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私が考える刑罰回避の例外~サイコパスへの適用について~

今回のテーマは刑罰の意義と刑法39条の責任能力の確認
そして、それらをサイコパスと考えられる犯罪者に適用した場合
起こりうる実害について考えてみたいと思います。

結論としては、紳士協定はケモノには意味がないと考えています。

まず刑罰を科す意義としては
1.犯罪の予防・抑止という公的な利益の実現(秩序維持)
2.犯罪者が再び罪を犯すことが無いように教育する
3.罪に対して報復をする目的(代わりに私刑を禁止して国が代行)

等が考えられます。
まず1.については重大犯罪を行った犯罪者が報道などを通じて
どういう重い刑罰を受け、また、話題に上がるといった社会的制裁を
受けることにより、犯罪を実行すればどういうひどい目に遭うかを
周知することで犯罪抑止を行うことが考えられます。

次に2.については服役を通じて規律や規則正しい生活を定着させ
また、道徳教育などを行うことで犯罪者を更生させることが考えられます。

最後に3.については被害者やその遺族、被害を被った周囲の人間の
納得を得るために、犯した罪の重さに比例した苦しみを
犯罪者に与えることで、被害者らの心理的救済を図るとともに
国家が報復行為を代行することで、被害者が自力救済で復讐を行うことを
防ぐ目的があると考えられます。

次に刑法39条の「責任能力」について考えてみます。
責任能力を有するかについて

①精神の障害がないこと
②事物の理非善悪を弁識できること

の2つが成立することが条件と言われています。

1.の「精神の障害」は統合失調症・躁鬱病などの精神病
病的酩酊・複雑酩酊・激情状態等の意識障害
知的障害等の精神の変性などがある場合とされており
2.の「事物の理非善悪を弁識」は自分の行為とその結果を認識し
又は予見できること、そして認識し又は予見できた行為や結果が
犯罪に該当すること(違法であること)を認識できることとされています。

以上を踏まえてサイコパスについて考えてみます。
まずサイコパスの性格の犯罪に関する特徴としては
・共感性・思いやりの欠如
・嘘つき
・自分の非を認めない
・結果至上主義
・他人を操ろうとする
・良心の欠如
・刺激を求める
・利己的

これらに加え反社会的サイコパスの場合
・衝動性
が加わります

そこでまず1.犯罪抑止ですが、反社会的サイコパスには
衝動性の強さにより、刑罰による犯罪抑止の効果は限定的になります。
他方、向社会的サイコパスへの犯罪抑止の効果は非常に高くなります。
これは衝動性が抑えられ、結果至上主義により罪を犯すと
刑罰によって非常に不利益を被るというのが明らかであるためです。

次に2.刑罰を通じての更生・教育ですが、共感性・思いやりの欠如
嘘つき
自分の非を認めない良心の欠如利己的の特徴
そして何より、他人へ加害することが楽しいという性格は
刑罰を通じて更生することは非常に困難と考えられます。

最後に3.罪に対して報復する目的については、2.と同様に
共感性・思いやりの欠如嘘つき自分の非を認めない
良心の欠如利己的の特徴から、犯罪者自身の心からの反省は
まず望めないことから、報復以外に被害者の心理的救済を図ることは
難しく、非常に効果的、もしくは唯一の方法と考えられます。

以上より、サイコパスへ刑罰を科す目的について
1.は部分的に効果的、2.は効果が低い、3.は効果が高い
と考えられます。

次に責任能力について考えてみます。

①精神の障害がないことについて、共感性・思いやりの欠如
嘘つき
自分の非を認めない結果至上主義他人を操ろうとする
良心の欠如
刺激を求める利己的という広い特徴で
まずサイコパスは精神の障害がある、心神喪失状態を主張して
刑罰の回避もしくは軽減を図ると考えられます。
サイコパス的性格の被疑者が責任能力の有無によって
無罪を主張することにより、この責任能力については
世間一般で是非が問われやすい、疑問点が多い制度と
捉えられていると私は考えています。

②事物の理非善悪を弁識できることについて、
多くの向社会的サイコパスは判断能力が優れているため
(もしくは判断能力が優れているサイコパスのみが向社会的といえる)
自分の行為とその結果を認識し又は予見できること
そして認識し又は予見できた行為や結果が
犯罪に該当すること(違法であること)を認識できる
事は可能だと考えられます。

ただし、共感性・思いやりの欠如良心の欠如利己的より
他者に害をなしたから悪と考えるのではなく
ルールを破ってそれが「ばれたから」悪とされてしまった
と考えると想像されます。

つまり、一般人が考えるような、例えば人を刺して
その相手が痛みに苦しんだり、体に傷害が残ったり
心に衝撃を受けたことなどを悪いと感じる感性・センスが
サイコパスには存在しないと考えるべきとなります。
よって厳密な意味で事物の理非善悪を弁識できるとは言えない
と私は考えています。

以上によって、サイコパスの取り扱いは一般人と違い
特別な考慮がされるべきと私は考えています。
刑罰の適用はサイコパスへ効果的な一方
更生効果はあまり望めない事
そして、刑法39条の「責任能力」はサイコパスに悪用されやすく
親和性も高いからです。

つまり、例えばサイコパス判定を行うことで、責任能力があることについて
特別な措置を取らない場合には、サイコパスは責任能力無しと主張して
無罪を勝ち取り、しかも再犯する可能性が高いと考えます。
これは痴漢行為や幼児への性犯罪などの犯罪者がサイコパスの一種だと
想定しています。
つまり衝動性によって刑罰による犯罪抑止効果が低く
良心の欠如によって事物の理非善悪の弁識が不完全であり
刑罰を回避する可能性は高いのに再犯可能性も高いという
問題が生じていると考えられます。
広義の冤罪を抑止する意味からも「責任能力」の有無が確認されていると
思われますが、ことサイコパスに関しては
適用除外を考えるべきと私は考えます。
なぜなら、彼らには「罪の意識」が欠如しており
言い換えれば人の姿をして人の知恵を操る「ケモノ」
と同等だからです。
それでも1度も重罪を犯したことがないサイコパスならば
法の効果により加害行為を抑制しうると考えられますが
逮捕され立件され事実行為が確認できたサイコパスの
被疑者については、加害行為を抑制するはずの
法規範も道徳も倫理も損得勘定も機能しないと考えられるからです。
そうなると、隔離ないし排斥以外に加害行為の抑止は
困難かと考えられます。もし無罪を許容するなら
社会全体で「サイコパスによる犯罪は本人の更生不可能な性格に
基づいて行われる、つまり責任能力がない行為だから許されるべきである」
というコンセンサスが必要になると考えます。
もしくは多くのサイコパスの性格を矯正できる教育プログラムを開発する
べきと考えています。

ちなみに私は人が人を裁く行為は秩序の維持のために必要だと
考えていますが、その根拠は「違法行為であること」と
「大多数の人々がその犯罪行為に対し嫌悪の感情を抱き刑罰に
納得すること」であり、「善悪に即して悪であること」を根拠として
人を裁くのは人の領域ではないと考えています。その意味で言うと
サイコパスが1人の殺人を犯した場合でさえほとんど必ず
「無期刑」になることは疑問だと感じています。なぜなら
更生可能性が低いため秩序維持の目的では「無期刑」が妥当か
疑問であり、大多数の人々がサイコパスに対して
「死刑」にならないことを納得できるか疑問だからです。

死というものは不可逆の変化であり、たとえ犯罪者の命をもってしても
殺人の代償に到底足りず、代償自体が本来不可能です。
サイコパスがこの世に一人も存在しない条件であれば
性善説や罪の意識を重視し、死刑廃止制度について少しは
考察の余地があると考えていますが
サイコパスの存在を前提とすると、人が人を裁く重みについて理解できても
死刑廃止について簡単に肯定できないと考えています。
死刑以外に止まることはなく、罪の意識もない「ケモノ」の
取り扱いを考えた場合。

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