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子ども時代に出合う本 #12 空想の世界にはばたく翼を得る(3歳児~4歳児)

物語の世界で遊ぶ

3歳児は、身の回りのものすべてが知りたいことで溢れている、「なんで?」「どうなってるの?」と質問魔になるということと合わせて、想像の世界、虚構の世界を楽しめるようになるということを、前回記しました。

その時期の子どもたちは、想像の世界と現実の世界の境界が柔軟であるために、おとなからは「うそ」をつくようになってしまったと感じることがあるとお伝えしました。

それは、彼らが想像の世界にいる時は、完全になりきっているからで感情も入り混じっていて、非日常世界が現実と同じくらいの力を持っているからです。

ままごと遊びに夢中になるのもこのころ。そして、お姫様になりきったり、ヒーローになりきって遊ぶようになるのも、この年代なのです。

そんな子どもたちにとって物語を読んでもらうという経験は、その想像の世界にはばたくための翼を得る機会なのです。

自分の知らない世界への窓であり、おはなしを聴きながら自分も主人公になりきって、その世界を楽しむことができる。現実の世界ではあり得ないことも、やすやすと飛び越えていくことができるのです。


うちの子たちが大好きだったにしまきかやこさんの絵本たち
なかでも『わたしのワンピース』は毎日の絵本タイムでヘビロテでした
彼女たちに読んだ絵本はボロボロになってしまったのでここに写っているのは2代目です

うちの娘たちが大好きだった絵本のひとつがにしまきかやこ作の『わたしのワンピース』(こぐま社  1969)です。

まっしろなきれ ふわふわって そらから おちてきた

ミシン カタカタ 
わたしのワンピースを つくろうっと
ミシン カタカタ ミシン カタカタ 


まっしろなワンピースを着てうさぎが散歩をしていくと、その風景に合わせてワンピースの模様がかわっていくというストーリー

繰り返される「ミシン カタカタ ミシン カタカタ」ということばとともに、次はいったいどんな模様になるんだろうと目を輝かせて聞いていた娘たち。

なんども「これ、読んで」と持ってくるお気に入りになりました。

子どもたちにとって、自分が見たもの、素敵だと感じたものがワンピースの模様になっていくことは自然なことだし、あり得ないことではないのです。

この絵本は、出版されて50年以上愛され、読み継がれているのですが、出版する前には、出版社のご意見番の先生方に「お花畑を散歩したらワンピースが花模様になる?雨が降ってきたら水玉模様になる?佐藤君、これは絵本じゃないよ」と言われたと、こぐま社の創立者佐藤英和さんが、その著作『絵本に魅せられて』(こぐま社 2016/3/20)の中で書き記していらっしゃいます。(ⅲ読みつがれる絵本のために『わたしのワンピース』ができるまで  p188)


大好きな花畑をコロコロコロコロ転げまわっていたら花模様になったというならばわかるけれども、花畑を散歩していたら花模様になるというのは無理だ、というのです。西巻さんはこのとき、すごくがっかりして、「このおじさんたちには、絵本はわからない」と言いました。
 (中略)
「おはなばたけを さんぽするの だあいすき」「あれっ ワンピースが はなもようになった」―――こんな飛躍をする絵本は、日本にまったくなかったのです。しかし私は、海外のいろいろな絵本を見ていましたから、「これこそ絵本だ!」と確信しましたし、私は本当に悩みましたが、他の人がなんと言おうと、結局、これはそのまま出版しようと決めました。
(p192~193)

佐藤さんがご意見番のおじさんたちの意見に従わずに、この絵本を出版してくださってほんとうによかったと思います。そのおじさんたちは、おとなの固まってしまった常識で、「そんなことはあり得ない」と判断したのでしょうが、読み手の子どもたちのことをほんとうには理解されてなかったのだなと思います。


子どもたちは、想像の世界に容易く飛び込める翼をもっているので、なんの違和感も抱かず、「ラララン ロロロン はなもようのワンピース わたしににあうかしら」と、うさぎになりきって、うさぎの気持ちに同化していくのです。

物語の世界で、そのまま遊ぶことができる。それが3歳児の子どもたちです。この時期にたくさんの物語に出合うことは、想像の世界を豊かに広げていきます。

うんとこしょ どっこいしょ 音のリズムに


『わたしのワンピース』が幼い子どもたちを惹きつけるもうひとつの理由に、繰り返し出てくる「ミシン カタカタ ミシン カタカタ」「ラララン ロロロン」ということばにもあると思います。

これらのことばは、物語に一定のリズムを作り出します。口にしたときにそのリズムにのって体が動き出すような、そんな感覚です。

絵本の読み聞かせをしていると、その音に合わせて子どもたちの体も揺れ動くのです。

それが顕著な絵本があります。
それはロシアの昔話を題材にした『おおきなかぶ』(ロシアの昔話 A・トルストイ/再話 内田莉莎子/訳 佐藤忠良/画 福音館書店 1966)です。


おおきなかぶをひっぱるときのかけ声、「うんとこしょ どっこいしょ」ということばを読むと、聞いている子どもたちはいっしょに声に出しながら、自然に体を揺らしてかぶをひっぱる真似をするのです。

この絵本は、我が子にだけでなく、文庫に来る子どもたち、そして図書館や学校などの読み聞かせ活動で何度も読んできました。

読み手がなにも言わないのに、「うんとこしょ  どっこいしょ」と読むと、どの子も不思議に体を揺らす。それはこのことばが持っているリズムに自然に呼応しているのです。

『おおきなかぶ』をはじめとして、我が子達が3歳の頃に親しんだ絵本たち

私たち自身も鼓動というリズムを刻んでいます。お母さんのお腹の中ではドックドックと胎盤を通して流れてくる血液の音を聞いて大きく育ってきました。なので、リズムのある音と言うのは、耳に心地よく子どもたちの心をつかむのです。

この「うんとこしょ  どっこいしょ」というかけ声、実はA・トルストイの再話にはありません。トルストイの再話ではおじいさんがおばあさんを呼び、それでもかぶが抜けなくて、次々動物たちが加わるたびに、「ひっぱる」という動詞を繰り返しているのです。


  新しい登場人物が加わるたびに反復される「ひーても、ひーても、びくともしない」というフレーズはどの原話でもほとんど同じで、もっとも安定している部分である。このリフレインは意味と同時に、かぶを抜くときのリズムを表現している。ロシア語では、「ひーても ひーても」の部分はスローテンポで長く伸ばし、力をこめて語る。そのあと少し間を置き、つぎの「びくともしない!」は早口でたたみかけるように語る。この緩急のリズムが躍動感を生み、語りをいっそう楽しいものにしている。
  日本でもっとも親しまれている、A・トルストイの再話絵本(内田莉莎子訳、佐藤忠良絵、福音館書店)では、訳者がこの部分に原語にはない「うんとこしょ どっこいしょ」という掛け声をいれ、子どもたちを語りに引き込むことに成功している。幼稚園や図書館などで語ると、子どもたちが口々に「うんとこしょ どっこいしょ」と掛け声を掛け、大合唱になるという。

「大きな「かぶ」の六つの謎―ロシア昔話が世界中の子どもに愛される理由」齋藤君子  p23
『「大きなかぶ」はなぜ抜けた? 謎とき 世界の民話』小長谷勇紀/編著 講談社現代新書1848 講談社 2006 より


こぐま社から出版され現在絶版になっている『おおきなおおきなおおきなかぶ』(ヘレン・オクセンバリー/絵 アレクセイ・トルストイ/文 こぐま社編集部/訳 1993)は、トルストイの再話に忠実に「ねこが いぬを、いぬが まごむすめを、まごむすめが おばあさんを、おばあさんが おじいさんを、おじいさんが かぶを、ひっぱって ひっぱって ひっぱって ひっぱって ひっぱりました。もういちど、ひっぱって ひっぱって ひっぱって ひっぱって ひっぱりました。それでも かぶは ぬけません」と訳しています。 


それに対して内田莉莎子さんの訳は「うんとこしょ どっこいしょ それでもかぶはぬけません」の繰り返し。


この部分だけでも声に出して読み比べてみると、子どもたちの心をつかんだのが内田莉莎子さんの訳の絵本だということがわかるでしょう。


この訳について、福音館書店の創業者で当時編集者だった松居直氏は、その著『絵本のよろこび』(NHK出版 2003)の中で、次のように書いています。

 ロシアの昔話「おおきなかぶ」の絵本化を企画したとき、翻訳者に内田莉莎子さんを得たことはほんとうに幸いでした。その訳文はまったく無駄のない簡潔な言葉づかいで、音楽的で力強い繰返しのリズムに支えられ、子どもの息づかいと気持ちにぴたりと合います。こうした文章を生かし切れる挿絵は、いわゆる甘い童画調のものではなく、デッサンのしっかりした動きのある、しかも子どもが楽しめる温かさを備え、語りかける絵でなければ文との釣り合いがとれません。特に非現実の要素の強いこの物語には、確かな現実感に支えられた表現の挿絵が決め手です。登場人物や動物たちが力を合わせて、巨大なかぶを力一杯ひっぱるのですから、力強い身体の動きと、「うんとこしょ!どっこいしょ!」の元気な掛け声とリズム感が伝わり感じられるポーズと構図が大切です。そのうえロシアの農民の暮らしがわかる表現が不可欠です。そのことを熟慮した末に、彫刻家の佐藤忠良先生に挿絵の制作をお願いしました。佐藤先生が敗戦後の数年間、シベリアで抑留生活を体験されていたこと、紙も鉛筆もない抑留生活の厳しい労働の間にも、ひたすら眼だけでデッサンをされていた話も耳にしていました。またその彫刻作品は、人間の身体の写実的な造形にとどまらず、生命の働きと内なる精神の世界をも見る人に感じさせる、すばらしい造形芸術です。こうした芸術の力を子どもに伝えることのできる絵本を、私はどうしてもつくりたかったのです。(p128~129)

この『おおきなかぶ』も50年以上子どもたちに愛されているのです。リズミカルなことばが子どもの心を捉えて離さないのです。

女子大で講師をする中で5年かけて学生たちに「幼いころすきだった絵本」「思い出に残っている絵本」についてレポートを課していた山口雅子さんが、それらのレポートについてまとめた本『絵本の記憶、子どもの気持ち』(福音館書店 2014)には、『おおきなかぶ』についてこんな学生のことばが記されています。

*なぜだか、私は、自分が絵本を読んでもらっている姿をあまり覚えていません。うちには本がたくさんあったはずだし、母も読んでくれたと言ってるのですが、私にはその記憶がないのです。「私は絵本がすきじゃなかったのかしら」と、ずいぶん長いこと思い出そうとしていました。
 そんなあるとき、フッと読みがった一節がありました。
「うんとこしょ どっこいしょ
まだまだ かぶはぬけません」
 そう、『おおきなかぶ』の一節です。これが、母の声で、私の耳の奥から突然響いてきたのでした。
 そういえば、私は母にその本を読んでもらいながら、「うんとこしょ」のところだけ、一緒に声を出して読んだのでした。
(p22~23)


リズミカルで、自分も声に出してしまいたくなる。そんなことばで書かれている絵本、そしてそこに子どもたちの想像を助けてくれる一流の絵があること、それがこれくらいの年代の子どもたちの心を惹きつけてやまないという例になっています。

絵本を選ぶときに、そんなところも選書のポイントにするとよいでしょう。

あり得ないことがわかっていて楽しめる


いっぽうで成長と共に子どもたちは想像の世界から日常へと切り替えることも上手になっていきます。

ままごと遊びの時に、「うそっこで、ママがあかちゃんね。〇〇がお母さんだからね」とわざわざ「うそっこ」ということばを使うようになっていきます。

ここからは「うそ」の世界、と区別するようになると一段と認知の世界が成長した証拠です。つまり現実の世界から虚構の世界へと意識的に入っていくのです。役になりきる、役を演じるという段階に入っているのです。

そんな3歳後半から4歳くらいの子どもたちが夢中になる絵本があります。今、補助教員として勤めている幼稚園の年少組さんで子どもたちが何度も何度も「これ、読んで」と持ってくる絵本です。読み終わってもすぐに「もう一回」と、次々に子どもたちにお願いされます。

『ふしぎなナイフ』(中村牧江、林建造/作 福田隆義/絵 福音館書店 1997)です。

ふしぎなナイフが、まがったり、ちぎれたり、ふくらんだり、われたりします。

子どもたちは現実にはあり得ないことを、もう理解しています。そのうえで絵本の中でナイフがまがったり、ねじれたり、ちぎれたりするたびに、大仰に「え~~~」と声に出して驚き、現実と虚構のギャップを楽しんでいるのです。

子どもたちの成長は、日々続いていて、一足飛びということはありません。毎日の積み重ねです。

子どもたちの想像力の発達も日に日に積み重ねられていき、気が付いた時には次のステージに入っているということが多々あります。だから子育ては楽しいと感じます。

子どもたちは想像することを通して、少しずつ自分とは違う人の気持ちを理解できるようになっていくのです。想像する力は、相手の立場になって考えるという思いやりの発達のためにもとても大切なものなのです。


次回も、3~4歳児が大好きな絵本を何冊か紹介したいと思います。

(続く)

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