頑張れお父さん 4

2022年10月7日金曜日。午後3時から主治医の先生からの説明を家族4人で受けることになった。
不安気な母と緊張した面持ちの弟と一緒に外来の待合室へ入ると、車椅子に乗った父が看護師さんと待っていた。血小板の点滴をしながら座る痩せた父は、家で見る数倍弱々しく見えて「ああ本当に病気なんだなあ」と改めて思わされてしまう。
色々ぶつけたい気持ちと悲しい気持ちと父の前で取り乱したりしたくない気持ちでオーバーヒートしそうだった。

時間になり診察室に入ると軽い挨拶の後現状の説明があり、以前もらっていた文書とほぼ同じで
・今後の治療は抗がん剤治療ではなく、輸血や点滴での対処療法になる
・抗がん剤をストップすれば、もちろん病気は進行するが抗がん剤による体力の消耗がなくなり、辛い時期が少なくなる
・ここは救急病院で治療がメインの病院なので、退院したらしばらく通院の後様子を見て緩和ケアの病院に転院となる
ということを先生からわかりやすく丁寧に話してもらった。

その後、
Q.骨髄異形成症候群は、遺伝しますか?私の娘たちは祖父である父と祖母にあたる元夫の母がこの病気になってます
A.現時点での研究では、遺伝するということはないです。骨髄異形成症候群は、遺伝的要因というより骨髄の老化や突然変異でなるものと言われています。
Q.2021年の12月の、かかりつけ医でしていた血液検査の結果を見られたと思いますが、あの時点で先生がちゃんと大きい病院に紹介などして再検査できていたら、白血病になるのを遅らせてもうちょっと長生きすることができたんじゃないかとちょっと怒ってます。
A.そうですね・・・。たらればになってしまいますし誰にもわからないことですし医療的な見解でシビアな事を言いますが、もしそこで検査していたとしても、数ヶ月の差はあっても行き着く先は一緒だっただろうと思います。
(全員涙目)
Q.今後どのような感じで体の変化があり、家族はどうしたらいいでしょうか?
A.人それぞれありますが、倦怠感や食欲不振などの症状がどんどん強くなっていきます。一ヶ月・・二ヶ月くらいで急速に変化すると思います。また血管が脆くなっていて、外傷があれば血が止まらないということもありますし、外傷だけでなくても内臓や脳からの出血があれば急激に意識がなくなるということもあります。とにかく安静に努めることですが、体調の良い日は好きなことをして美味しいものを食べてください。

ということをメインに質疑応答をしてもらった。

そして延命治療について。
先生は「交通事故や年齢が若く回復の見込みがある方は、ご家族の希望で延命治療されることが多いです。でも延命治療は状況に応じて喉に穴をあけたりすることもあるし、喋ることもできないという点で本人様は本当に苦痛が伴います。そこも踏まえてご家族で決めてください。決定したことはどうであろうと病院側は絶対に従いますので」と言っていた。
「お父さんがしたいように決めて」と母と私と弟は父の方を向く。しばらく言いづらそうにしていたけど

「もっと長く生きたいけど。できれば正月は迎えたいと思ってるけど。だけんていって意識もない・話もできん状態になってまで生きたいとは思ってない。俺がもっと若くてこんな病気じゃなくて、頑張って延命治療して目が覚めたら治るていうならするよ。でもそうじゃないなら…せんでいい。呼吸が止まっても心配蘇生もせんでいい。ただ息してるだけで命日を伸ばしたところで何にもならん」

と寂しそうに背中を丸めてぽつりぽつりと話してくれた。
とても切なく悲しい時間。でも諦めずに正月は迎えたいと言ってくれたことがとても嬉しかった。
次の受診日に延命治療拒否の書類に署名捺印をする。

ではこの後輸血と点滴を初めて明日の朝には退院となります。
以上で他に何か質問はありませんか?
と聞かれ私と弟はアイコンタクトをして先生にダメもとの質問をした。

「明日退院した後、故郷の天草に連れて行ってもいいですか…?」

先生「ええ =͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)ー?amakusa???天草ですか???」
そらびっくりするよな。
「でも明日しかないと思うんです。この先一番体調が良いのは明日だと思うんです。4月に入院してからずっと帰りたい墓参りしたいと言ってて、お父さんは諦めてるみたいだけど、叶えてあげたいんです。」
「俺の車はでかいからキツくなったら横になれるし、なんかあったらすぐ引き返すか近くの救急病院に連れて行けるようにゆとりを持って行くので!」
「どうですか先生!無理ですか!!!!無理というならやめますから!!」
と必死で哀願する姉弟。他人事のように絶対ダメって言われるけん黙っとけと言う表情の両親。

苦笑いの先生が「そうですね…。行きたいところに行くのは賛成ですけども…笑。さっきも言ったように血が止まりにくいということと疲れやすいということを必ず頭に置いておいてもらって、長時間ドライブになると思いますが途中途中しっかり休憩をとって水分補給も忘れずにいてもらえたらちょっと安心かな、と、は、思います。」
「いや〜天草かぁ〜笑。どの辺ですか?」
弟「本渡です」
「本渡かあ〜〜!!!どっちかというと手前ではないなあ…。2時間、いや往復5時間くらいかぁ…●●さぁ〜ん(看護師さん)ごめんちょっと血小板増やそ!!今日だけじゃなくて明日の朝も入れていこ!!ちょっとでも不安減らしたいもんね!!」
と、精一杯の安心と力をくれた。本当に感謝しかない。

家族全員でぺこぺこして先生にお礼と今後ともよろしくお願いしますと言いながら退室し、父は「また明日な」と手をひらひらさせた後看護師さんに押されて車椅子で病室に戻っていった。
残された三人で見送りながら
「先生、どんな話しても絶対来年の事までは言わんかったね」と呟くと
弟「そういう事なんだろうね。ここから年末までが残された時間だろうって今までいっぱい同じ患者さん見てるけんわかるんだろうね。本当の覚悟せなんって事だね」
母「早すぎて頭ついていかんけど、そうだね。覚悟せなんね」
私「私家族写真撮りたい。4人で」
と喉が詰まったような声でそれぞれ言葉にした。

明日は絶対無事に行って帰ってきてやる。
お父さんの最後の里帰りかもしれない。お父さんが最後に目を閉じる前に「あの時行けばよかった」と思うより「あの時行っといてよかった」と思って欲しい。

お父さん、久しぶりの天草だね。
小さい頃みたいに家族全員で。
あの頃はお父さんの運転で4人でカローラに乗ってたのに、今じゃ孫が6人も増えて車1台じゃ足りないよ。
楽しみだね、お父さん。

頑張れお父さん。

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