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新型コロナ:バチェレ高等弁務官、経済主導の出口戦略に警鐘を鳴らす(2020年5月)

 ミチェル・バチェレ国連人権高等弁務官が2020年5月14日に行なった、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するスピーチの日本語訳を掲載します。ジュネーブの国連認証特派員協会(Association des Correspondants Accrédités Auprès des Nations Unies: ACANU)で行なわれたバーチャル会見の冒頭発言です。

★Press Conference with ACANU Geneva, 14 May 2020: Opening remarks by High Commissioner for Human Rights Michelle Bachelet
https://www.ohchr.org/EN/NewsEvents/Pages/DisplayNews.aspx?NewsID=25886&LangID=E

 Facebookでは翌日に概要を紹介しておきましたが、バチェレ高等弁務官が述べている内容は、4か月近くの時間を経てもなお、日本を含む多くの国が耳を傾けなければならないものだと感じたので、全訳しました。

 なお、バチェレ高等弁務官によるCOVID-19関連の声明等は、他に以下のものが日本語訳されています。あわせてご参照ください(カッコ内は発言日です)。その他の資料は筆者のサイトの〈新型コロナウィルス感染症と人権 参考資料〉を参照。

●ビギナーズ鎌倉:『コロナウイルス:最前線で人権を尊重し、対策の中心に据える必要がある』 国連人権高等弁務官(2020年3月6日)
https://miyatak.hatenablog.com/entry/2020/03/09/123402

●IMADR:国連人権理事会 バーチャル対話「リーダーシップが試される途方もない機会」 人権高等弁務官 語る(2020年4月9日)
https://imadr.net/unhrc-virtualdialogue-covit19/

●ヒューライツ大阪:「人権とCOVID-19パンデミックの影響に関する世界の現状」:ミチェル・バチェレ人権高等弁務官による第44会期の国連人権理事会での報告(2020年6月30日)
https://www.hurights.or.jp/archives/newsinbrief-ja/section4/2020/08/covid-19442020630.html

(以下、スピーチ本文)
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 おはようございます。

 この星に住む数十億人の人々の生活を混乱に陥れている非常に困難な状況下で、皆さんが個人としても職業人としてもつつがない生活を送っていらっしゃることを希望します。

 いまや、もっとも豊かでもっとも力のある国々でさえ、このようなパンデミックに対処するための備えがまったくできていなかったことがいっそう明らかになってきました。医学の専門家から、深刻なパンデミックの発生は避けられないと長きにわたって警告されていたにもかかわらず、です。これまでに400万人を優に超す人々が感染し、25万人を優に超す人々が亡くなりました。経済は破壊的影響を受けています。数字は容赦なく増え続けていますし、南の開発途上国におけるCOVID-19の拡散はまだ初期段階にありますので、ほぼ確実に増え続けるでしょう。

 ウイルスそのものは差別をしませんが、その不均衡な影響は人間が生み出してきた社会的・経済的不平等を露わにし、その不平等に乗じてウイルスは広がり続けています。生活および経済に対する全般的影響が破壊的であることは明らかですが、十分に予想できたように、もっとも貧しく周縁化された層――人権の赤字にもっとも苦しんできた人々――が誰よりも最悪な影響を受けていることが、データによって示され始めています。

 すでに多くの教訓が明らかになっており、住民の一部の経済的・社会的権利をないがしろにすることはけっきょくすべての人に跳ね返ってくるというのもそのひとつです。私たちがこのような教訓からどのぐらいきちんと学べるかは、今回のパンデミックがどのぐらいの規模で、どのぐらい長く続くかに大きな影響を与えるでしょう。そのような学びは、COVID-19よりも致死性の高いものを含む、将来のパンデミックの防止または制圧のための備えを向上させるのにも役立つはずです。

 また、いままさに迫り来る予測可能な危機であって、グローバルな連帯を必要とする気候変動のようなその他の危機にも、緊急の問題としてこれらの教訓を適用することが求められます。

 ロックダウン後に社会を開放し始めた国がある一方、感染率と死亡率が急上昇する悲劇的状況に初めて直面している国もあり、私たちはますます複雑な時代に突入しつつあります。COVID-19の第2波・第3波が、あちこちで、異なる時期に、深刻さの度合いはさまざまながらも、発生する可能性も高い状況です。

 このような状況を複雑にしているのが、COVID-19がどのように作用するのか、今後どのように展開するのか、どのぐらいの期間を見込めば統制下に置けるのかについて、私たちはいまなお相対的にほとんど知らないという事実です。

 各国が自国の特有の状況にどのように対応するかは、自国の住民だけではなく、他の国の住民にも影響を及ぼす可能性があります。これは個人のリーダーシップの試金石であり、同時にグローバルなリーダーシップと協力の試金石でもあるのです。このリーダーシップの問題については後ほどあらためて触れます。

 元医師であり保健相を務めた者として、また元国家元首であり現在は人権高等弁務官である身として、正しいバランスを見出すことがいかに複雑な課題であるか、私は重々承知しています。政府としては、医学的事態にできるかぎり効果的に対処しながら、経済を崩壊から救うための試みも同時に行ないつつ、これが住民にもたらすであろう――すでにもたらしつつある――さまざまな追加的大打撃にも対応しなければなりません。今後、人権に関わる重大な課題が、医学的・経済的課題と分かちがたく絡み合いながら現れ続けていくでしょう。

ロックダウンからの脱出

 今日は、ロックダウンの解除に関連する具体的な人権問題にいくつか焦点を当てたいと思います。ますます多くの国がこの方向に進みつつあり、ここ数日の間に最初の暫定的措置に踏み出した国もあれば、今後数週間・数か月のうちにそのような対応をとろうとしている国もあるためです。

 当事国があまりにも拙速にロックダウンから脱出しようとすれば、さらに多くの命を犠牲にすることになる第2波が、より慎重な対応をとった場合よりも早く、いっそう破壊的な形で訪れる危険性があります。経済と社会がより日常的な活動へと移行していくなか、私たちは、職場、教育および移動を復活させるすべての措置、私たちの社会生活を向上させようとするすべての努力に、リスクがともなう可能性があることを認識しなければなりません。

 社会活動の再開にあたって対応を誤れば、第1次ロックダウンの際に払われた大きな犠牲がすべて台無しになってしまうでしょう。しかし、個人および経済へのダメージは、単に維持されるというだけではありません――それは相当に増幅されるのです。

何よりも、保健上の基準は満たされているか?

 WHOは、感染をコントロール下に置く必要性、また感染者全員の発見、検査、隔離および治療ならびに濃厚接触者全員の追跡を行なう保健システムのキャパシティを整備する必要性をはっきりと説明してきました。

 いくつかの国・地域は検査、追跡、治療および隔離に関する助言を最初から適用していたので、そのような対応をとった国・地域がそうしなかった国・地域の一部よりもうまくこの疾病の拡散を抑え込めてきたのは、偶然ではありません。3つの異なる地域から3か国だけ挙げるとすれば、大韓民国、ニュージーランド、そしてドイツは、今回のパンデミックが自国の領域で姿を現し始めたとき、対応のために大胆・迅速かつ効果的な措置をとったとして称賛を集めてきました。この3か国のうち2か国は、ロックダウンと緊急措置を緩和し始めて以降、すでにCOVID-19の再発――コントロール可能な規模であることを願いますが――に直面しており、私たちはそこからも教訓を得ることができます。

脆弱な状況に置かれた場所に対応するための特別措置が導入されているか?

 一部の場所で共同生活を送っている人々がいっそうリスクに直面していることについては、豊富な証拠から明らかです。ロックダウン解除の計画では、これらの人々に特別な注意を払う必要があります。

 たとえば、ロックダウンから脱出する前に、ケアホーム・精神医療施設・薬物治療センターの入所者とスタッフを検査するための措置や、このような場所の保健データをモニターして報告するための措置は整えられているでしょうか。今後COVID-19にさらされる可能性があるすべての人を対象として隔離および専門的治療を確保するための計画は策定されているでしょうか。第1波の際、一部の国でケアホームの高齢者がネグレクトの対象とされていたのは、背筋が寒くなる出来事でした。

 拘禁されている人々のために、同様の措置がとられているでしょうか。移住者については、またキャンプまたは居住区にいる国内避難民や難民についてはどうでしょうか。ロックダウン解除計画には、このような場所での過密状況を緩和するための措置も含まれるべきです。

 都市スラムのような高密度居住地域や、十分な水、衛生設備または保健ケア施設がないその他の地域でも、特別措置が必要です。このような地域では移動型の検査施設を利用できるようにする必要がありますし、無料の水や石鹸・消毒剤を提供する移動式ディスペンサーも必要です。ここでも、新たなアウトブレイクを早期発見できるよう、保健データの収集とモニタリングが欠かせません。

 特定の措置をとれるかどうかは、もちろん、その国の豊かさによってある程度規定されます。しかし、もっとも貧しい人々を――国内でも国家間でも――援助することは、もっとも豊かな人々の利益にかなうことなのです。COVID-19は剥奪状況がもっとも厳しい地域で悪化・増殖し、やがてはより豊かな地域でふたたび拡散することが避けられないからです。

ハイリスクな状況にある人々を対象とする焦点化された措置が整備されているか?

 住民全体の社会的・経済的福利にとって有用なように見えることが、同じ住民の一部にとってのリスクを相当に高めてしまうこともあります。たとえば、今回のパンデミックが人種的・民族的マイノリティや移住労働者に不均衡な影響を及ぼしつつあることについては、いくつかの国ですでに確固たるデータがあります。障害のある人々や基礎疾患のある人々は、他のリスク要因の広がりによっていっそうリスクが高い状況に置かれます。一部の先住民族も極度のリスクに直面しています。

 ロックダウン解除計画には、このようなグループに対応するための具体的措置が含まれるべきです。ここでも、特定の集団に対する不均衡な影響を把握するうえで、モニタリングと報告――細分化されたデータを用いたもの――が鍵になるでしょう。リスクにさらされているグループを守るためにとらなければならないその他の具体的措置としては、優先的検査や、容易にアクセスできる保健ケア――そして場合によっては専門的ケア――の提供などがあります。

 誰ひとりとして社会的保護制度から取り残されないことが私たち全員にとって重要であると、これほどくっきりと明らかになったことは過去にありません。そして、国によってはそのような制度がほとんど存在しないのです。

 貧しい国々は、今回の危機の影響をとりわけ受けている人々を対象とする水・食料、保健ケア、就労および社会的保護へのアクセスを含む主要な分野に支出を振り向け直すのに役立つ、国際社会からの――債務救済を含む――支援を支援を緊急に必要としています。

 にもかかわらず、多くのアフリカ諸国は手持ちの資源ですでに多くの取り組みを行なってきています。一部の国、とくにHIV/AIDSやエボラ出血熱を含む過去のエピデミックの経験を有する国は、COVID-19の拡散防止措置を速やかに整えました。また多くの国は、脆弱な状況に置かれた集団に対して少なくとも何らかの経済的援助や食糧援助を提供し、あるいは現金給付を行なっています。民間セクターが活動を続けられるように経済的刺激策を導入した国もあります。このような措置のいずれかまたは複数を採用している国としては、コンゴ民主共和国、エチオピア、ギニアビサウ、ケニア、ニジェール、セネガル、南アフリカ、スーダン、ガンビア、ジンバブエなどが挙げられます。

 世界各地に存在する脆弱な状況に置かれた一部のグループについては、非常に異なるアプローチが必要になるでしょう。たとえばグローバルサウスでは、高齢者はケアホームに入所するのではなく家族による世話を受ける傾向があります。これには利点と不利な点の両方がありますが、高齢者を守るための措置は適宜修正しなければなりません。

 ジェンダーに基づくドメスティックバイオレンスの恐るべき増加が、データによって明らかになりつつあります。問題の規模が明確ではない国々もあります。けれども、スペイン、ポルトガル、フランスなどの国々は、女性と女児が自分たちの苦境を公的機関に知らせることができるようにするための革新的措置を導入してきました。

 今回の危機は根深い偏見も露わにしました。移住者、マイノリティ、LGBTIである人々を含むさまざまな集団に、誤まった情報やヘイトスピーチが向けられています。対応にあたっては、デジタル追跡技術が配備される場合にプライバシーが保護されるようにすることなどにより、このような人権侵害に直面している人々を保護する必要があります。

労働者の保護を確保するための措置がとられてきたか?

 ロックダウンを解除する際には、安定した所得がない人々、遠隔労働ができない人々、そして社会機能の維持に不可欠な仕事に就いているすべての人々――保健従事者だけではありません――が最大のリスクに直面することになります。人口比に照らして不均衡なほど多くの社会機能維持労働者が移住者であること、そのほとんどは「不可欠な」存在であるにもかかわらずしばしば非常に低い賃金しか支払われていないことが、ようやく認識されるようになり始めています。

 このような労働者を保護するための措置には、多くの人々との接触をともなう仕事の従事者が、マスク、消毒剤、遮蔽材などの保護具を持てるようにすることが含まれるべきです。労働者および公衆を保護するための明確な規則が必要とされます。また、あらゆる形態の公共交通機関は可能なかぎり安全なものとされなければなりません。

 さまざまな国がこのようなタイプの措置をとろうとしています。各国には、おたがいの成功と失敗から学び、必要に応じて軌道修正する仕組みも設けられているでしょうか。第1波の際には、他国の経験に反応したように思われる国もあれば、そうしなかった国または様子見の期間が長すぎた国もありました――そのことによって壊滅的な影響が生じたケースもあります。

 ロックダウンから脱しようとしている国々、またパンデミックをまだ全面的に経験していない国々にとっては柔軟性と応答性がきわめて重要であり、地域的な感染急増またはその他の有害な帰結に応じて政策を迅速に修正できることが求められます。

今後の対応に住民は参加しているか?

 人々には、パンデミックについて正確な情報を得る権利があります。緊急措置をどのように解除するかも含め、自分たちの生活に影響を及ぼす決定に関与する権利もあります。国は、ロックダウンの解除計画を作成する際、ひどい影響を受けているコミュニティやグループ、そしてパンデミックの前線にいる人々――保健従事者、公共交通機関の労働者、食品製造・流通業で働いている人々など――と協議するべきです。

 参加は、当局に対する信頼を高め、感染を制限するための措置がより遵守されることにつながります。表現の自由が、他の人権と同じように公衆衛生のきわめて重要な要素のひとつであることを認識するのは重要です。

 私も元政治家ですので、国の指導者や与党によって政治を度外視することがいかに難しい場合があるかはわかっています。けれどもこのパンデミックは、政治やイデオロギーでは、または経済だけに焦点を当てた対応では、抑え込むことはできないでしょう。抑え込みは、慎重で鋭敏な、科学を指針とする政策立案によって、そして責任ある人間的なリーダーシップによって可能となるのです。

 健康と人権を犠牲にして政治または経済主導の対応を進めれば、生命という犠牲を払うとともに、短期的にも長期的にもいっそうの害が生じることになるでしょう。このようなアプローチは、単純に持続不可能です。将来的に持続することもできないでしょう。パンデミックが終わったとき、私たちは「ノーマルな」経済を再開することも、その他の面でCOVID-19以前の状況に復帰することも、できないはずです。これこそが、今回の危機から得られるもっとも重要な教訓とされるべきです。

 COVID-19パンデミック下にあって経済的要請と保健面・人権面の要請とのバランスをとることは、すべての指導者およびすべての政府にとって、もっとも慎重な対応を要する、圧倒されそうな、そして違いを際立たせる経験となるでしょう。彼らが歴史において占める位置は、今後数か月間にどれだけうまくやれるか、あるいはどれほどひどい手しか打てなかったかによって決定されます。彼らの対応が特定のエリートの利害に基づくものになってしまえば――そしてそれほど特権的な立場にはないまたは周縁化されたその他のコミュニティでCOVID-19がふたたび広がる状況を引き起こしてしまえば――、その結果はすべての人にはね返ってくることになるでしょう。

 ありがとうございました。

(平野裕二仮訳)

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