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源三郎の日々 文久三年如月四から九

文久三年如月四  

試衛館をたたみ浪士組に参加するにあたり、日記を書こうかと思う。
歳さんの発句集のようなものはかけないだろうが、
何かの記録にはなるだろうと思う。

小石川伝通院の会合に近藤先生達と出かける。
試衛館あげての浪士組への参加だ。
この日のうちに浪士組の隊長などの役目を決めた。
我々は少人数なのと、有名でないのであろう。
役目には付かなかった、残念だ。

文久三年如月五

浪士組の諸規定の申し渡しがあった。
諸役も決めて、手当について申し渡しがあり、
当初の金額から減り十両となったが、
近藤先生達は気にしていない様子で、
これから行くであろう京都の話題に終始した。

文久三年如月六

浪士組の手当が支給され、
わしと宗次郎の義兄林太郎は三番組に配属された。
江戸の出立は如月八と決まり、遅れないようにと通達があった。

文久三年如月八

伝通院に集合して、各組で隊列を組み、中山道を北に向かう。
大宮の宿に着いたのは、暮れ六つ。
かなりのんびりした出立だ。


文久三年如月九

なんでも朝から六番組の芹沢鴨と言う御仁が、
朝食に文句を付けて出立が遅れたようだ。
歳さんの組なので、後で聞いてみようと思う。
三々五々、歩き始めたら、宗次郎が来て、
「源さん、聞いてよ。芹沢と言う組頭が、朝からもめてさぁ。
味噌汁がぬるいと、浪士組を馬鹿にするなって暴れてさぁ。
近藤先生が止めても聞かなくて、浪士取締役の山岡先生が止めてやっとだよ。」
「まぁ、今のうちから力を示したい御仁なんだろう。」
「腕は立つと思うけど、カッとしやすくて、
すぐに周りが見えなくなるんじゃないかな。
土方さんと僕が組めば勝てると思う。」
「じゃぁ、心配するこったぁないやな。」
「でもさぁ、近藤先生が、なぜか、先番宿割なんかを命じられてさ、大丈夫かな。」
「近藤先生も少しは認められたぁって事だろう。近藤先生はどうしている。」
「池田徳太郎さんと先に行って宿を探しているよ。」
「この調子だと、深谷か本庄まではいけるんじゃないか。」
「たぶんね。」
宗次郎はそう言うと、自分の組の方へ歩いて行った。
浪士組の歩きが遅いのか、後ろの方がずいぶん離れてしまい、
前の方が待って、やっと進む。
この分じゃ、本庄までも行けるかどうか。
結局、鴻巣泊りになった。


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