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子ども時代に出合う本 #10 2歳児と絵本

2歳児、人としての成長

2歳の子どもたちの一般的なイメージは、イヤイヤ期、つまり第一次反抗期ではないでしょうか。
でも「イヤイヤ」とか、「反抗期」って、育てるおとなの側の言い方なんですよね。子どもたちにとっては、大事な成長過程であり、自我が芽生え、自己の確立期なのです。だからポジティブに捉えてあげたいと思います。

それまで、衣食住すべてを保護者の手助けがなければできなかった、つまり親への依存が大変強かった子どもたちが、少しずつ自分で出来ることが増えていく時期で、おとなからすると危なっかしくて放っておけないと、つい口も手も出てしまうのですが、子どもたちには自分のペースがあり、彼らなりに考えていて、おとなの手出しが余計だと感じるのです。

あるいは、まだ自分の想いをきちんと説明できるだけの語彙をもたないために、おとなとの会話がかみ合わず、自分の想いが理解されていないと感じて泣いて訴えるのです。

ある図書館で、わらべうた講座をやった時に、こんなことがありました。

講座が終わって、みんなが靴を履いて帰るという時になって、火が付いたように泣き出した男の子がいました。
わらべうたを一緒に歌っている時には、とても機嫌よく、笑顔だったのにどうしたんだろうとおかあさんに聞くと、帰りを急いで靴を履かせたことで怒り出したというのです。
おかあさんは、上の子の幼稚園のお迎えの時間が迫っていたので、本人の気持ちを聞かずに「さ、帰るよ」と言って、靴を履かせたのだそう。時間がないので焦っているのに、その男の子はおはなしのお部屋の出口でひっくり返って泣きわめき、動こうとしません。
おかあさんが、ますます大きな声で「お兄ちゃんのお迎えに遅れるでしょ!早く立って!」と言えば言うほど、泣き声も大きくなってしまいました。

そばにいみると、その男の子は泣きながら自分で靴が履きたかったと訴えていました。おかあさんに、「ちょっとだけ時間ください」と言って、「〇〇くん、自分で靴、履けるのね。やってみる?」と聞くと、しゃくりあげながら「うん」と頷きました。

おかあさんは「すみません、でも時間が・・・」とおっしゃっていましたが、一旦履かせてもらった靴を脱いで、最初から自分で靴を履きなおしました。ほかの図書館員のみんながじっと見守る中で。
履き終わると、すくっと立ち上がって、にっこり。みんなが拍手する中を照れ笑いをしていました。
「さ、走るよ!」とおかあさんに言われて、「ばいばーい」と言いながら走っていく後ろ姿は、とても誇らしげでした。

「あの時、ほんのちょっと待つことが出来たらよかったんですね」

その後、また図書館を訪ねてきたおかあさんが、そんなことをおっしゃっていました。

1994年ごろの文庫・小さい子のための時間の様子
0~2歳の親子が大勢通ってきていました。
この写真に写っている子達の中には結婚して親になっている人もいます

私自身は4人の子どもを育てましたが、そのことが頭では理解できていても、日々の生活の中でこちらも余裕がなくて、彼らを急かしたり、気持ちを汲んでやれなかったなあと、未だに反省することも多々ありました。

そんな時は自分に「今、この子は人として、大きな階段をのぼってるところ。ちょっと肩の力を抜いて見守ろう」と言い聞かせていました。

その後、私は家庭を開放しての子育てサークルや家庭文庫を続けてきていますが、2歳児の育てにくさを訴えるパパ、ママには「ほんと、しんどいよね。でも、今、〇〇ちゃんは自己を確立しようと必死にもがいてるんだよ。自立の第一歩。みんな通る道、そしてここでおとなが自分の想いを汲み取ってくれようとしているという信頼関係を築く大事な基礎だから、見守ってあげてね」と声をかけています。

そうそう、私がよく紹介するわらべうたにこんなのがあるんです。

ぼうず ぼうず かわいときゃ かわいけど にくいときゃ ペション

わらべうたは、昔から各地に伝わる遊び歌やあやし歌です。おもに庶民が生活の中で歌い継ぎ、伝わってきたものです。

その中にこんな歌があると知った時に、我が子は可愛いけれど、扱いにくい時も必ずある、それを昔の人は、こんな風にユーモアで歌ってたんだなと、ホッとしたものです。


自立していく時期だからこそ出合ってほしい絵本


2歳児って、赤ちゃんから幼児へ移行していく時期です。日に日に赤ちゃんの部分が減っていき、ことばへの理解も増え、語彙が爆発的に増えていく時期です。

先ほども書いたように、「いや!」「自分で」というこの時期のことを、東京成徳大学子ども学部教授だった今井和子氏は、『子どもとことばの世界―実践から捉えた乳幼児のことばと自我の育ち』(ミネルヴァ書房 1996)の中で以下のように書いていらっしゃいます。

 これは、今まで親しいおとなから一方的に促されてきたことを《ちょっと待ってよ!ぼくが自分で決めようとしたかったんだ》という意志、つまりは、自分で判断したいという自分なりの心の世界が意識化されてきた証でないかと考えられます。
 おとなから言われていることはちゃんと理解できるのに、今は、おとなの言いなりに行動したくない自分が存在しているのです。《そんなこと言われなくっても、自分で決めるからいいんだよ》と訴えたい自我意識のめぶきを見るのです。
(p35)


そんな時に出合ってほしいのは、同じような感覚が描かれている絵本です。

トップ画像で紹介している多田ヒロシさんの「ぷうとぴょんのえほん」シリーズ(こぐま社)です。


2歳児の特徴として、友だちとの関係性が生まれるという点があげられます。それまでは、同年齢の友だちといても、それぞれが好きなように遊んでいたのが、お互いを意識し力を合わせて何かに取り組む、相手に刺激を受けて行動が促されるということが出てきます。

「ぷうとぴょんのえほん」シリーズの『おんなじ おんなじ』(こぐま社  1968)は、それぞれの持っているもの、帽子やおもちゃなどが同じことに気づいて、共感し合います。お友だちと同じものを持っていることで、共通点を見出して、親しみを感じる、そんな子どもの想いが素直に描かれています。

《自分のモノ》という意識を通して、自己拡大を試みるのもこの時期ならではです。

まだ自分の気持ちを十分にことばで表現できないからこそ、モノはことばに代わる自己顕示の方法だと、先の今井和子氏は指摘しています。

ですから、『おんなじ おんなじ』は、まさにそんな子どもの気持ちにぴったりのえほんなのです。


同じシリーズの『ぼくのだ ぼくのだ』(こぐま社  1977)では、ひとつのものを取り合っていたふたりが、一緒に使って遊ぶ面白さを発見したり、半分に分け合うことを学びます。

『なにしてる なにしてる』(こぐま社  1978)では、お互いにやっていることが気になっていたふたりは、一緒に遊ぶことの楽しさに気づきます。

そうやってさまざまな体験を積み、友だちとぶつかったり、仲直りしたりしているうちに、相手の気持ちを汲むということを訓練していくのですね。

『もぐらとずぼん』や『もぐらとじどうしゃ』はシンガポールで文庫活動をしていた時
2歳の女の子が、この絵本が気に入っていつも繰り返し借りていきました。
『ぞうくんのさんぽ』や『11ぴきのねこ』はうちの子たちも大好きだった絵本


相手の気持ちを汲むということができるようになるのは、自我が形成されていくこの時期に、子どもたちが自分ではうまく説明できない感情をおはなしや物語を通して代弁してもらい、葛藤を整理するということを通しても育まれて行きます。

自分が感じているようなことも、相手も感じるのだと理解することがその一歩。そのためにも一緒に遊んだり、ふざけたり、笑ったりする時間がとても大事です。

上の画像で紹介している『ぞうくんのさんぽ』(なかのひろたか/作・絵 なかのまさたか/レタリング 福音館書店  1968)は、我が家の4人の子どもたちがそれぞれ大好きだった絵本です。

ぞうくんがさんぽに出かけると、かばくん、わにくん、かめくんに次々に出会います。そのたびに「いっしょにいこう」と誘います。

最初のかばくんが「せなかにのせてくれるなら いってもいいよ」と言って、「いいとも いいとも」の答えたぞうくんは、その後も次々にともだちをのせることになります。

読んでもらいながら、「うん、うん、おもいぞ」というぞうくんの気持ちになってハラハラしていると、「うわーっ」とこけて、「どっぼーん」と池の中に落っこちてしまう。最後のシーンで4ひきが水をかけ合いながら「みんな ごきげん。きょうは いいてんき」というところでホッとするのです。

短くて単純な繰り返しの中で、小さな子どもたちはその想いをなぞって追体験しているのです。

西巻茅子さんの作品も2歳くらいの子どもたちの気持ちに寄り添うものが多いですね。



自分の物語に出合う


シンガポールで文庫活動をしていた時に、2歳の女の子が大好きで繰り返し繰り返し借りていってた絵本が、チェコの絵本作家エドアルド・ペチシカとズデネック・ミレルの『もぐらとずぼん』(福音館書店 1967)『もぐらとじどうしゃ』(福音館書店 1994)でした。


読むと結構な長さなのですが、もぐらがずぼんやじどうしゃを自分で作りたいと考えて、いろんなともだちに聞いたり、自分なりにいろいろな材料をかき集めて完成させていくというお話です。


この女の子は、最初ははっきりとした絵に惹かれていたようですが、繰り返し読んでもらっているうちにもぐらくんが自分でなんでもやろうとしているところに共感していったと、いつも連れてきてくれたいたお父さんから伺いました。

シングルファザーだったそのお父さん、娘がこの絵本の世界を自分のものにしていく過程で、ことばだけでなく、ともだちと協力しあうことや、自分で自分が使うものを創っていくという創作意欲も学んでいったようだと話してくださったのがとても印象的でした。


それぞれが自分が共感できる好きなおはなし、物語に出合うと、同じ本を繰り返し読んでと持ってきます。

「え~、これ、この前、読んだでしょ」と、拒否しないでくださいね。

その繰り返し読んでもらうことで主人公と同じ経験を追体験し、反芻し、その子にとって核となる部分を作り上げていくのです。

今年、1月25日に亡くなられた松岡享子さん(松岡先生について書いたブログ記事→こちら)の著書『子どもと本』(岩波新書1533 岩波書店  2015 )には「くりかえし読む」という見出しで以下のような文章があります。

 同じ本を同じように読んでもらっていても、おそらく子どもは、その都度何か新しい発見をしているのだと思います。あるいは、そのときどきに必要としているものを本から得ているのだと思います。そうでなければ、それほどくりかえし読んでもらいたがりはしないでしょう。また、その本が、読むたびに新しい何かを提供しなければ、それほど長い間、子どもをひきつけておくことはできないでしょう。幼い日に、こうした「くりかえし読むに耐える」本に出会うことは、ほんとうに幸せなことなのです。(p89~90)


次回は、我が子が2歳~3歳で繰り返し読んで、と言って持ってきた絵本を紹介したいと思います。

(続く)

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