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#セクシャル・マイノリティ

表札を掲げる(マイノリティのラベリングについて)

窓の外を想像してみてほしい。 窓の外、ということはあなたは建物の中にいる。居心地のいい自宅なんかが適当だろう。 では、窓の外には何があるだろうか。ありふれた住宅街だとすれば、道があり、さまざまな家があり、小さな公園もあるかもしれない。人がおらずとも、穏やかな人の営みを感じることだろう。 さて。その、あなたが今まさにいる”居心地のいい家”がなくなったとしたら、どう感じるだろうか。 つらつらと何を書いているかといえば、ラベリングについて私が理解しているビジョンを伝えようと四

徒党を組んで投げる葦(自由意志と主観、マイノリティの口を塞ぐ手について)

恋愛感情がないとなぜ人非人とされるのか? これはアロマンティックを自認してから長らく疑問に思っていることだ。「恋愛感情がないなんて」の次に続く言葉はパターン化している。「まだその時が来てないだけ」「信じられない」「恋愛感情のない人間なんていない」だいたいそんなもんだろう。下手するとサイコパス扱いすらされることもあるし、「最近アロマンティックかも」なんて、アクセサリーのようにガッついていない演出・あるいは恋愛していない時期を指す言葉として使われることもあるそうだ。生まれてこの方

ガラテイアになんぞ成りたくないね

世の中を眺めていると、割に多くの女性は『ガラテイアの呪い』にかかっているように思う。いま私が考えた名称なので安心してほしい。軽く説明しよう。 ※今回も『自分の中のもやっとした気持ちを紐解く』という感じのnoteです。超自論の領域展開なので、あしからず。(最近呪術廻戦読み始めました) ガラテイアとは、『ギリシャ・ローマ神話』(トマス・ブルフィンチ)に出てくる、とある男の理想を形にし作り出した女のことだ。元は男が制作した彫像だったが、彫像に恋をした男の接吻により人に”変身”し、

それが愛であるならば、(全て許されるのか?というAceのぼやき)

愛、という言葉を聞くと思い出す一節がある。 これはウィリアム・バロウズの絶筆となった一文だが、アロマンティック・アセクシャル民で恋愛感情がさっぱりわからん私からすると、”愛”を端的に表す一文として一番納得したものだ。(ポピュラーなのは俗説でいうところの漱石の『月が綺麗ですね』あたりだろうが、人間の機微に疎い私にはさっぱりわからん。奥ゆかしすぎますわ)私自身、人間は平等にそれぞれの尺度で満たされないと考えている人間なので、だいたいの人間はすべからく生きづらいし、それぞれに不幸

他者とのコミュニケーションに承認欲求をドカ盛りすなという自戒と、私にとっての結婚について。

これは宣誓である。『人間は皆こうすべきだ』とか、『しなければならない』という話ではなく、私自身が自分の指標を見失わないよう、今のところの所感をタラタラ書き連ねているだけのものだということを一応頭の片隅においた上で読んで欲しい。以上言い訳でした。 吾輩はアラサー、バッキバキの結婚適齢期である。しかし、結婚する気はまるでない。 なぜかといえば、単純に必要がないからだ。 私はアロマンティックアセクシャルというセクシャリティを自認している。恋愛もしなけりゃ人へ向ける性欲も持たないと

やあやあやあ我こそはAro/Aceと言えるようになるまでの話

ブログなんかの第一投稿目って自己紹介から入らないといけないような気がしているので、とりあえずパーソナルな部分から一旦書いてみようかな、というわけで初投稿です。 いや、別に自己紹介なしでもいいとは思うんですよ、どうフィールドを使おうが個人の自由なわけですし。 ただまあ私は名乗りを上げないとコミュニケーションが発生しないと考える頭コチコチのマインド武士のため、『やあやあやあ我こそはAro/Aceの住人、ちるとなり!趣味投稿がしたいがためにnoteに参った!』というのをお伝えに参り

ゴドーなんて来ない(アセクシャルのカミングアウトにおける「待つよ」問題とか)

Tinderに性的指向項目が実装されたという一報がタイムラインで流れた際、一部Ace界隈がそわっとした。(私が見ているのはごくごく一部だと思うので、全体かはわからない) 初見の印象は、『大手がそういった実装するのは喜ばしい』だった。Aceにとってのパートナー探しというのはかなりハードルが高い。あってしかるべきとされる『恋愛感情や性欲がない』という悪魔の証明をヘテロへすることは至難の業であり、そこから落とし所を見つけていくのはさらに難しい。だから、Aceでパートナーが欲しい人に