頑張れお父さん 1

4月5日に入院、その後抗がん剤治療が始まった父。
急性骨髄性白血病の中でも、予後が非常に悪いとされる骨髄異形成症候群を経ての発症だったため、年齢も考慮すると完全治癒は難しいでしょうと医師は言っていた。
初めは白血病細胞を叩く強い抗がん剤を1クール、その後地固めの抗がん剤治療を4クールという治療計画が立てられた。1クール目に使う抗がん剤は非常に強いけど、倒れる直前まで立ち仕事をしていたという父の体力を見込んでの挑戦。

治療が始まってから1週間で副作用による症状が強くなり、腸が炎症を起こし発熱、尿が出ずむくみのせいで2日で8キロも太ってしまい苦しい、味覚が変わり飯もまずい、毛が抜けて外に出るのがスースーして恥ずかしいと毎日母に電話しては嘆いていた。
「もう俺は死んだんかていうくらい色んな人から泣きながら電話がかかってくる。心配はありがたいけど俺は今死なんように治療しよるんばってん…」と言って寂しそうに笑いながら話す父からは、まだまだやる気いっぱいだなと感じられる。

ゴールデンウイークに帰省した時、頭がスースーしないように綿糸で帽子を二つ編んだ。お父さんぽい色味の青と、オーソドックスな黒。
差し入れの袋に入れて看護師さんに渡してもらったら早速着けてくれたようで、廊下ですれ違う他の患者さんに「そんな帽子が欲しい」「おしゃれですね」と褒められたと喜びの電話がかかってきた笑
よかったよかった。

治らないんじゃないか死ぬんじゃないか退院できないんじゃないかと父に弱気になってほしくなくて「退院したら10万お小遣いあげる」とLINEしたり、パチンコ動画のリンクを送ったり、毎日くだらないメッセージを送り続けた。文章の一番最後には必ず「頑張れお父さん」という文字を入れて。
電話専門で文字が打てない父は、既読マークが返事の代わり。

店の閉店作業が終わる頃には副作用もだいぶ治まって体調も落ち着いてきたようで、私に憎まれ口叩いたり「10万準備しとけよ!」と笑いながら言ったり、予定より1週間延びた一時退院を前にメキメキと元気を取り戻し…そして5月15日、待ちに待った一時退院を迎える。
退院した日には、母と二人で地震で崩落した元阿蘇大橋を展望台まで見に行ったり、うどんを食べたり、家族風呂に入ったり、久しぶりの外を思う存分楽しんで美味しいものをお腹いっぱい食べていた。

その週末、私は子供たちを連れて実家に帰省。
待ちに待ったお父さんとの再会!…なのに私は治療中の歯がめっちゃくちゃ痛かった。歯医者を出て自宅で身支度整える頃からジクジクと痛み出し、その後実家までの2時間半激痛に耐え運転、途中鎮痛剤を飲んでなんとか着いた時には倒れ込むほどしんどかった。
「お前大丈夫や?」と癌治療中の方に逆に心配される始末。
嬉しいはずの一時退院祝いが意識朦朧とした状態で始まってしまった。
何を話したのか、何を食べたのかほとんど思い出せない。私本当に運が悪い。

次の日お昼は何食べようか〜と話していたら父が「俺はあれが食べたい。チキンのケンチキ」と珍しいこと言い出した。入院中CMで見てずっと食べたかったらしい笑
感染症が怖いけん俺はどこそこ行かれんとたいね…と案にお前行ってこいを醸し出してくるけど、言われなくてもこの歯痛の私が行きますとも!買い方も知らんでしょうが!
父は軽く3つ、チキンを平らげた。骨までしゃぶりついてものすごく美味しそうに。

私たちが帰る日曜日のお昼は「コッテリした麺が食べたい」と言い出した。ラーメン出前する?と聞いても「ラーメンじゃなか」
なんや?コッテリした麺て。
「あのほら、大分の日田の焼きそばあるたい。あぎゃんと」
「あぎゃんと」て、日田の焼きそばがそぎゃんだろたい?笑
ということで、想夫恋の焼きそばをテイクアウト。ペロリと一人前を平らげる父。こんだけ食欲があるならしばらくは安心だなと感じた。

2日間特に何もせずただただぼーっと家で過ごしたけど、父は家にいる間中パチンコ番組を見て、番組が終わればYouTubeでパチンコ動画を見て。ずーっとパチンコパチンコ。ほんと好きだな。

夕方自宅へ戻る直前からまた歯痛が激しくなり、アイスノンで顔面を冷やしながら一眠りする私に
「そがん無理して来んでちゃよかったてから…会えるのは嬉しかばってん、途中で事故でも起こしたらどうするね。鎮痛剤はまだ持っとるや?俺のばやるけん飲んでからいけ。歯医者もすぐいかなんばい。無理すんなよ」
と心配そうに声をかけてくれた。

私、多分お父さんより健康なのに、ただ歯が痛いだけなのに、お父さん。
心配かけてごめんねお父さん。
と、心の中で呟いて涙した。

帰る前「またな。次も頑張れよ」とハイタッチアンドハグしようとしたら全力で拒否られた。なんか感染ると言われて。なんがうつるてや。
また来月の退院に帰るねと別れた。

最後に会ったのが3月28日。4月5日に姿を見ることもなく突然入院になり、そのままもしかして生きて会えないんじゃないかとこの1ヶ月ちょっとを過ごしていたので、会って顔を見れたことでだいぶホッとできた。

一時退院の時に、医師から「このまま次の治療を始めるには体力の面で心配があるけどどうしますか?一回目を何とか今乗り越えて数値も良くなったので、2回目に移りたい気持ちもありますがうまくいくという保証はないので、ご本人様の希望で始めたい」と言われ、父は「治療しないと治らないならやります」とはっきり答えたらしい。
母としては今の状態を何とか保ってもう少ししてからがいいんじゃないかと思ったけど、父はきつくてもやれると言い切った。

次の治療もきっと乗り越えてくれる。
その食欲とパチンコ欲があれば大丈夫。

頑張れお父さん



ちなみに歯は月曜日朝一に病院に行って再治療をお願いした。
ビービー文句言う私に「え〜?痛かったですか?何でだろう」と余裕ぶっこいていた医者が私の歯を見て「ヒィッ」と息を呑むのを聞き逃さなかった。
クッソ膿んでたらしい。
本当に許さないからな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?