〈アルシア SS〉ある乙女の昼下がり。

昼休み、ふと絵のアイデアが浮かんだ私は教室から移動して絵を描こうとした。

中学生の教室から少し離れたところにある、理科室の窓際。理科の授業以外はほぼ人が来ることはないから静かだし、窓から見える景色も最高に綺麗な私だけの穴場。暇さえあればここに入り浸って絵を描くのが私の楽しみだ。
私一人の空間でタブレットを起動させると、何件かの通知が表示された。昨日上げた絵への反応、反応、反応、反応、お兄ちゃんからの連絡。長い長い通知欄をひたすらスクロールしていると、廊下から何かが落ちる音が聞こえた。
「ひゃっ!何?!」
咄嗟に振り返ると、音の犯人らしき影が消えた。
漆のように黒い髪のおさげが靡いたのを私は見逃さなかった。その姿は見覚えがある。
タブレットを小脇に抱えて、私は影を追った。


教室を横切り、廊下を曲がって、真っ直ぐ走ると犯人の姿が見えた。
「はぁ…はぁ……、逃げなくたって良かったのに、紫音………」
そう声を掛けると、カタカタと体を震わせながら涙が滲んだ目でこちらを見た。特徴的なおさげは急いで走ったからかくしゃくしゃになっている。

この子の名前は月影紫音。学年が一つ上の先輩であり、私の絵のファン。
きっかけは、トイレ休憩の時だった。手を洗っていた時に隣にいた紫音がスマホを開くと、つい最近私がリクエストをもらって描いた絵が画面に点いた。
思わず声を掛けて、そこからたくさんお話して。紫音も同じ絵描きで、私よりも上手く描けることにはびっくりしちゃった。

「あの、えっと、ごめ、なさい……!」
「ちょっと、なんで謝るの?一回落ち着こ?」
小刻みに震える紫音に深呼吸を促す。私の言われた通りに深く息を吸って、吐く。何回かこの動作を繰り返すと、やっと落ち着きを取り戻した。
「その、あの、ね…?」
大丈夫、逃げないからゆっくり話そ、と言うとこくりと頷く。
「さっき、涼香ちゃんが理科室に入るの見て…なんでかなって思って、覗いちゃって……ごめん………」
まぁ確かに、理科室なんて滅多に入らないもの、普通は何かって見に行くわね。
「で、そしたら、タブレット出してたから、好きな絵師さんがっ絵を描くところ、じゃないかな…て思ったら、ポケットからスマホが落ちて………えっと、そのっ!気持ち悪い、よね…ごめん……」
申し訳なさそうな顔でまた涙を滲ませる。落ち着いていたのがまた震えが出始めて、私まで慌てちゃう。いけない、私まで落ち着きをなくしてどうすんだ。
これ以上私が突っ立ってたら余計怖いかな。冷たい床にぺたんと座って、紫音よりも低い目線で、なるべく強い言葉にならないように心がけながら言葉を紡いだ。
「そっか。私が絵描いてるところ、見てみたかったの?気持ち悪くなんかないわよ?私のこと知りたいって思ってくれてるみたいで、嬉しい。」
そう言うと、また涙を流した。今度は恐怖じゃない、嬉しい涙を。
涙が溢れて止まらない紫音にハンカチを渡して、背中をさすった。


私は紫音と仲良くなりたくて話しかけるけど、紫音にとっては私は”好きな絵師”の領域を出ないみたいで。
どんなに褒めても泣いちゃうから、なんて声を掛ければ泣かないかなぁ……っていつも思う。でも私も推しのインストアとか行ったら同じ反応するかも。
でも私、紫音の”友達”にはなれないのかな……。

そんな考えが頭に浮かんで、パッと消えた。

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