床屋、閉店②

病院の無菌室で抗がん剤治療を開始し、副作用と戦っている父を心の中で応援するしかない日々が続いた。
店を閉めるにあたって、母一人ではこなせないタスクが大量にあり、弟と私も遠距離ながら少しずつ手伝うことにした。

私は突然閉めることになってしまった店のお客様達に出すご挨拶状と張り紙をまず作成。
「ご愛顧いただきました皆様に支えられ 開店より40年という長い間変わらず営業できましたことを心より感謝申し上げます」
という父の言葉を代弁する文字を入力すると涙がポロポロ落ちてきて止まらなくなってしまった。

思い出される幼少期の思い出。父の背中。パーマ液とタバコの匂い。
あの父の両腕が、技術が、私と弟を育て、決して裕福ではなかったけれど飢えることは一切なく、二人とも県外の専門学校まで行かせてもらった。
朝の7時半には家を出て店の準備にかかり、最盛期の土日は夜の10時ごろまで立ちっぱなしで営業していた。従業員は母一人。休みは月曜と第一日曜日だけ。
仕事の愚痴を父から聞いたことはなかった。病気以外で個人都合の休みも取ったことなく、休みたいとか弱音を吐いたこともない。
なんてすごいんだろう。なんて真面目で誠実なんだろう。
話好きで手先が器用な父の、まさに天職だったんでしょう。

70歳を超えてからは、6時過ぎに店を閉め、そのまま毎日1円パチンコに行っていたので「クズ親父!」と心の中で思っていましたが、今思えば良いじゃないかそんなの今まで頑張ったんだから…って感じ。


4月中旬、テナントの引き渡しを前に県外の弟一家&私の一家で集合し、店の片付けと掃除をした。ここ2年ほどコロナで叶わなかった全員集合が父抜きで父のために叶ってしまった。
私は店のもので絶対欲しいものがあって、それがパーマ液とかトニックとかがプシューと出るスプレーがついたロッドがたくさん乗ったワゴンと、髭剃りの泡立てる容器と筆だった。
「何でこんなもん・・・あんた頭大丈夫や」と母に散々言われたけど、これを捨てるのは断じて許さない!!と言い張り、こんなのどこに置くんかと言う夫の反対を押し切り自宅へしっかり持って帰れることになった。
途中電話してきた父に母が「シカがよくわからんけどあれが欲しいって言いよる」と告げ口していた。「あいつはなんでももらうのが好きだけん何でもやっとけ」と答える父に「お父さん!これとこれは私がもらうけんね!」と宣言したら「ん〜お前と話しよったら具合悪くなってきた。じゃあな」と電話を切られた。なんンンッでやねん!!

でっかい特注の鏡2つを、何故か私と弟にそれそれ分けてやってくれと父が言うのでそれもいただいた。これは歪みが無い立派なやつだけんと。父なりの子供へのベストプレゼントだったんでしょう。父と共にお店を見つめてきた1.5m四方の重たい鏡。重量もすごいぜ。
植物を育てるのが得意な父が立派に育て上げた植木達も、次々と引き取りたいという馴染みの方々が現れ、私と弟も2つずつ引き取り、全部無事に旅立って行きました。

まっさらになった店の中を見渡し、父の背中を思い浮かべる。
行けば必ずそこにいた父。
友達と喧嘩した時も痴漢にあったときも、店に行けばお父さんがいるから、ひたすら店のサインポール目指して道を走った。
反抗期にムスッとして店に入った時は「ただいまて言わんか!」とパンチパーマの熱々アイロンを持った父に怒鳴られたなぁ。
もう店にいる父に「ただいま」と言うことは無いんだね。


作業完了後、全員で父のいる病院の駐車場に集合。
面会はできないけど、体調が良いと駐車場に面した病室の窓から手を振ってくれることがあるらしい。まるで珍獣じゃあないか。

母が父に電話をすると、7階の1部屋のカーテンがシャッと開いた。
水色のパジャマを着た米粒みたいなサイズの、あれは私のお父さんだ!
携帯のスピーカーから聞こえる声はちょっと苦しそうだったけど
「みんなありがとうな。気をつけて帰れよ。頑張るけんな」
としっかり話している。私たちはワーワーと手を振りながら、それぞれが「じいじ頑張れー!」「元気になれー!」と声を出した。
「またすぐくるけんね」と言ったら「そがんしょっちゅうこんちゃよか」と言われた。何で私ばっかりひどくない笑

周りを見ると私たちみたいに病院の窓に手を振っている家族が数組駐車場にいて、その時初めて心からコロナが本当に憎いと思った。

天皇陛下による新年一般参賀みたいなお見舞いの後、それぞれ自宅に戻った。どうかこのまま無事に副作用を乗り越えて、退院してくださいと心から願った。前回の帰省の時父の横に寝て、いびきがピーゴーピーゴーうるせえと思いながら眠った夜を最後にしないでください、と。


〜4月下旬までの話


今後もお客さまにとって良い理髪店とのご縁がありますように。
40年間ありがとうございました。

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