普通がわからない
最近の世の中、普通に過ごせればとか、
子供に向かって、普通にしなさいとか、
耳にするのですが、「普通」とは何でしょうか?
広辞苑によると、
①ひろく一般に通ずること。
②どこにでも見受けるようなものであること。
なみ。一般。「―の成績」「―に見られる」「―六時に起きる」
↔特別↔専門。
とありますが、技術屋の自分からすると、
① の意味で考えると、ひろく一般に通じること。
における「ひろく」とは、埼玉県とかでしょうか?
それとも、日本とかでしょうか?
それとも世界でしょうか?
ひろさが全然違うので、どこで通じるのかよくわかりません。
例えば、埼玉県には普通に通じる方言があります。
最近はあまり聞きませんが、埼玉の方言には、過去完了があります。
「食べたことがある。」という言い方は日本語の標準語における
過去完了を表しますが、埼玉県人は「食ったった。」と言い、
これで過去完了を表現します。
同様に、「行ったことがある。」は「行ったった。」と言います。
他の県民にとって聞いても過去完了とは思えるかどうか、
とても疑問です。
このように、言葉一つをとっても、日本全国で通じるモノと
埼玉県でしか通じないモノがあります。
普通を考える場合、どの範囲における普通なのか、
考えないと疑義が生じ、トラブルになると思います。
なぜ、このようなことを考えるかと言うと、
工場で製品を作って出荷するときに、出荷検査を行いますが、
当社の出荷検査基準と顧客の受入検査基準のすり合わせを行い、
同じ基準で検査をするためです。
例えば四角い空き箱みたいな製品があるとしましょう。
その場合、顧客の製品のあるスペースに取りつける場合、
外側の長さを決めて、収まる誤差も決めます。
外辺が10cmで納めるスペースが12cmならば、
作業効率を考えて各辺の長さを10cm±2mm程度に
する必要があり、かつ、その四角い空き箱のような製品の
測る場所も図面に落とし込み、お互い同じ場所で測定し
合格とします。
このような箱型の製品を顧客の製品にネジで取り付ける場合、
ネジ穴の位置が違っていると、スペースに収まらなくなるので、
穴の位置も、図面に落とし込み、外辺より厳しい公差で検査する
必要があります。
そのように、顧客の製品に取りつける部品を作る場合は、
「普通」は顧客の要求に沿った基準で出荷検査し、
顧客も同じ基準で受入検査します。
この場合における、「普通」とは何でしょうね?
ある業界では、このような検査基準のすり合わせは普通のことですが、
この様な検査を行わない企業にとって、検査基準をすり合わせることは
「普通」ではないと思います。
完成品を販売店などの顧客に売っている企業は
顧客とこのような検査基準のすり合わせは必要ありませんが、
逆に、販売店などの顧客に対しては、性能保証が必要になります。
これは、不具合の場合、交換したり、返金したり、弁済することが
必要になるからです。
自分における「普通」と言うのは、たぶん、普通の人の言う「普通」とは
かなり違うような気がします。
それは職業経験や海外経験から来る個人的なモノで、
日本でしか仕事をしたことがない人や、
製造業や工事系の仕事をしたことがない人には、
わからないことだと思います。
例えば「MMC」と言う言葉がありますが、
三菱系の企業の人は
「三菱マテリアルコーポレイション」と思うでしょうし、
自動車関係の仕事をしていた人は
「マルチメディアカード」と思うでしょうし、
食品関係で働いていた人なら
「三本珈琲株式会社」と思うでしょうし、
医療関係で働いていた人なら
「メディカルマネジメントコンサルティング」と思うでしょうし、
素材関係の企業にいた人なら
「Metal Matrix Composites」と思うでしょう。
このように、その人の職業経験で、言葉の意味すら変わります。
例えば、見出し画像にある標準偏差のグラフにおいて、
「普通」と言う概念が正規分布に従うと考え、
日本の2023年の16歳~64歳の人口は7392万1千人で
その人たちすべてに「普通」と言う概念で統計を取ると、
平均値、つまり一番多い回答を中心値として、
標準偏差の2倍の値を「普通」の基準と考えた場合、
人口の95.45%、7055万7594人の人が答えた
「普通」の概念が標準偏差における「普通」と思いますが、
実際にデータを取れば、その範囲にある「普通」の概念でも
かなりばらつきが発生します。
自分は-2SDギリギリの「普通」と言う概念に入れたとしても
中心値(標準偏差)の「普通」の概念から2倍も異なります。
そういう意味で、「普通」を定義する場合、
標準偏差における-SD~+SDまでの範囲を「普通」と定義すると
「普通」は68.27%の人々だけになり、半分より少し多いだけで、
とても広く一般的とは言えないと思います。
到底、自分の考えは「普通」ではないのでしょう。
なので自分は普通がわかりません。
「普通」と言う言葉を使う人々は、
こまで厳密に考えて使っていないので、
きっとこの様に不思議には思わないのだと思います。
「普通」以外にも「常識」だとかも、
自分は厳密に定義ができないので、何時も不思議に思います。
まぁ、何事もあいまいにして、その癖、ハラスメントだとか
都合が悪くなると「普通」に逃げる世の中に、なってしまいました。
あぁ、普通がわからない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?