大麻取締法の改正論議ですっぽり抜け落ちている「栽培農家」の視点


伊勢麻

 厚生労働省が今年に入って大麻取締法の改正に向け、薬学や法学などの専門家12人からなる有識者検討会を立ち上げた。同法は違法栽培の所持を禁じているが、使用自体を禁じる条項はない。さらに、医療用大麻が海外で解禁されている動きもあり、こうしたことが議論の中心とされている。
だが、そこには栽培農家が伝統的な農作物を守っているという視点が抜け落ちている。知事から免許を得て大麻草を栽培している農家は現在では全国で30軒ほどしかなく、このうち10軒余りが神事などに使う精麻など伝統的な麻繊維の生産技術を守り続けている。麻繊維の需要自体が減ったという事情はあるものの、薬物乱用対策という視点だけに偏った厚生労働省の政策が後継者を育てるのを難しくしており、新規参入の道はほぼ閉ざされているのが実情だ。大麻というと多くの人は麻薬としてのイメージしか持たないかもしれないが、実は日本では大麻栽培は稲作よりも歴史が古い。1万年ほど前から栽培されていたとも言われ、茎から採取された繊維製品は長く日本人の日常生活を支えてきた。加えて、昭和23(1948)年に施行された大麻取締法は、GHQによる大麻の全面禁止の圧力に抗して、栽培農家を守るために免許制を採用するという苦肉の策として制定された経緯を忘れてはいけない。
令和元年(2019)11月に皇位継承儀式の重要な儀式として皇居で大嘗祭が行われ、麁服(あらたえ)と呼ばれる麻織物が使われた。毎年の宮中祭祀でも麻織物は欠かせない。だが、これらも伝統を継承してきた農家のバックアップがあってのことである。「やがては宮中祭祀にも外国製の粗雑な麻糸を使うしかなくなるのだろうか」と嘆く関係者の声も聞く。
薬物としての大麻汚染が若者の間に広まっていることは憂慮されるべきことであり、いわゆる嗜好品としての大麻解禁論に与する気は毛頭ない。しかし、古来からの文化として農家が栽培している産業用大麻は、その葉や花の薬理成分が極めて少ないにも関わらず、厚労省やその指導を受けた自治体の対応は強圧的だ。薬物汚染対策という“印籠”に栽培農家は半ば怯えながら生きている。

薬物としての大麻は「マリファナ」などの外来語で統一しておくべき
 昭和23年(1948)7月に施行された大麻取締法とはどういう内容なのか。全体を把握するために、包括的な規定として冒頭に記してある「総則」を読んでみたい。

第一章 総則
 第一条 この法律で「大麻」とは、大麻草(カンナビス・サティバ・エル)及びその製品をいう。ただし、大麻草の成熟した茎及びその製品(樹脂を除く。)並びに大麻草の種子及びその製品を除く。

 成熟した大麻草の茎や麻の実と呼ばれる種子は、葉や花に比べて、THC(テトラヒドロカンナビノール)という向精神作用のある薬物が含まれていないため、規制の対象となる「大麻」から除外されているということでもある。この条文は「大麻」とは「大麻草」のことであると同時に「(茎や種以外の)葉や花とそれを原料にして作った製品」のことであると定義している。だから、この条文は大麻が大麻草のことであり、麻薬のことでもあると言っているに等しい。少なくとも終戦直後までの日本人には、大麻を幻覚作用のある物として捉える認識はなかった。そう意味では、この条文こそが、「大麻」という言葉に薬害物としてのイメージを刷り込ませた元凶だとの指摘もある。人々が大麻と聞いた時に、それが麻薬の大麻なのか、栽培農家が作っている大麻草のことなのかわからないという混乱も引き起こしている。「私は昔から大麻を作っているんです」と農家の方が人前で挨拶したら、一瞬、ぎょっとされるのである。
GHQによる占領中にできた法律とは言え、個人的には薬物としての大麻は「マリファナ」などの外来語で統一しておくべきだと思う。大麻が麻薬と同一視される原因には、次のような笑えない事情も関係しているようだ。
戦前は麻薬という漢字を書くときに「痲(しびれ)る」という意味の「痲薬(まやく)」と書くことが多かった。しかし、昭和24年(1949)に内閣告示で漢字の字体を簡略化した「当用漢字字体表」が作られて「痲」が「麻」に置き換えられ、新聞記事を含め「麻薬」と表記されるようになった。
まるで大麻が麻薬の代表のようにイメージされてしまった。
ところで、大麻草の茎から採取される丈夫な繊維は用途が多く、日本では古くから漁網や鼻緒などに加工され、江戸時代の庶民の服も麻で作られたものが多かった。繊維を剥がした後の「麻(お)がら」と呼ばれる茎の芯は、今でも茅葺き屋根の下地やお祭りの松明(たいまつ)に使われ、麻炭は打ち上げ花火の助燃剤としてなくてはならないものだ。
麻の実と呼ばれる種子は七味唐辛子に混ぜられ、絞って加工すれば食用油にも使える。漫画や映画が大ヒットした「鬼滅の刃」に登場する竈門炭治郎の妹の禰豆子(ねずこ)が身につけている着物の麻葉模様も、古くから日本人に親しまれてきた。「大麻」という言葉はそもそも「麻」を讃えた美称であり、「大」には、すくすく伸びるという意味が込められている。だから、生命力が強いことの象徴として、穢れを祓う力があると信じられてきた。
茎から剥ぎ取り手間ひまかけて加工した薄い黄金色の繊維は「精麻」と呼ばれ、神霊が宿る依り代として神社のお祓い用の神具に結んで使われる。

一年更新で免許を得た栽培農家の「大麻取扱者」は全国でわずか約30数人に

第二条 この法律で「大麻取扱者」とは、大麻栽培者及び大麻研究者をいう。
2 この法律で「大麻栽培者」とは、都道府県知事の免許を受けて、繊維若しくは種子を採取する目的で、大麻草を栽培する者をいう。
3 この法律で「大麻研究者」とは、都道府県知事の免許を受けて、大麻を研究する目的で大麻草を栽培し、又は大麻を使用する者をいう。
第三条 大麻取扱者でなければ大麻を所持し、栽培し、譲り受け、譲り渡し、又は研究のため使用してはならない。
2 この法律の規定により大麻を所持することができる者は、大麻をその所持する目的以外の目的に使用してはならない。

 ここで言う大麻栽培者というのは、すなわち栽培農家のことであり、第一条で除外されている茎の繊維や種子を合法的に採取することができる。葉や花については悪用されないように畑で焼却するのが一般的だ。後述するように、国産大麻の葉や花は薬理成分が少ないので実際には悪用はできないのだが。「大麻取扱者」になるには、別の条文に書かれているが、都道府県に申請して審査を受け、知事から免許をもらう。免許は一年更新だ。この審査については後述するが、都道府県によって基準がまちまちであり、厚生労働省による都道府県への厳しい指導もあって、実際にはいくつもの条件をクリアしないと免許はもらえない。
当然だが、自宅のベランダなどで勝手に栽培すると、鑑賞目的であっても違法栽培として摘発される。大麻研究者とは読んで字のごとく大学や研究機関で研究している人たちで、これにも免許が要る。
大麻取締法制定当時、国内にいた栽培免許者は約26,000人。
昭和29年に37,300人に増えたが、現在は34人程度に減っており、後継者不足もあってさらに減っていく可能性が高い。全国でももっとも栽培が盛んな鹿沼市を中心とする栃木県でも、種子専用栽培農家を除く11人のうち2人が今年、免許更新を申請しなかった。栽培面積は昭和27年の約5000ヘクタールをピークに、現在は8ヘクタール以下にまで減った。

大麻取締法制定は占領下で違法栽培を禁止し大麻栽培農家を守るためだった

 通常は法律の「総則」の冒頭に制定の「目的」が書かれているのが普通だ。例えば覚醒剤取締法であれば、第一条に「この法律は、覚醒剤の濫用による保健衛生上の危害を防止するため、覚醒剤及び覚醒剤原料の輸入、輸出、所持、製造、譲渡、譲受及び使用に関して必要な取締りを行うことを目的とする」とはっきりと書かれている。ところが、なぜか大麻取締法にはこれが書かれていない。
 終戦後、占領政策を進めたGHQは大麻草の栽培を全面禁止にしたが、栽培農家の窮状を背に当時の農林省や厚生省がGHQと折衝を続け、これを押し返す形で部分的に解禁が認められた。それでもGHQの大麻に対する厳しい姿勢は変わらず、日本側に取り締まりの強化を迫った。その結果として昭和23年(1948)に「大麻取締法」が制定された。都道府県知事による免許制にしてGHQによる圧力をかわすことで、2万数千軒あった栽培農家を守ろうという狙いがあった。この法律に「目的」が書かれていないのは、そうした複雑な事情も背景にあったと思われる。法律の具体的な内容を知らないと、覚醒剤取締法に似た取締まりの為だけの法律と思ってしまうかもしれないが、「免許を取得した栽培農家や研究者以外の者が大麻を栽培したり所持した場合には罰する」という趣旨の法律なのである。
 日本で栽培される大麻草は、当時世界各地で乱用されていたインド大麻とは異なり、幻覚作用を引き起こすような強い薬理成分が含まれていないばかりか、そもそも大麻を乾燥させて吸うなどという嗜好自体が日本人にはなかった。それでも、GHQは駐留する米軍兵士の間で海外から持ち込まれた様々な麻薬による汚染が広がりつつあったこともあり、日本の大麻草を徹底して敵視した。当時、法制定に関わった元内閣法制局長官の林修三氏は後にこう語っている。「占領軍当局の指示で、大麻の栽培を制限するための法律を作れと言われたときは、私どもは正直なところ異様な感じを受けたのである。先方は、黒人の兵隊などが大麻から作った麻薬を好むので、ということであったが、私どもは、なにかの間違いではないかとすら思ったものである」(「時の法令 530号」(1965年4月)

厚労省職員の研究論文「『とちぎしろ』などの国内大麻草に幻覚作用はない」

 戦前から大麻草栽培が盛んだった鹿沼地方を中心とした栃木県では、戦後間もなく海外から流入した品種と交雑したできた大麻草が盗難被害に遭って問題になったことから栃木県農業試験場鹿沼分工場が昭和58年に、高繊維質でTHC含有量の少ない改良品種「とちぎしろ」を完成させた。佐賀県で過去に偶然発見されたTHCゼロの品種がベースになっており、葉や花に含まれるTHCの含有率は国際的な産業用大麻(ヘンプ)の基準である0.3%より低い0.2%未満で、一般に「無毒大麻」と呼ばれている。
日本国内で栽培されている大麻の殆どは、この「とちぎしろ」であるが、それでも、栽培農家は葉っぱなどは規定に従って焼却するなどして処分している。令和元年(2019)8月には、厚労省関東信越厚生局麻薬取締部鑑定課の担当者二人が「繊維型大麻草およびその濃縮物中のカンナビノイド含有量の調査」と題する研究論文を法科学技術学会の「法科学技術」に掲載(早期公開)して注目を浴びた。ここには「結論」として「仮にとちぎしろなどの繊維型大麻草から製造したBHO(筆者注・化学溶媒を使って作る大麻濃縮物)を摂取したとしてもTHCによる幻覚作用は殆ど得られないことが推察された」と明記されている。つまり、国内の栽培農家が作っている大麻草の葉や花など(もちろん、規定によって焼却などの処分をしているが)から人工的に薬理成分を抽出しても、いわゆる「麻薬」としての“効果”はないと結論づけているのである。
ただ、結論の最後に「しかしながら、薬物型大麻と同じ効果があるものと思い込み同様のBHOを作成・使用してしまう乱用者が現れるおそれもあり注意が必要である」とあるのは、ご愛敬というか、厚労省に在籍する立場として無理にでも入れざるを得なかったのかもしれない。

厚労省の栽培農家“いじめ”と通達による自治体への厳しい指導

 ところが、栽培農家に対する行政の対応を見ると、こうした無毒大麻の栽培をバックアップするどころか、廃業に向けて追い込んでいるようにさえ見えてしまう。
例えば、厚生労働省は平成28年(2016)11月8日付けで全国都道府県の薬事担当部局に「大麻の管理の徹底について」とする通知を出し、
(1)事前の免許審査の強化 (2)麻薬取締員(都道府県の薬事担当課から知事が任命)による定期的な立入り検査 (3)免許を受けた大麻取扱者への指導 (4)農林水産関係などの部局との連携―――を求めた。
これらは、同年10月に鳥取県で「町おこし」を掲げて産業用大麻の栽培・加工をしていた会社代表の男性が、自分が栽培していた繊維型とは別品種の大麻を所持していたとして逮捕された事件がきっかけだった。以後、栽培農家を抱える自治体は、目に見える形で農家への指導を強化していった。
 厚労省自身もホームページなども使い、これまで以上に強い大麻規制キャンペーンを始めた。たとえば、ネット上にアップしている「大麻栽培でまちおこし!?」。表紙には、ベランダでの違法栽培の写真と農家の畑での栽培が何の説明もなく並べられ、「大麻栽培の現状」という頁には「大麻栽培は重労働です」「大麻を栽培する際には『麻酔い』に注意」などという見出しが掲げられている。
反薬物キャンペーンと「重労働であること」に一体どういう関係があるのか。現在の「とちぎしろ」などの品種では麻酔いなどはあり得ない。
栃木県鹿沼市内で7代にわたって野州(やしゅう)麻というブランド名で栽培を続けている日本麻振興会代表理事の大森由久さん(72)は「どうして、厚労省は、ここまで農家を貶めるような表現を使うのか。日本文化の宝である精麻を作るために、私自身も栽培と製麻の技術を50年以上かけて磨いてきたつもりだが、何か悪いことをしているような気分になる」と嘆く。

なぜ研修生の受け入れや県外への精麻供給が許されないのか

 こうした厚労省の意を体して、自治体の栽培農家への締め付けも厳しくなっている。例えば栃木県の場合、数年前から、栽培農家で研修生を受け入れる際、たとえば法人化した農家の場合は正式な社員にしなければ認められなくなった。過去には技術を学ぼうと県外からも研修生が学びに来ていたが、これも不可能になった。子どもたちによる収穫時の見学会も中止を余儀なくされている。また、栽培する畑に「写真撮影」を禁止する看板を立てることも義務づけられた。
また、三重県伊勢市では同時期に、神社や農協、大学などの関係者に経済人なども加わって「伊勢麻振興協会(代表理事、小串和夫皇學館理事長)」を立ち上げ、国産の精麻を全国の神社などに安定的に供給することをめざして平成30年(2018)4月に免許を取得。現在は振興協会の監督指導の下、農業生産法人の「株式会社伊勢麻」(谷川原健・代表取締役社長)が栽培と加工を行っている。ただし、24時間監視の防犯カメラの設置や栽培地に高さ2m超の堅固な柵を設置するなどの条件が付いている。現在は供給先が県内の神社に限られ、県境を越えての供給が認められていないため、現実問題として農業として続けていくことは困難になりつつある。「他県の神社にまで提供する社会的有用性は低い」(薬務感染症対策課)というのが三重県側の言い分だが、農業法人側は県の担当者から「厚労省がどうしてもだめだと言っている」と聞かされたという。
 かつて大麻取締法の運用をめぐって国会で審議が行われた際、麻薬局麻薬課(当時)の里見卓郎課長はこう述べている。「(中略)取締りが嚴重に過ぎて栽培ができないとか、あるいはまた報告を出すとかいう点でやつかいであるから栽培しないというような方もあるかと思います。しかしながら、できるだけそういう面を越えまして、希望される方には、栽培できるように、私どもも努力するつもりでおります。どうぞひとつ、栽培県におかれましても、そういうような事態がありましたならば、御指導を願って、あるいは私どもも、県の取締りの係員等にも、この点を十分伝えておきます。将来の取締りについては、十分御意思に沿うような考慮をいたすつもりでおります」(昭和25年3月13日衆議院厚生委員会議録)
 こうした状況下で、栃木県県那須町高久にある「大麻博物館」は大麻に関する正確な知識をひろめようと全国に向けて発信している。日本民俗学会員でもある高安淳一(57)さんが平成13年(2001)にオープンさせたもので、麻の歴史や実際に農家で行われている栽培や製麻の過程を知ることができる。館内には国産の黄金色の精麻が実際に展示してあり、麻糸で作った飾りなどの販売や麻の実が入ったピザなども味わうことができる。麻に関する著書も多い高安さんは「人々が日本の伝統文化である麻ととともに、どのように生きてきたかを知って欲しい。麻が農作物であるという視点が忘れられている」と話す。

~ 2021年02月19日 デイリー新潮より ~

2023年4月16日 CBCnews


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