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夜の情報量

先日、都内から車で数時間のところにある場所で遅ればせながらキャンプデビューしました。キャンプ雑誌が売れていることも知っていますし、キャンプにまつわるアニメや漫画が盛り上がっていることも知っています(そういえばアメトークでもキャンプ芸人が取り上げられていましたね)。そのため、「今更感」を感じつつもすでにキャンプに慣れている方のお誘いにのって、この機会にと行ってみたのです。

今日は、そのときに感じったことをメモとして残しておきたいと思いました。たくさんあるのですが1つに絞るならば「夜の情報量」についてです。
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キャンプ場に到着したのが15時30分ころ。もう11月中旬ということもあって、すでに日は少しずつ傾いていました。
すぐにテントを張ったり、夕食の準備を始めました。思ったよりも、傾いてからの太陽の運行は早く、10分単位であたりは少しずつ暗くなっていくからです。急ぎめで準備しました。

そんなこんなしているうちにあたりは暗くなってきて、夜がやってきました。そのときに感じたことが多かった、というのが言ってしまえば今日の結論なのですが…たとえば。

「少し風が吹いてきた」「肌寒くなってきたから急いで火を起こさないと」「あたりが見えなくなってきたから灯りをともそう」「薪の爆ぜる音が心地いい」「どこかで野犬?の鳴き声が聞こえた」「野生の動物が食べ物を取りに来ないようにしないとね」「星が少しずつ見えてきた」「土が冷たく湿ってきた」「あたりからだれかの焚火の煙の匂い」

視覚も聴覚も触覚も嗅覚も全集中状態。なんなら、お腹も空いてきているので、味覚も開いているようなものです。つまり、五感すべてで「夜が連れてくる情報」を受信している。その先にあるのは、火がもたらす安心感と、夜がもたらす肌感覚での恐怖心。言ってみれば動物的感覚がオンになっていくような感じ。

これが(あくまで主観的な感覚ですが)東京に暮らしていて感じている夜の情報量と桁違いだったんです。東京では「夜」を受信していない、「夜」=「仕事が終わって帰る時間」、ただそれだけなのです。
都市は「夜」の恐怖を遠ざけましたが、それによってたくさんの恩恵を受けていることを知っています。それによって救われた命もあったでしょうし、それによって生まれた会話も尊いです。
でもその裏返しには、失われた情報もあることを改めて気付かされました。「情報化社会」と呼ばれて久しく、私たちの暮らしは情報で溢れていますが、「情報化社会」はある領域の情報を失っている社会でもあるということです。「夜の情報」なんてまさに。
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情報を浴びても浴びても私たちのコンデションがいつまでも上向かないなら、失われた情報にも目を向けないとな、ということを自然から教わったような、はじめてのキャンプ体験でした。また春になったら、絶対にいきます。

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