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龍馬の日記 元治元年皐月二

元治元年皐月二  
 

以蔵が一人でいる時に幕吏に捕まったと聞く。
あんだけ、勝先生と一緒に居ろと言ちょうに、
きかんと一人で飯を食っていたらしい。
勝先生にどうにかならんかとお願いしたが、
すでに土佐に送られているのでどうしようもないと、
武市をはじめ土佐勤王党の多くの者が土佐で牢獄に入ってしもうた。
中岡は長州藩士としているので、
捕まることも、土佐へ送られることもなかろう。
心配なのは、北添らだが、
長州でも手を焼いている肥後の宮部らとの付きあいで、
過激なことをしなければ良いが。

もう少しで、神戸操練所が幕府の正式な組織になる。
そうすれば、北添らにも身分を与えられ、
土佐から狙われることも無くなるはずだ。

ふと思ったが、土佐の仲間だけでなく、脱藩浪士を集めて、
蝦夷の開拓をするのはどうだろう。
もう少し、考えて、勝先生に相談してみるか。

勝先生から、海軍操練所の資金が足りないので、
福井藩の松平春嶽殿から、借りられないか話に行くように言われる。

福井に行く前に、新選組の山南総長と話がしてみたい。
出来れば、新選組とも仲良うなれるとおもちょる。

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