まれるまで飲むんじゃないよな。計算しては発狂してた。
 最後の病院の日、やっと先生に「もう飲まなくていいでしょう」と言われた。「ああ〜よかった……」と声に出したら笑われた。「高いもんね」と言われた。
 なので出産まで飲み続けたわけじゃないです。検索してきた人ごめんなさい。妊娠2ヶ月くらいまでかな?

 こうして2回目のクリニック卒業を迎えた。第二子はその後産まれまして、元気にバブバブ言っております。お産も問題なく、私が深夜につまむおにぎりの食べ過ぎで高血圧になったことくらいですな。さっきも書いたな。学びないじゃん。

おわりに


 まとめるか。
 不妊治療は大変です。とにかく金がかかるのに、その金払いがいつまで終わるかわからない。お金がなくなるというのは、人の心を少しずつ闇に落としていきます。まあ病みますね。お金の心配がなかったとしても、確率の話しかされないというのは非常に不安な気持ちになります。常に綱渡りをするような気持ちというか。まあ病みます。
 なるべくサラッと、明るく書くように心がけましたが、めちゃくちゃ病みました。言わないようにしていただけで旦那もたぶん病んでました。強い人なので何も言わなかっただけで、色々思うところはあったんだろうな、というのを二人で不妊治療の話をする度に感じます。
 
 なんだかうまく〆られないな。がんばれと無責任に言いたくもないし、病むから治療中の人に気を使ってあげてねというのも違う気がする。
 なのでサカキ様の話をして〆ます。いやーほんと推しがいるっていいです。最高。辛い事も乗り越えられます。推し。推しはいいです。何か夢中になれる存在がいると、雨に打たれて、泥だらけの地面から、なんとか一歩立ち上がる力が湧き上がってきます。立ち上がってしまえばなんでも出来ます。また走り出す事だって出来る。推し、と一言で言ってもいろんな形があると思いますが、私にとって推しは、サカキ様は、そんな存在です。

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