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国連・子どもの権利委員会、シリア出身の母子の送還決定をめぐってスイスのノンルフールマン義務違反などを認定

 国連・子どもの権利委員会は、第88会期(2021年9月6日~24日)、個人通報制度に基づいてスイスの条約違反を認定する見解(CRC/C/88/D/95/2019)を採択しました(9月22日付)。シリアから避難してきた母子を経由国であるブルガリアに送還する旨のスイス当局の決定について、条約3条1項(子どもの最善の利益)と12条(子どもの意見の尊重)の違反に加え、多くの実体的権利の侵害の可能性を認めたもので、ノンルフールマンの義務を子どもとの関連で理解するうえでも重要な見解です。

 以下、決定の概要を紹介します(この記事を書いている時点で決定の英語版は公表されていないため、フランス語の原文をグーグル翻訳で英訳したうえで、適宜原文を参照しながら執筆しました)。

 申立人は、ヤルムーク難民キャンプ(シリア)で2007年6月1日に出生した男の子 K.A.H.(無国籍)の母親(シリア国籍)です。2017年7月にシリアから避難し、いったんブルガリアで補完的保護を付与されたものの、収容されたキャンプの環境が劣悪だったため、申立人は息子を連れて兄弟のいるスイスへと逃れ、2018年8月に庇護申請を行ないました。

 しかしスイス連邦政府は、非正規な状況にある者の再入国受入れに関する協定(2008年11月8日付)をブルガリア政府との間で締結していたことから、スイス連邦移民局は庇護を認めず、申立人とその息子をブルガリアに送還する旨の決定を行ないました。たとえブルガリアでの取扱いが本当に申立人の主張するようなものであったとしても、社会的保護を享受し、裁判所で権利を主張することはできるはずであるというのがスイス当局の判断です。申立人はさらに裁判で争いましたが、訴えは認められませんでした。

 そこで申立人は、ブルガリアに送還されれば息子が非人道的なかつ品位を傷つける取扱いを受ける現実の危険性があり、送還は子どもの権利条約の関連条項に違反するとして委員会に通報を行なったものです(2019年8月27日付)。委員会は、2019年9月28日、委員会による通報の審査が終了するまで申立人およびその息子の送還を停止するよう、スイス政府に要請しました。

 委員会は、審査の結果、送還決定におけるプロセスで条約3条1項(子どもの最善の利益)と12条(子どもの意見の尊重)の違反があったことを認定するとともに、申立人およびその息子をブルガリアに送還することは6条2項(生存・発達に対する権利)、7条(国籍に対する権利)、16条(私生活・家族の保護)、22条(難民の子どもの権利)、27条(十分な生活水準に対する権利)、28条(教育に対する権利)、37条(拷問または他の残虐な、非人道的なもしくは品位を傷つける取扱い等から保護される権利)および39条(被害を受けた子どもの心身の回復・社会復帰)に違反する旨の判断を判断を下しました(パラ11)。その理由は次のとおりです(要旨)。

「出身国外にあって保護者のいない子どもおよび養育者から分離された子どもの取扱い」に関する一般的意見6号(2005年)で委員会が述べたように(平野注/パラ27参照)、子どもをある国に送還した場合に子どもに回復不可能な危害が及ぶ現実の危険性があると考えるに足る相当の理由があるときは、国には送還を行なわない義務がある。このようなノンルフールマンの義務は、条約で保障されている権利の重大な侵害が国以外の主体によるものであるか否かにかかわらず、またそのような侵害が直接に意図されたものであるかまたは作為もしくは不作為の間接的結果であるかにかかわらず、適用される。このような重大な侵害の危険の評価は年齢およびジェンダーに配慮した方法で、かつ予防原則にのっとって行なわれるべきである。(パラ10.4)

● 子どもの追放に関する決定に際しては子どもの最善の利益が第一次的に考慮されるべきであり、またこのような決定においては、適切な保障措置を定めた手続のもと、子どもが安全であり、適切にケアされ、かつ自己の権利を享受することが保証されるべきである。(パラ10.5)

● この点に関わって、締約国(スイス)は、庇護申請の審査にあたり、K.A.H.と同様の状況にある子どもが非人道的なまたは品位を傷つける取扱いをうける危険性が現実のものを示す多数の報告を適正に考慮しなかった。また、シリアにおける武力紛争の被害者であり、ブルガリアで不当な取扱いを受けたと主張する庇護希望者としての K.A.H.の状況も適正に考慮せず、ブルガリアで同人が直面するおそれのある危険性について個人化された評価を行なうために必要な措置をとろうともしなかった。締約国は、申立人らはブルガリアで慈善団体の支援を受けられると主張するものの、慈善団体による支援は国の義務の実施に相当するものではなく、対症療法にすぎない。さらに、申立人が有する精神保健上の問題について締約国が適正に考慮したとも思われない。母親の精神的健康は、子どもの調和のとれた発達および生存にとって不可欠である。(パラ10.6~10.8)

● 以上のことから、委員会は、締約国が、K.A.H.がブルガリアに送還された場合にさらされるおそれがある危険性を評価する際に子どもの最善の利益を第一次的に考慮せず、またブルガリアで非人道的なまたは品位を傷つける取扱いを受けないことを確保するために十分な予防措置をとらなかったと考える。これは条約3条1項(子どもの最善の利益)違反であり、かつ6条2項(生存・発達に対する権利)、22条(難民の子どもの権利)、27条(十分な生活水準に対する権利)、28条(教育に対する権利)、37条(拷問または他の残虐な、非人道的なもしくは品位を傷つける取扱い等から保護される権利)および39条(被害を受けた子どもの心身の回復・社会復帰)に違反する可能性がある。(パラ10.9)

● 条約7条(国籍に対する権利)を遵守するということは、国は国籍取得権を実施するために積極的行動をとらなければならないことを含意する。K.A.H.が無国籍であることを認識していた締約国は、K.A.H.がブルガリアに送還された場合に国籍にアクセスできることを確保するため、あらゆる必要な措置をとるべきであった。したがって委員会は、K.A.H.がブルガリアに送還された場合には条約7条に基づく権利が侵害されることになると考える。(パラ10.10)

● 締約国は、庇護手続において K.A.H.の聴聞を行なわなかったのは同人が低年齢(当時11歳)だったためであり、意見を聴かれる同人の権利は母親を通じて行使されたと主張する。しかし、意見表明の方法(意見を直接表明するか、または代理人もしくは適切な期間を通じて表明するか)は子ども自身が決定すべきことであり、また12条は意見を聴かれる子どもの権利を制限するような年齢制限を定めないよう求めている(平野注/この点については一般的意見12号(2009年)のとくにパラ21および35を参照)。また、子どもの最善の利益について判断するためには、親の庇護申請の動機となった理由が何であるかにかかわらず、子どもの状況を独立に評価することが必要である。したがって委員会は、子どもから直接意見を聴かなかったことは条約12条の違反であると考える。(パラ10.11)

● 条約16条(私生活・家族の保護)に関して、委員会は、条約上の「家族」とは低年齢の子どものケア、教育および発達の確保を可能とする一連の体制を網羅するものであって、核家族、拡大家族およびコミュニティを基盤とするその他の伝統的・現代的システムを含むと考える。本件の特有の状況下にあっては、ヨーロッパで唯一の親族であるおじおよびいとこ(スイス在住)から K. A. H.を引き離すことは、K. A. H.の発達と社会的再統合をさらに阻害することになる可能性が高い。したがって委員会は、K. A. H.をブルガリアに送還することは K. A. H.の私生活への恣意的介入であって条約16条上の権利を侵害するものであると考える。(パラ10.12)

 このような認定に基づき、委員会はスイス政府には以下の対応をとる義務がある旨の見解を明らかにしました(パラ12)。

a) 非正規な状況にある者の再入国受入れに関するスイス連邦参事会〔内閣〕とブルガリア共和国政府の協定の枠組みにおいて K.A.H.氏をブルガリアに送還する旨の決定を再検討すること。
b) 申立人および K.A.H.氏の庇護申請を緊急に再検討すること。その際、子どもの最善の利益が第一次的に考慮され、かつ K.A.H.氏の意見が適正に聴かれることを確保するとともに、本件の特有の事情を考慮すること。このような事情には、一方では、申立人とその子どもが武力紛争の被害者および庇護希望者として経験してきた多くのトラウマ性の出来事の結果として有する精神保健上の問題および特有の治療のニーズならびにブルガリアにおけるこれらの治療へのアクセス可能性が、他方では、ブルガリア語を話さない母親が唯一の同伴者である子どもとしての K.A.H.氏の、ブルガリアにおける実質的な受入れ環境が含まれる。
c) 庇護申請を再審査する際、 K.A.H.氏がブルガリアで無国籍のままとなる危険性を考慮すること。
d) K.A.H.氏が、リハビリテーションを促進するための、有資格者による心理社会的援助を得られることを確保すること。
e) このような違反がふたたび行なわれないことを確保するため、あらゆる必要な措置をとること。とくに、i)自己に影響を及ぼす決定に異議を申し立てるための適切な手続にすべての子どもがアクセスできることを確保するため、法律上、行政上および金銭上のあらゆる障壁を取り除き、ii)庇護手続の文脈において子どもが制度的に意見を聴かれることを確保し、かつ、iii)子どもの送還または再入国受入れに適用される国内の標準手続において条約が遵守されることを確保すること。

 なお、個人通報制度に基づく委員会の主な決定は、筆者のサイトの〈国連・子どもの権利委員会 個人通報 決定一覧〉をご参照ください。


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