頑張れお父さん 2

2022年5月18日、両親は42回目の結婚記念日を迎えました。
たまたま退院していたタイミングだったので、両親&と私と弟だけで天草方面へ近場旅行しよう!の計画をたてていたものの、父の「気持ちは嬉しかばってん行っても刺身は食べれんし、なんさま今は病院を遠く離れたくない」という一言で結局叶わず。
じゃあまた機会を見て絶対に行こうね、と約束したものの表情が堅い父。
心の中で「多分もう行けんかもしれん」と思っていたんでしょう。

結婚記念日当日に送られてきた写真には、ケーキをもって満面の笑みを浮かべた父と母の姿。そして仲良くケーキ入刀などしている動画w
平日なので祝いには行けなかったけど、今思い返せば自分の体がきつかろうがサプライズで行っておけば良かったなあ。私もこの頃はまだ父の病気に対して現実味というか逼迫感を感じてなかったのかもしれない。きっと来年も再来年もその先も、なんだかんだ体は弱ってても口うるさい父が昔と同じように家に帰ればいるんだ、とナチュラルに思っていたんだと思う。私のお父さんは、だって私が生まれた時からずっといるから。私が生きてる間はずっといるんだって。


5月23日、父は2回目の抗がん剤治療に入るため再入院した。
母の運転でお昼に美味しい10割そばを食べに行って、パチンコ屋の周りを一周して病院へ。母曰く「病院行ったら、馴染みの常連さんみたいになってた笑」

2日…3日…と経つ内に副作用が出始め、6月2日には朝から嘔吐し食欲も減退。ゼリーなどを食べるのがやっとの状態になり、再び無菌室へ移動となった。時折調子がいい時に来る母への連絡で体調を知るしかなく、顔も姿も見れない。
頑張って乗り越えてほしいと毎日祈り続け3週間がすぎた頃、6月17日に夫の母から「お父さんから頂いたマツリカが満開になりました!良い兆候だといいな」と写真が送られてきたので母に転送したら「お父さん、副作用も落ち着いて今週日曜日退院に決まりました。1週間だけど」と返事が。
苦しい副作用を乗り越えたんだねお父さん!!

19日〜27日までの短い退院。
コロナの波が来ていたせいであまり行きたいところには行けなかったようだったけど「4人部屋では思いっきり出せん大きなおならを毎日しているよ」と母が教えてくれた。元気な証拠たい。
週末に私も帰省して、賑やかに過ごせた。カビや菌が良くないので風呂を念入りに掃除したり寝具を干したり、今まで帰省してもすぐどこかに出掛けて帰らなかった私にはあり得ない行動。この時期は夜も暑くなるので第二の実家のような涼しい友人の家に子供共々泊まりに行くのが通例だったけど、それもなし。夜は父のベットの横に布団を敷いて川の字で就寝。入院する前まで横にいると眠れないくらいうるさかった父のいびきは、なんだか弱々しく感じた。
数日後誕生日の息子はスイミング教室に通い始めたばっかりだったので、ラッシュガードとゴーグルをプレゼントしてもらい「ゴーグルつけたら最強になるごっこ」を父と二人で繰り広げていた笑
この時ゴーグルのベルト部分に、父に息子の名前を書いてもらおうかと思ったけど言えなかった。これをやったら「もうすぐ死ぬけん記念に書け」って言ってるみたいで。こんなことばっか考えて遠慮してやめたことが多々あるなぁ。

両親と私の3人でゆっくり話していた日曜のお昼。
父が倒れる前までずっと通院していた内科で、毎月していた血液検査の結果の紙を見返していた。
倒れる3ヶ月前の12月末の検査結果に▼マークが多く、スマホで数値などを調べたら「白血病の疑い・可能性・症状」という結果が出る。素人がちょっと調べても出る。
なぜ、かかりつけ医はこの時点で大きい病院での検査を勧めてくれなかったんだろう。もしこの時点でちゃんと紹介状出してくれて検査を受けていれば、骨髄異形成症候群の状態で白血病の発症を遅らせられたかもしれないのに。父がコロナワクチン3回目を打って寝込んだときとにかく病院行けと勧める私に「なんかあっても毎月血液検査しとるんだけん大丈夫」と言っていたのに。
結局完全回復できないまま、ワクチン接種からちょうど1ヶ月後救急車で運ばれてしまった。きっと強いワクチンには弱った体が勝てなかったんだろう…。
悔しくて悔しくてたまらない。
母は「薬出せば儲かるけん、お父さんみたいに真面目に大量の薬出せる患者のことただの金蔓と思っとるんじゃない。だけん多少検査結果が悪かろうがちゃんと見もせず放置したんよ!」と怒っていた。

今回の退院時の説明で、この2回のクールを乗り越えてだいぶ数値が落ち着いてきた様子。主治医の先生から次に始まる地固めの療法はまたちょっと辛いかもしれないと言われたけど、父は「ここまできたら最後までやる。やらんと治らんならきつくても大丈夫。もう2回も乗り越えたけん」と結構ポジティブ。私は少々不安に思いながらも、お父さんが頑張るなら応援しとるけんねと伝えた。

3日間の帰省はあっという間に終わり、帰宅。夕立きそうだけんはよ帰れと急かされるので、軽くお昼ご飯を食べた後に出発。
実家を出る前父が「ちょっときついけん。ベットの上ですまんな」というので、大丈夫また退院したら来るけんね!頑張ってねと言うと「そがんこんちゃよか。まだ大丈夫だけん。家のこと子供のことちゃんとせ」と言われた。
おかげさまで夕立には遭遇せずに帰れた。
もっと一緒に過ごしたかったけどな。

6月27日にまた3度目の入院に行った父。
また約一ヶ月の治療後、海の日くらいに退院となる予定だったので私も合わせて帰省の予定にしていたら、副作用からの体調の戻りがあまり良くないため3日ほど延期になってしまい、私たちは予定を入れてたので帰省はしたものの会えなかった。
そしてこの「退院3日延期」は神の思し召しか?と思うくらいのタイミングで、帰省から自宅に戻る車内で息子が発熱し出し、私もなんかじわじわ体調不良になり、娘二人も翌日発熱…。
しっかりコロナのでっかい波に乗り、見事に感染してしまっていた。
幸い数日一緒に過ごした母には何故か感染していなかったものの、お父さんがもし帰ってたらどうなってたんだろう。

そこから7日間は4人全員が高熱により床に伏せ、全く動けない状態。そんな中父から電話がかかってくる。

「オイ…。お前らのせいで俺は帰られんたい。
 ほんなこて勘弁してくれよ…」
「盆明けまでは絶対帰れんてたい。お前らのせいで…」
「だけん来るなていうたろうがどうしてくれるんや」

それはそれは大地に轟くようなカスれた見事な低音ボイスでした。
言いたいこと言って「ならな」とガチャ切り♡
高熱に苦しむ娘に対して、ものすごい恨みがたっぷり♡

ごめんねお父さん!!

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