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牛頭天王祭文(願文)

牛頭天王の祭文という祝詞があります。思いっきり神仏習合+陰陽道のカオスなので、できるだけ祝詞らしくなるよう改訂してみました。

具体的には、
①八王子の名前を日本の神名に置き換えた。

②カタカナ表記をできる限り平仮名に直した。

③蘇民将来伝説がメインのため、(法華経に出てくる)八大龍王の一、娑伽羅龍王の娘を娶りに行く話はそのまま残した。しかし娑伽羅龍王ばっかり娘の登場率高いな。

スサノオ信仰の系譜によって八王子の内訳が変わるため、本稿では八阪神社の信仰に準拠した。

以上が改訂方針です。
なお、原文は長野県上田市のポータルサイトにて紹介されているものをベースにました。

以下、改訂版です。メチャクチャ長いので心して読んでください。

牛頭天王之祭文(ごずてんのうのさいもん)祇園信仰準拠改訂版


維当これまさに来きたる年とし次なみ吉日きちじつ良辰りょうしんを撰び定めかけまくもかたじけなくも牛頭天王、武荅むとう天神、素戔嗚命
婆梨妻女はりさいめ、八王子はちおうじを奉請ぶじょうして白もうして言わく、急ぎ上酒を散共さんぐ(供)し再拝再拝す、

謹請きんじょうす、第一之の王子をば八島篠神(やしまじぬみのかみ)と申す、
謹請す、第二之王子をば五十猛神(いたけるのかみ)と申す、
謹請す、第三之王子をば大年神(おおとしのかみ)と申す
謹請す、第四之王子を大屋比売命神(おおやひめのかみ)と申す、
謹請す、第五之王子をば抓津比売神(つまつひめのかみ)と申す、
謹請す、第六之王子をば宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と申す、
謹請す、第七之王子をば大屋毘古神(おおやびこのかみ)と申す、
謹請す、第八之王子をば須勢理毘売命(すせりびめのみこと)と申す、

慎つつしみ敬うやまいて白もうす、散共さんぐ(供)して再拝し酒を献けんじ奉たてまつる、抑そもそも昔武荅天神之の本誓ほんぜいを伝つたえ請こい給たまわるに、是これ自より二十万恒河沙ごうがしゃを去りて 須弥山しゅみせんより北にケイロ界と云いう処ところ有り、並に白きの御門みかどと申す、其その御子、今之の牛頭天王、未だ妃きさきの宮定り給はず、其の時南天竺みなみてんじくより山鳩やまばとと申す羽つばさ一把いちわ、天王之の御前の梅の木の枝に羽を休めさえずる様を、其時そのとき静かに出いでて聞き賜たまうに釈迦羅龍宮しゃからりゅうぐうの姫ひめ宮おわします、其その御おんかたち慈しめて乄して、三十二相八十種好さんじゅうにそうはちじゅっしゅごうを具足ぐそくし給う、是これは牛頭天王の妃に定り給たまうべしと囀るさやずる

其時天王奇異の思いを成なして、長本元年丙刀ひのえとら(寅)正月十三日、恋の路みちに憧れ南海の面おもをさして出給いでたまう、未申ひつじさるの時、折節おりふし疲れに臨み給う程に、日もはや晩ばんセキに及ぶ、ここに大福貴ふうきなる家有り、主の名をば小丹こたん長者と名付く

天王は立ち寄より給て宿やどを借かり給たまう時、宿は無しと答う、天王重かさねて宣はく、但ただ借かし(貸)給えと有りしかば、小丹大おおいに怒りを成なして父類ぶるい眷属を以て送おい出し奉たてまつる、天王更に及およば不ず乄して小松の中に陰かくれ給たまう、其後そののち下女出来いできたる、女なんじ(汝)我に宿を借かせ(貸)と宣う、

下女答こたえて云いわく、我は是これ小丹長者之内の者もの也、然しかるに此人このひとは我が身の富貴なるに依りて人の愁うれいをも知らず、往来の人をも憐れみ給う事も無し、御宿おやどは安き事にて候え共ども然間しかるあいだ御宿は叶かのう可べからず、是れより東方に一里計ばかり行て御宿を借給かりたまへと申す、行きて御ご覧らんずれば、松の木四十二本有る処ところに一つの木陰有り、並ここに立寄たちより御宿を借かり賜たまう、

其その時女おんな出いでて答えて曰いわく、我は是これ人間の者ものと御覧ずるか、雨風を衣とし松の木を体たいとして過ぐる者也、是自これより東に万里計ばかり行て志有る人あり、其それにて御宿を借給えと申しけるに、行き給て宿を借かり給うに、蘇民将来は立ち出いでて曰いわく、我は是これ人間の顔かたちと成て候そうらえども、貧賤ひんせん無極むごくにして仍よって一夜の宿飯しゅくはんに成し申すべき物も無し、御座ござと成申なしもうす可べき処ところも無なしと申す、牛頭天王重ねて給たまはく、ただ借か(貸)し給え見苦しからじ、女なんじ(汝)の食飯をたび給えと有りし時、
蘇民将来之の居所を取り払はらいて粟あわがらを敷き、千(干ほし)莚むしろを御座として請奉うけたてまつる、粟の飯の夕飯をまいらせ心むねを点やすめ奉る、其の夜も様々ようよう明あけければ、御出立給おんいでたちたまいて出行給いでゆきたまう時、蘇民将来白もうして言もうさく、

公きみ如何いか成方なるかたヘ行給ゆきたまうと申す時、天王宣う、
我れは釈迦羅龍宮の姫宮ひめみや婆梨妻女はりさいめと申す人を恋奉たてまつり、南海の面おもを差さして行く者也、然しかるに小丹長者の宿を借かさ(貸)ざる其の怒りを大おおいに成なして依よって小丹長者をば罰識に臥ふせて、来世には例れい(癘)気と成て滅すべしと有りしかば、蘇民将来之の曰いわく、

小丹長者が娵よめは自おのが娘にて候そうろう、小丹長者をば罰し給う共とも我等が娘をば御除おのぞき給えと申し奉たてまつれば、
其れは安き事也と天王言宣うて、柳の札を作つくりて蘇民将来之子孫也と書て、男は左、女は右に懸かくる可べし、其れをしるしに許すべしとて、古丹長者をば罰識ばっしきに臥ふせ、牛頭天王は南海を差て出給いで給う、
其の後のち、釈迦羅龍宮の姫宮に相あい奉たてまつりて十二年之の内に王子八まうけ給て帰国し給う、其の部類眷属九万八千有り、
古丹長者は此事このことを請給うけたまいて、魔王の通とおるとて四方しほうに鉄のついじをつき、天に鉄の網あみを張はり、屋堅やかためを乄して居給いたまう、又蘇民将来は請給うけ給いて、金の宮殿くうでんを造って待まち奉る、牛頭天王御ご覧らん乄じて如何なる事と問とい給う、

蘇民将来答えて曰いわく、公きみの御通り賜たまう後、天てん自より宝降ふり、地従より泉わき出いでて、七珍しっちん万宝まんぽう充みち満みちたり、然るに君を三日留奉とめたてまつらんが為ため也と申す、
然間しかるあいだ三日留給とどまりたまいて、古丹長者が処ところヘ使つかいを立て見せ給うに、四方天地を閉とじて入いる可べき様ようも無しと申す、其時天地に開さく花を入てかがせ給う程に、善知識の水の流るる所ところ有り、かき入れて九万八千之の眷属を以て、七日七夜之内のうちに滅し給う、其後、小丹が子孫と云いわん者をば一人も立つ可べから不ずと言のたまう、又其時従より、蘇民将来の子孫をば許し給う、当病平癒、身心安穏あんのん、息災延命、福寿ふくじゅ増長ぞうちょう、七難即滅七福則(即)生しちなんそくめつしちふくそくしょう、家内けない富貴ふっき、子孫繁昌、殊には蛇じゃ(邪)気け、遠おん(怨)霊りょう、呪詛をば万里之の外に払ひ、牛頭天王、婆梨采女、武荅天神、八王子等之の部類眷属、愛愍あいみんを垂たれ納授をし給ヘと、敬いて白もうす、再拝々々す、上酒を散共さんぐ(供)す、

謹請きんじょうす、首かしら五体の病は武荅天神に申し給う可べし、
謹請す、口の病は婆梨細女に申し給う可し、
謹請す、足の病は大良の王子に申し給う可し、
謹請す、腹はらの病は次良の王子に申し給う可し、
謹請す、喉のどの病は三良の王子に申し給う可し、
謹請す、胸の病は四良の王子に申し給う可し、
謹請す、手の病は五良の王子に申し給う可し、
謹請す、腰の病は六良の王子に申し給う可し、
謹請す、腿ももの病は七良の王子に申し給う可し、
謹請す、膝ひざの病は八良の王子に申し給う可し、

南斗北斗、讃歎さんたん玉女、左青竜、右白虎、善(前)朱雀、御(後)玄武
急々如律令


(24/9/5追記)
…こうして見るとやはり消しえない仏教色がありますね。牛頭天王自体が神仏習合の色彩の濃い神であり、祇園精舎を守護する存在というのが通説(インドに元の神が存在しないという説も)のため、仏式で祈る方は勧請文として読んでも良いかもしれません。

また、「ほろぼし」「うらみ」という表現が使われている箇所については少々表現が強いように感じたため、それぞれ「滅し(めっし)」「怒り」と置き換えました。あまり緩和されていないかもしれませんが、牛頭天王は荒神ともいわれ、素戔嗚もあんな感じですから神紋の左三つ巴に象徴されるような竜巻の如き創造的破壊を引き起こすこともありますのでご容赦ください。



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