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究極の個人主義

自分は究極の個人主義者だと思う。 

集団や組織に属していても、それは個の集まりである以上、 
その個人以上に重要な権利や自由は無いと思う。 

それは、個人の権利を認める以上、個人の義務を果たすべきで、 
ある意味、どの個人も個人として尊重されるように、 
自分と言う個人も尊重すべき個人であると考える。 

なので、個人をけなす、否定する、批判する個人は、 
同様に、個人によりけなされ、否定され、批判される個人である。 
同じように、個人が考えることを容認するように、
個人の意見を容認する。 

究極の個人主義は理想ではあるが、現実的な対応も可能である。

宗教ではないが、自分と言う個人を愛するように、他の個人を愛する。 
自分と言う個人を嫌うように、他の個人を嫌う。
それは良心でもなければ、信じるのでもない。
主義であり、実践でしかない。 

別の言い方をすれば生きざまとでも言うのだろうか。

苦しみも、喜びも、悩みも、悲しみも、痛みも、シアワセも、
みんな自分のモノで誰にもあげない。
大事に抱えて生きてゆく。

欲しければ、自分と言う個人で拾い上げれば良い。
それが主義である。

何もしなくても良いし、何かをしても良い、
ただそれは個人に帰るのであり、他の個人に押し付けるモノでもない。

究極の個人主義は
他の個人も自分と言う個人と同列に扱い、生きてゆく。

こんなことを書きたくて、記事の紹介をすることにした。 

・・・
これは勝手な思い込みで、
かつ、ももまろさんの記事の紹介でもあります。      
あくまで、思い込みですので
事実と誤認しないようにお願いいたします。
・・・

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