おとうさんと仕事

「あと何年続けられるかな〜」と言いながら自営業で床屋を営んで早40年超。50代くらいまで髪型やひげ・声もマリオな父でしたが、70歳を超えた今、ひげは剃ってしまったし、遠くから見ると毛が歩いてるようだったふわふわヘアーはしょんぼりとしてしまい、ポーンと出ていたお腹もしぼんでしまった。そして口うるさくパチンコ大好きで、自分の欲により忠実に生きるようになってきた。

父は、雨が振ろうが槍が振ろうがとにかく店の事を一番に考えている。

私が小1の時店が床上浸水した水害があった時も、明日が自分の結婚式というお客さんの為に浸水が始まってもギリギリまでアイパーをかけ続けていたし、高校の時豪雨のため学校まで自転車で行けず送ってもらった時は、運転しながら道路に水が溜まりだしていることに気づいた父に「お前はここで降りていけ。店に戻らなん」と、膝まで水が溜まっている路肩に放り出されたこともある。

私が福岡で一人暮らしをしていた頃働いていた居酒屋のオーナーが「自分は行けないから誰か知り合いでもいいけん行けないかな〜」と相撲の福岡場所のチケットを持ってきた。しかも3万円くらいする砂かぶり席。日付が父の誕生日だったし相撲好きなので誕生日プレゼントにどうかなと電話して聞いてみたら「水曜日だろ?無理無理」とバッサリ。いいじゃん一日くらい!!砂かぶり席よ!?と食い下がったけど「店ば開けなんどが。無理無理」

そして次女出産の時。朝7時半におしるし&陣痛で目が覚めたけど、元旦那はさっさと仕事に行ってしまったので、唯一動ける父に迎えに来てもらって、長女は寝たまま車に乗せてそのまま病院へ送ってもらった。12月の早朝、すごく寒い中病院に到着して荷物をおろしたら「もう戻ってよかろ?もう店ば開けなん時間だけん。じゃあな」と行ってサッサーと行ってしまった。まだ開いてない病院のインターホン押しながら「オイコラ私今陣痛来とっとぞ」「一言でいいけん、頑張れよとか言えよ」って思いました。

熊本地震の後は「水もまだ復旧してないのにシャンプーどうすっと?みんな家のことで大変なのにお客さんなんかこんよ!!」と、どんなに私が言っても聞き入れず、涙目で「オレは店ば開けんと飯が買えん。このまま閉めとかなんなら死ぬのと一緒ばい」と本震後わずか数日で店を開けて、来ないお客さんを待っていた。

どんなイレギュラーがあっても、店は開ける。開けないと金が入らないから。クソ真面目ですが、自営業者としてはとても大事な事なんだと、自分が大人になってからは理解できるようになりました。


そして父は「客商売はもちつもたれつ」と、言いはしないけど行動で表現していた。

居酒屋の店主が髪を切りに来てくれたら、その店に家族でご飯を食べに行く。病院の先生が来てくれたら、風邪を引いた時行ってみる。車のディーラーの人が来てくれたら、そこで車を買う。建築業の人が来てくれたら、店の修理を頼む。

お客さんだからお得にしてくれるかもとかいう期待をしてではない。実際「お〜いらっしゃい!」で放置されることのほうが多い。でも来てくれたから行ってみる。そしたらまたうちを思い出して来てくれるかもしれないから。このやり取りを経て、長い付き合いになる常連さんがたくさんいて、今も潰れること無く細々と営業できてる。

これって基本の人付き合いだし、たぶんどの人も普通にやっている事。でもこの普通をやり続けるって大事なことだよなぁと思う。


昔に比べ、店の前を通るとお客さんの髪を切ってる姿よりテレビを見てぼーっと座ってる姿を見るほうが多くなった。40年も営業していると、開店当時高校生だったお客さんが還暦近くなり、働き盛りのサラリーマンだったお客さんは寿命を迎え去っていく。「アイスでも買いなさい」とお小遣いをくれていたおじちゃんたちは、もう半分くらいしかこの世にいないんじゃないだろうか。

そして店も、熊本地震によって半壊判定が出てしまい、別のテナントに移転した。今は崩されて駐車場になってしまった。

私が生まれ育った店。ドアを開けたときの匂いや、雨が降ったときの湿っぽさ、トイレを流す音も何もかもリアルに思い出せる。今でもたまに夢に見て、起きたときには寂しくて懐かしくて涙が出ている。あの店に帰りたいなぁ〜と本当に思う。

「36年、ずーっとおった場所が壊されるのは見たくない。店も可愛そうたい…」と、解体されている時店の前は一度も通らなかった父。今も通るのは極力避けているらしい。「店が可愛そう」って何(笑)と、聞いた時は母と一緒に笑ったけど、たぶん父にとってあの店はもうただの建物ではなくて、苦労も喜びも全て共に生きた相棒だったんだろう。


ただ喋りに来るお客さんも歓迎し、髪切った後小一時間おしゃべりする人を追い返したりしない。下らないオヤジギャグでその場を凍らせて、しつこくウンチクを披露したりもする。でも実家に帰るたびに「お客さんにいっぱいもらったけん持って行って」と季節の野菜等を持たされる。あぁ〜良いお客さんがまだいっぱいいるんだなぁと思って嬉しくなる。

うちは決して裕福な家庭ではなかったし、床屋は月曜と第一日曜しか休みが無かったので家族旅行というのも1回か2回くらいしか無い。そんなのどうでもいいと思うくらい、私は父のお店も仕事も好きだ。「あなたを誇りに思う」ってこういう事なのかな。

カミソリ中に父の後ろを通ろうとしようもんなら「ドルァ!コルァひげ剃りよっとぞ!!!チョロチョロ動くな!!」と怒号が飛ぶ。洒落けづいてジェルを勝手に使ったときには、バレないようにそ〜っと元の位置に完璧に戻したのに何故かバレた。とにかく道具を一ミリでも動かすとバレてめっちゃ怒られる。これは我が家の七不思議の一つである。


足を大きく広げて体を安定させ、下から上にハサミをシャキシャキと動かし、お客さんの襟足を揃える姿。激アツの蒸しタオルパンパンして湯気がモワ〜っと立ち上がり、それをお客さんの顔にのせた後、ブラシでひげ剃り用の泡をかき混ぜている一連の動き。夜営業終了後、洗ったパーマ用のワイプを膝の上で伸ばして積み上げる作業。

かっこい〜〜!!と思って中1の時「私は美容師になるね!」と言ったら、「そうや、お前の性格なら向いとるかもね」と言いながらニヤリと嬉しそうに笑っていたね。

なのにデザイナーになっちゃった!ごめんねおとうさん!

大好きだよおとうさん!

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